その二百十三
僕は磐神武彦。大学三年。
講義が深くなって来て、ちょっと戸惑っている毎日だ。
先日、姉と婚約者の力丸憲太郎さんが、母の実家に出向いた。
結婚式への招待と父の実家の住所を尋ねるためだ。
ところが、父の実家は引越しをしたらしく、年賀状が宛先不明で戻って来てしまったらしい。
「あんた、暇なんだから、何とかしなさい」
いきなり姉が電話で無茶ブリして来た。
「いや、暇じゃないし……」
そう言いかけ、グッと言葉を呑み込んだ。
「うん、わかったよ」
そう返事をするしかなかった。そうでもしなければ、延々と説教をされてしまうからだ。
そして、次の日、大学へ向かう道すがら、彼女の都坂亜希ちゃんに事情を話した。
「そうなんだ。日高さんの連絡先、知ってるの?」
亜希ちゃんが心配そうな顔で言う。
「日高さんの連絡先は母さんが知ってるんだけど、教えてくれないんだよ。もうそこまでしなくていいからって」
母の気持ちもわからなくはない僕は、そう言われてしまうとそれ以上追求できなかった。
だが、そんな結果を姉が許してくれるはずがない。何とかしないと、説教地獄が待っている事になる。
「日高さん以外で連絡先を探せないの?」
亜希ちゃんは角を曲がりながら言った。僕は首を傾げて、
「誰かいたかなあ……」
記憶の糸を解きほぐしていくと、一人の人物に思い当たった。
「あ、いた」
そう言ってしまってから、亜希ちゃんがいる事を思い出し、しまったと思った。
「え? 誰?」
亜希ちゃんがすかさず顔を覗き込んで来た。僕は鼓動が速くなり過ぎて、発作を起こしそうになった。
「あ、いや、勘違いだったよ。その人は知らないと思う」
嫌な汗をたんまり掻きながら、何とか話をはぐらかそうとしたのだが、僕の事を僕以上に知っている亜希ちゃんにはそんな誤摩化しは通用しなかった。
「惚けないでよ、武彦。誰なの、その人は?」
亜希ちゃんは僕の前に立った。こうなったら、白状しないと余計勘ぐられてしまうと判断し、意を決した。
「日高さんのお嬢さんの実羽さんの携帯電話なら知ってる……」
怒られると思った僕は思わず首を竦めた。
「もう、武彦、私がどれほど嫉妬深いと思っているのよ。実羽さんは旦那さんとお子さんがいらっしゃる方でしょ? そういう人にまで嫉妬しないわよ」
目を上げると、亜希ちゃんが何故か顔を赤らめて僕を見ていた。
「ご、ごめん」
僕は自分の妄想の逞しさが恥ずかしくなってしまった。
結局、実羽さんにはその時は連絡が取れず、講義が終わってからもう一度連絡を取る事にした。
ところが、ロビーで休講や変更を確認して、一時限目の講義に向かっている途中で、実羽さんから電話が入った。
「おお、磐神君、亜希ちゃんがここにいるのに、誰から電話?」
一つ歳上の同級生のである長石姫子さんがニヤニヤして言った。
「姫子、面白がったら失礼だよ」
彼の若井建君が窘めてくれた。
「知り合いの女性です」
僕はそう返すと、その場から離れて通話を開始した。
「大丈夫なの、亜希ちゃん?」
まだ長石さんはそんな事を言っているが、
「そういう人じゃありませんから」
亜希ちゃんが余裕の笑みで応じたので、どうにか諦めてくれたようだ。
「すみません、実羽さん、お忙しいですか?」
声を落として尋ねると、
「大丈夫よ。さっきは出られなくてごめんね。ママ友と話し中だったから」
実羽さんに事情を説明し、父の実家の連絡先を知りたい旨を告げた。
「ごめん、それ、力になれないと思う」
「え? どういう事ですか?」
実羽さんの申し訳なさそうな声に僕はびっくりして訊いた。すると実羽さんは、
「父も知らないのよ。年賀状を送ったら、戻って来たって言ってたから。貴方のお父さんの知り合いには教えていないようなの、転居先を」
驚くべき展開だった。そんなに怨まれているのか、僕達って? 何だか悲しくなって来た。
「本当にごめんなさい、武彦君。私も別の伝で探してみるから、わかったら連絡するね」
「ありがとうございます」
実羽さんの優しい心遣いに危うく泣きそうになってしまった。
僕はすっかり落ち込んで、通話を終えた。
「どうしたの、武彦?」
亜希ちゃんが近づいて来た。それに続こうとした長石さんが若井君に止められている。
「実は……」
僕は亜希ちゃんに経緯を説明した。亜希ちゃんもびっくりして目を見開いた。
「そんな、酷いわ。どういう人達なの」
「でも、父さんと母さんが悪いんだから、仕方がないんだよ」
僕は亜希ちゃんの怒りを鎮めようと思ってそう言ったのだが、
「武彦のお父さんとお母さんの事をそんなにいつまでも許さないなんて、信じられないわ」
亜希ちゃんは更にヒートアップしてしまった。
「それに日高さん達にまで教えないなんて、どう考えてもおかしいわよ」
亜希ちゃんの怒りは収まらない。その時だった。僕の携帯が鳴った。この着メロは確か……。
「お久しぶりです、叔父さん」
母の弟の豊叔父さんからだった。亜希ちゃんはハッとしてヒートアップを停止してくれた。
「よう、久しぶりだな、武彦。義兄さん、いや、お父さんの実家を探しているんだって?」
思わぬ言葉を聞き、僕は亜希ちゃんと顔を見合わせてしまった。
「誰に聞いたの、叔父さん?」
「日高さんだよ。日高さんは、実羽さんに聞いたって言ってたよ」
凄い連絡網だ。実羽さんが動くのも早かったが、日高さんも早い、そして、叔父さんも。
「確かにあの家は徹底しているんだよな。それもこれも、お前のお父さんの兄である研二さんの奥さんが原因なんだけどな」
確か、父が母と駆け落ち同然の結婚をして家を飛び出してしまったので、実家に祖父母との同居を余儀なくされたとか聞いたな。
「で、美鈴の決意は固いのか?」
叔父さんは姉の思いを確認して来た。
「姉もそうだけど、婚約者の力丸憲太郎さんが、お父さんの実家と絶縁状態なのは良くないって言って。二人共、本気だよ」
僕は叔父さんに姉達の熱意が伝わるように話した。
「そうか、わかった。じゃあ、お前達のお父さんの同級生を当たってみるよ。只、その多くは、向こうの味方の可能性があるから、あまり期待しないでくれよ」
「うん、ありがとう、叔父さん」
僕は叔父さんの言葉に希望を持ち、通話を終えた。
「何とかなるといいね」
亜希ちゃんが涙ぐんで言ってくれた。
「そうだね」
僕もそれだけを願っていた。
でも、事はそう簡単には運ばないのだ。