その二百二(姉)
私は磐神美鈴。今年の誕生日に婚約者の力丸憲太郎君と結婚式を挙げる事になっている。
憲太郎君がリオデジャネイロのオリンピックを目指すので、私は彼の健康管理と食事管理の補助をするために今同じマンションで暮らしている。
結婚後もそのまま暮らす予定だ。ムフフ。
「さっすが、憲ちゃんね。マンションの選択にそつがないわ」
今日は日曜日。
高校からの同級生である藤原美智子が遊びに来てくれている。
「お父さんの友人の方の紹介なのよ。憲太郎が選んだんじゃないわ」
私は淹れたての紅茶の入ったカップを出しながら応じた。
「でも、賃貸でここまで奇麗な部屋って、なかなかないよ、美鈴。しかも、家賃も格安なんでしょ?」
美智子は私の気持ちなんてお構いなしに部屋の中を見渡した。
「まあね。お父さんの顔が利いて、普通の家賃より随分安いわ。憲太郎はお父さんに頼るのは嫌だったみたいだけど、自分で探しても希望の物件が見つからなかったようなの」
私はリヴィングと繋がっているダイニングのテーブルに着き、いい加減座れと美智子に目で合図した。
「なるほどねえ」
美智子はニコニコして向かいの椅子に腰を下ろす。
防戦一方なのは癪に障るので、ある筋からの情報をぶつけてみる事にした。
「それはそうと、美智子もいよいよ結婚するらしいね?」
言い逃れはさせませんという目で彼女を見据えた。すると美智子は目を見開いて、
「ええ!? どうしてそんな事を知ってるの?」
かなり驚いたようで、瞬きを忘れている。私は心の中でガッツポーズをして、
「親友の私にも内緒にするなんて許せないと思ったんだけど、急に決まったらしいわね」
更に畳み掛けた。すると美智子は照れ臭そうに笑って、
「うん、そうなんだ。同じ部署の子なんだけど、先月いきなり告白されてさ……」
「同じ部署の子?」
さすがにそこまでは情報筋も教えてくれなかった。実は情報筋とは美智子の妹さんなのだ。
「何だ、そこまでは知らないんだ? 言って損しちゃった」
美智子はテヘッと笑った。こいつ、年下君と結婚するのか?
我が愚弟の武彦を貸して欲しいと言っていたのは、結構本心だったのかな?
「その子との関係がちょっと複雑でね。彼は高校を卒業して入社しているから、二つ年下なんだけど、社内では先輩なのよ」
美智子の惚気話が始まった。彼女は高校の頃からそういう話をしたがる方だったのを忘れていた。
「いろいろ教えてもらったりして、他の男性社員より長く接していたせいか、お互い意識するようになってさ……」
うわあ。社内恋愛、社内結婚ですか? ちょっとだけドキドキしてしまった。
「何かさ、運命感じちゃって、彼にプロポーズされた時、即答したの。彼もその場で返事がもらえるとは思っていなかったみたいで、驚いてたわ」
ニヤニヤして話す美智子を見ていると、イラッとしてしまいそうだ。
結局、してやったりと思ったのは、最初だけだった。
「はいはい、ご馳走様」
私は肩を竦めて言った。
「何よ、美鈴、貴女から訊いといて、その言い草はないんじゃない?」
惚気話を中断されて、美智子が不満そうに頬を膨らませている。
「ごめんごめん。で、いつ式を挙げるの?」
「来月の十日よ。大安だし、私の誕生日前にしたかったし」
またヘラヘラしている。美智子って、三月三十一日が誕生日なんだっけ。
「悪かったわね、誕生日に式を挙げる事にして」
ちょっと嫌味っぽく返した。すると美智子はギョッとした顔で、
「え、ああ、そうだっけ。ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないのよ……」
慌てて取り繕おうとしているのを見て、私はプッと噴き出してしまった。
「冗談よ。気にしてないわ」
「じゃあ、招待状出しても平気よね?」
美智子はまだ不安そうな顔をしていた。私は苦笑いして、
「平気平気。都合が合えば、憲太郎と一緒に出席させてもらうわ」
「ありがとう、美鈴」
美智子が涙を流して喜んだので、私も貰い泣きしてしまった。
「急だったし、私も彼もまだ貯金ないから、簡単な式になるけど……」
美智子は涙を拭いながら言った。私もティッシュで目を拭きながら、
「式は内容じゃないわ。思いよ、美智子」
そう応じ、微笑み合った。
しばらくあれこれ話して、美智子が帰る事になった。
「そう言えばさ、武彦君、寂しがっていない? ここには来た事あるの?」
美智子はコートを羽織ながら訊いてきた。私は彼女にショルダーバッグを渡しながら、
「来た事ないよ。私がいなくなってせいせいしているんじゃない?」
つい強がりを言ってしまった。
「そんな事ないよ。きっと寂しがってるって」
美智子はバッグを肩にかけて微笑む。
「私もせいせいしているから、あいつもそうだよ」
更に強がりを言った時、ある記憶が甦った。まずい!
「美智子、急いだ方がいいよ、電車、間に合わなくなるよ」
私は急き立てるように彼女を玄関まで送り出す。
「どうしたの、美鈴? 別に電車なんて十五分おきに出てるから大丈夫よ」
美智子がそう言った時、間が悪い事にテーブルの上の携帯がメールの着信を知らせるため、ブルブル震えた。
「あ、メール来たみたいよ、美鈴」
「あ、うん、大丈夫」
私は強引に美智子を玄関から外廊下へと押し出した。
「ああ、何だ、そういう事?」
美智子が廊下の先にあるエレベーターの方を見てニヤリとした。
遅かったか……。
「それならそうと言ってくれればいいのに。さてさて、邪魔者は退散しましょうか」
美智子はドヤ顔でそう言うと、廊下をスタスタと歩いて行く。
「あ、今日は、藤原さん」
エレベーターから降りて来たのは、我が愚弟武彦。今日は恋人の亜希ちゃんと一緒に来るはずなのに、どうしてあいつだけなの?
そのせいで美智子に余計な疑いを抱かれたわ!
「今日は、武彦君。ごゆっくり」
美智子はニコニコして応じ、そのまま去って行った。ああ……。
「姉ちゃん、さっきメール送ったんだけど、見てくれた? 亜希ちゃん、来られなくなってさ」
呑気にそんな事を言い出す武彦を見ていると、怒る気力が失せた。
「よく来た、武! 今日は泊まってくか?」
冗談でそう言うと、武彦の顔が引きつった。
「だ、ダメだよ、泊まれないよ!」
何でそんなに全力否定なんだ、お前は!?
ちょっとだけ悲しい私は「弟大好きお姉さん」だなあ。