その二百十六
僕は磐神武彦。大学三年。
姉の婚約者の力丸憲太郎さんの提案で始まった父の実家との絶縁状態解消プロジェクトが遂に発動した。
姉と憲太郎さん、そして母、更には母の高校時代の親友である塚沢紀美子さんまでが参加して、内緒で引越しをしていた父の実家に行く事になった。
姉達を見送る時、僕の彼女の都坂亜希ちゃんもわざわざ来てくれた。
「できれば一緒に行きたいくらいなんですけど、あまり大勢で行くのもどうかと思って」
亜希ちゃんが姉にそう言った時、僕は姉に睨まれた。多分、僕が行きたくないと言ったと思われたのだろう。
条件反射的にビクッとしてしまったのは我ながら情けなかった。
「ごめんね、武彦。私が余計な事を言ったみたいで、美鈴さん、貴方の事を睨んでたわね」
亜希ちゃんに謝罪された時はもっと情けなかった。
結局、姉達は父の両親、つまり、僕達にとっての祖父母とは話ができ、結婚式の招待状も渡せたそうだが、絶縁状態の一番の根源である父の兄、すなわち僕らにとっての伯父さんの奥さんには会えなかったそうだ。
しかも、伯父さんの娘の未実さんという人が、姉と同い年なんだけど、仕事もしないでフラフラしていて、その上姉達に向かって、
「今日はお父さんもお母さんも帰って来ないわ。あなた達がいる限りね。さっさと帰りなよ!」
そう毒づいたそうだ。そんな事を聞くと、行かなくて良かったと思ってしまう情けないの三乗の僕である。
夕方近くになり、亜希ちゃんは家に帰る事になった。
姉達は母と出られたついでに、力丸家にもお邪魔するらしいので、帰宅は夜遅くなると連絡があったからだ。
「じゃあね、武彦。また明日」
亜希ちゃんが手を振りながら歩き出した時、携帯が鳴った。
「長須根さんからだわ、武彦」
意味深長な視線を僕に向けて来る亜希ちゃん。思わず嫌な汗を掻いてしまった。
経済学部の二年で、通称「巨乳ちゃん」の長須根美歌さんはおっとりしていて、大学でも人気があるらしい。
「今晩は、長須根さん。どうしたの、こんな時間に?」
亜希ちゃんは不思議そうな顔で尋ねる。長須根さんが何かを話している。
僕は亜希ちゃんに近づき、聞き耳を立てた。
「ダブルデート?」
亜希ちゃんが言い、僕を見た。
「え?」
僕はキョトンとしてしまった。
「ええ、私達は全然構わないわよ。え? 間島君が希望しているの?」
間島君というのは、長須根さんの彼氏だ。まさに絵に描いたような純朴なカップルなのだ。
「ええ、わかったわ。私も楽しみにしてるね」
亜希ちゃんは微笑んで告げると、携帯を切った。
「という事で、来週の日曜日は長須根さん達とダブルデートね、武彦」
亜希ちゃんはニコッとして言った。何だか怖い。
「う、うん」
僕は顔を引きつらせて応じた。どういう事なんだろう?
そして、心配事はすぐにやって来るという僕の人生の教訓どおり、たちまち一週間が過ぎ、ダブルデートの日がやって来た。
「今日はありがとうございます、磐神先輩、都坂先輩」
待ち合わせの駅の前で長須根さんと間島君は何度も練習したのだろうかというくらいの見事な揃い方でお辞儀をした。
「いえいえ、どう致しまして。ね、武彦?」
亜希ちゃんは笑顔全開で僕を見た。
亜希ちゃんが怒っているのではないかというのは、僕の思い過ごしだったのはよくわかったのだが、今度は別の疑問が湧いて来た。
ダブルデートは間島君の希望だという。どういう事なのだろうか?
「さ、行きましょうか」
亜希ちゃんの号令で、僕達は改札を通り、ホームへと歩を進めた。
デートの場所は遊園地。映画やコンサートや観劇では行動が制約されてしまうし、常に一緒に行動しなければならないので窮屈だという亜希ちゃんの判断で、別行動も可能な遊園地が選ばれた。
さすが亜希ちゃんだと思った。もう一生ついていこうと。それも情けないか。
遊園地に着くと、まず手始めにメリーゴーラウンドに乗った。これはカップルシートに座り、ちょっとだけ別々。
そして、絶叫系のアトラクションは前後に座って体験。
ホラー系のアトラクションは一緒に入ったはずが途中ではぐれて、別々に出てしまった。
「アイスクリーム食べよっか?」
亜希ちゃんが提案し、長須根さんと二人で買いに行った。
うわ、ベンチに間島君と二人きりにされた。今日ばかりでなく、僕は彼とほとんど話した事がない。
気まずい沈黙が訪れそうだ。
「あの、磐神先輩」
ところが、亜希ちゃん達が離れた途端、間島君の方から話しかけて来た。
「え、な、何?」
狼狽えてしまった。間島君は真剣な表情だ。思わず唾を呑み込んでしまった。
「先輩にお尋ねしたい事があるんです」
間島君の目は真っ直ぐに僕を見ている。まさか、僕と長須根さんの事を誤解しているのでは、などと妄想を繰り広げていると、
「先輩のお姉さんは先輩とお幾つ年が違うのですか?」
全然違う方向から球が飛んで来た。拍子抜しそうだ。
「三つだよ。それが何か?」
僕は首を傾げて応じた。すると間島君は頭を掻きながら、
「実は僕にも姉がいまして、三つ違いなんです」
「ええ、そうなの?」
思ってもみない展開に僕はベンチから立ち上がってしまった。
「来週、姉の誕生日なので、何を買えば喜んでくれるのか、それを教えていただきたいんです」
間島君が一気に身近に感じられる話だった。
「そうなんだ。お姉さんて、どんな感じの人?」
僕はつい我が姉を想像しながら尋ねた。
「すごく美人で、優しい姉なんです。だから、大好きなんです」
間島君は照れ臭そうにしながらも、そう言ってのけた。凄い。
僕よりシスコンな人を初めて見た気がする。
姉に言わせると、憲太郎さんもシスコンだというが、間島君はレベルが違う気がした。
僕に対して、「お姉ちゃん大好き」と宣言したのだ。筋金入りのシスコンだろう。
「美歌に相談したら、磐神先輩に訊きなさいって、ちょっと不機嫌な顔で言われたんです」
間島君は苦笑いをして教えてくれた。なるほど、長須根さん、間島君のお姉さんに嫉妬してるんだな。
可愛いな。亜希ちゃんみたいだ。
「気持ち悪いな、二人共。男同士で何ニヤけてるのよ」
亜希ちゃんと長須根さんがアイスクリームの入った容器を抱えて戻って来ていた。
「男子がニヤニヤしているのは、エッチな事を話していた時だって聞いた事があります」
長須根さんまで悪乗りしてそんな事を言い出す。
「エッチな事なんか話してないよね、間島君?」
「ええ、してませんよね、先輩」
僕と間島君は別の意味で狼狽えていたかも知れない。
でも、何だかいろいろ収穫のあったダブルデートだった。