その二百一(亜希)
私は都坂亜希。もうすぐ大学三年。
幼馴染みで恋人でもある磐神武彦君とは順調。
そして、最大の強敵(?)である武君のお姉さんの美鈴さんが家を離れ、婚約者の力丸憲太郎さんと暮らし始めてひと月が過ぎた。
武君から、美鈴さんが家を出るという話を聞いた時、私の中にいる悪い私が、
「チャンスよ。一気に畳みかけなさい」
そんな悪魔の囁きにも似た事を言った。
いや、そんな都合のいい表現は間違っている。
私自身がそう思ったのだ。美鈴さんが武君から離れた今こそ、一歩踏み出す時なのだと。
自分で自分が嫌になってしまう。
そうは思いながらも、武君のシスコンを薄めようと動いたのは確かだ。
美鈴さんがいなくなって寂しそうにしている武君を慰めるために家に行ったり、呼び出したりした。
恋人としての距離を詰めたいと思ったのも事実だけど、やっぱり長い時間武君と美鈴さんを見て来た幼馴染みとしては、暗い顔をしている武君を励まさずにはいられなかったのも本当なのだ。奇麗事ではなく、嘘偽りのない気持ちだ。
それはまさに男と女の関係を超えた感情だったと思う。
そして、武君から、美鈴さんと憲太郎さんの挙式の日取りが決まった事を伝えられ、自分の事のように嬉しくなった。
武君に教えられたのが、土曜日の遅い時間だったので、私は次の日の午前十時過ぎに美鈴さんの携帯に連絡した。
「亜希ちゃん、ありがとう」
美鈴さんは私がお祝いを言うと、声を詰まらせながら応じてくれた。泣いていたのかも知れない。
「私も一刻も早く、美鈴さんの義妹になりたいです」
皮肉でも挑発でもなく、そう言い添えた。顔が火照るのがわかった。
「うん、私も待ってるよ、亜希ちゃん」
美鈴さんの優しい声に私も涙が出てしまった。
「ありがとうございます」
涙を拭いながら言い、通話を終えた。
それから、一週間。
今日は武君と共に親友の須佐(旧姓:櫛名田)姫乃ちゃんの家に来ている。
一月二十三日に予定通り出産を終えた姫乃ちゃんは、一週間後、ご両親とご主人の須佐昇君が待つ実家に帰った。
それから更に十日が経過した。
姫ちゃんも須佐君も日常を取り戻しつつあるので、武君とお祝いに訪れたのだ。
「可愛い!」
応接間で待っていると、姫ちゃんが赤ちゃんを抱いて来た。それを守るように須佐君がついて来た。
生まれてまだ日が浅いのに、結衣ちゃんと名付けられたその子は、目をパッチリ開けていた。
「昇は私がここに戻る日に引っ越して来たの。これからしばらくは二人でここで暮らすの」
すっかりママの顔になった姫ちゃんが微笑んで言うと、須佐君は照れ臭そうに微笑み返した。
「僕にできるだろうかって不安だったけど、今は結衣のためなら何でもできるって思えるんだ」
須佐君の嬉しそうな表情を見ていると、子供って凄いと思えてくる。
「もう親バカ全開なの。先が思いやられるわ」
姫ちゃんは呆れ顔だ。
「というか、姫ちゃんヤキモチ焼いてるんでしょ、結衣ちゃんに?」
私は結衣ちゃんと姫ちゃんを見比べながら尋ねた。すると図星だったらしく、
「な、何言ってるのよ、亜希ったら!」
わかり易いほど狼狽える姫ちゃんは可愛らしかった。
武君はと言えば、結衣ちゃんにジッと見つめられて、何故かビビっていたように見えた。
初対面の女性は怖いらしいと美鈴さんから聞いていたけど、まさか赤ちゃんでも怖いのかな?
「二人も早く結婚して早く子供作った方がいいよ。年を取ってからの出産は大変だし、子供の将来を考えると、親が若いのはメリットが大きいよ」
姫ちゃんは武君がいるのも構わずに授乳を始めたので、武君の方がびっくりして背を向けたほどだ。
「姫乃、磐神君が困ってるじゃないか。場所をわきまえろよ」
須佐君も姫ちゃんの胸を見ないようにして窘めた。
「何言ってるのよ、昇? 授乳をそんな風に考える方が嫌らしいのよ。ねえ、亜希?」
姫ちゃんは全く気にする様子もなく私に同意を求めて来た。
「え、ええ、そうかもね」
私はどう返事を返したらいいのか考えたが、同意しておいた方がいいと判断し、苦笑いして言った。
私達はしばらく歓談して、お暇した。武君はずっと俯いたままだったので、首が凝ってしまったみたいだ。
「大丈夫、武彦?」
首を擦っている武君を気遣って声をかけると、
「うん、大丈夫だよ、亜希」
武君は弱々しく微笑んで応じた。全然大丈夫に見えない。
「二人の赤ちゃん、可愛かったね」
武君は首を擦るのをやめて言った。私は武君の顔を覗き込んで、
「私達も早く結婚して、早く子供欲しいね」
すると武君は何故か顔を赤らめて、
「う、うん、そうだね」
何を想像したのよ、武君? 姫ちゃんのおっぱい、実はしっかり見てたのね?
「心配しなくて平気よ、武彦。私も妊娠すれば、おっぱいが大きくなるから」
ニッとして言うと、武君は慌てたようだ。
「ち、違うよ、亜希! そんな風に思っていないって! 亜希は巨乳だよ」
白々しいとは思ったけど、武君が必死なのがわかって嬉しくなった。
「武彦」
私は細い路地に武君を誘い、キスをおねだりした。
「亜希」
武君は私をそっと抱き寄せると優しくキスしてくれた。
私達は私達のペースで行こうね、武君。
ああ、でも子供って可愛い!