その二百十(姉)
私は磐神美鈴。社会人一年生を終え、二年生になった。
いや、考えてみると、そんな数え方はないのかも知れない。
つい先日、母がかつて父と母を争った事がある日高健史さんと頻繁に会っているのを知り、ガツンと言ってやろうと思って母を婚約者である力丸憲太郎君との新居に呼んだが、ガツンとやられてしまった。
父が夢枕に立ったとか、それ反則だよ。そういうのを出されると、何も言えなくなっちゃう……。
でも、母の人生は母のものなんだから、最終的に私や愚弟の武彦には口を挟む権利も余地もないのだ。
あ。愚弟で思い出した。
あいつ、最近全然連絡も寄越さないし、顔も出さない。
もうすっかり、私の事なんか、忘れてしまったようだ。
「そんな事ないよ。武彦君が美鈴を忘れる訳ないじゃないか」
夕食を終えてから、憲太郎君が言った。
「そうかなあ。ここ一週間、あいつ電話はもちろん、メールすら送って来ないんだよ?」
口を尖らせて不満を言うと、憲太郎君は苦笑いして、
「それが普通でしょ? 僕だって、姉貴には週に一回連絡すればいい方だよ」
「え? そうなの?」
憲太郎君も、私的には結構な「シスコン」だと思っているのだけれど、その憲太郎君が、あの「ザ・お姉様」という感じの沙久弥さんにそんなたまにしか連絡しないなんて、びっくりだ。
「武彦君は気遣いの人だからね。僕と美鈴の生活の邪魔をしたくないと思っているんだよ」
憲太郎君は食器を片付けながら言う。
「そうかなあ? あいつ、気遣いできない人間に分類されると思うけど?」
私は武彦がそんな繊細な人間だとは思えないのだ。
「美鈴は武彦君を過小評価しているよ。いくら姉弟でも、そこまで決めつけたら、武彦君が可哀想だよ」
憲太郎君はいつになくあいつの肩を持つ。ちょっとムッとしてしまう。
「どうしてそんなに武彦を庇うのよ? 何か頼まれてるの?」
私は腹立ち紛れについそんな事を言ってしまった。憲太郎君はシンクで洗い物をしながら、
「そんな事ある訳ないだろ? 武彦君を亜希さんに独占されて、イライラするのはわかるけど、そんな言い方はないと思うよ」
ギクッとしてしまった。
武彦には過ぎた彼女である都坂亜希ちゃん。
私は確実に亜希ちゃんに嫉妬しているのを思い知らされた。
「あれ、図星だった?」
憲太郎君はタオルで手を拭ってニヤリとして私を見る。
途端に顔が熱くなるのがわかった。確かに図星なのだ。認めたくないけど。
「ち、違うわよ」
それでも素直になれないのが、私。こういうところがダメだと思うけど、そんな簡単には性格は修正できない。
「そうかなあ。顔にはっきり書いてあるよ、武彦大好きって」
憲太郎君が茶目っ気たっぷりの笑顔でそう言ったので、私は泣きそうなくらい恥ずかしくなった。
「書いてある訳ないでしょ!」
そう言い返しながらも、両手で顔を擦ってしまっている私。ああ、ブラコンの姉の見本だ。
「でもさ、僕も嫉妬しているんだよ」
憲太郎君は不意に後ろに来て背中から私を抱きしめてくれた。
「え?」
また違う理由で顔が火照って来る。
「美鈴がいつも武彦君の事ばかり話題にするからさ」
「あ、私は別に……」
否定しようとして顔を上げた時、思った以上に憲太郎君の顔が近くにあった。
「あ」
憲太郎君は微笑んでキスして来た。しかも舌が入って来る濃厚なバージョンで。
「ドレッシングの味がする」
唇を放してそう言うと、憲太郎君は、
「僕はマーマレードの味がしたよ」
互いに微笑み合い、もう一度キスをした。今度は軽め。
今日は一緒にお風呂に入ろうかな、なんてテンションを上げ始めた時だった。
私の携帯が鳴った。しかもこの着メロは……。
「良かったね、美鈴。電話だよ」
憲太郎君がニッとして言う。私は、
「タイミング悪いんだから、あのバカ!」
ブツブツ言いながら、通話を開始した。
「何? 何の用? 今、憲太郎とラブラブな雰囲気だったんだけど?」
心と裏腹にそんな事を言ってしまうダメなお姉さんを許してね、武君。
武彦は私の機嫌が悪いと思ったのか、酷く慌てている。笑いを噛み殺すのが大変だ。
「え? 来週の日曜日? ダメダメ、その日は久しぶりに二人共完全にオフだから、デートの予定なの。え? 亜希ちゃんも来るの?」
元々そんな予定はないので、チラッと憲太郎君を見る。憲太郎君は肩を竦めてみせた。
「亜希ちゃんが来るのなら、仕方ないわね。あんたは来なくていいから、亜希ちゃんだけで来るように言ってよ」
ちょっときつい冗談だとは思ったが、言ってしまった。すると、急に武彦は黙り込んでしまった。
あれ? やり過ぎた? 憲太郎君を見ると、腕組みして呆れた顔だ。
今度は私が慌ててしまった。
「うそうそ、冗談。そんな訳ないじゃん、武彦。あんたが来なくてどうするのよ? 亜希ちゃんが困るでしょ、そんな展開はさ」
何とか取り繕い、楽しみにしていると言って通話を終えた。
「相変わらずだね、美鈴は」
憲太郎君は苦笑いしていた。私もバツが悪くて苦笑いをした。
「やり過ぎたかな?」
私はシュンとしてしまった。実際、酷かったと反省はしている。
「今頃、武彦君は亜希さんに言いつけているよ、美鈴の所業を。これでますます足が遠のくね」
憲太郎君の意地悪な言葉にも反論ができない。
「あいつが来たら、ちゃんと謝るよ」
それは上辺だけのものではない。本当にそう思ったから出た言葉だ。
「まあ、本当の事を言うと、できれば足が遠のいてほしいよ、僕としてはね」
憲太郎君が今度は正面から抱きしめてくれた。ドキドキしてしまう。
「それって、ヤキモチ?」
私は悪戯っぽく笑って尋ねた。すると憲太郎君はまたキスをしてくれた。
「そうだよ。一番のライバルだからね、武彦君は」
その言葉にまた顔が熱くなる私だった。




