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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学二年編
201/313

その二百

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。もうすぐ大学三年。


 姉が家を出て、婚約者の力丸憲太郎さんと暮らすようになってから、早くもひと月が経とうとしている。


 自分でも惨めなほど動揺してしまったのは、憲太郎さんにとても失礼だと思った。


 いつかしっかりお詫びしないと。


 そんな事を考えながらバイト先から帰宅した。今日は土曜日。母も早く帰って来ていた。


「只今」


 そう言いながらも、僕は玄関に姉の靴があるのに気づいた。


 前触れもなく帰って来たので、憲太郎さんと何かあったのかと思ってしまった。


「お帰り、武彦。美鈴が帰って来ているよ」


 キッチンから母が玄関まで来て教えてくれた。聞くまでもなくわかっていたのは言わず、


「そうなんだ。何かあったの?」


 大して関心がないフリをして尋ねた。母は僕を引っ張るようにして、


「話は直接美鈴から聞きなさい。あの子もそう言っていたから」


「え?」


 そんな風に言われると、逆にドキドキしてしまう。


 何があったんだろう? 直接話したいって、どういう事だろうか?


 僕は高鳴る鼓動を感じながら、キッチンに行った。


「お帰り、武彦。元気そうで良かった」


 姉は微笑んで迎えてくれた。少なくとも、僕に怒っているのではないのがわかり、少しだけホッとした。


「姉ちゃんこそ、元気そうだね。どうしたの、急に? 何かあったの?」


 僕は向かいの椅子に座りながら訊いた。すると姉は何故かクネクネし始めた。


「うん、ええと、そうだと言えばそうだし、違うと言えば違うし……」


 何だ? どうも様子がおかしい。というか、ちょっと動きが気持ち悪い。


 そんな事を思っているのを気づかれれば、激怒されるだろうけど。


「何を躊躇っているの、美鈴。早く言いなさいよ」


 母までソワソワしている。何だろう? 悪い事ではなさそうなのは母が笑顔なので理解できるんだけど。


 姉はクネクネするのをやめて、僕を見た。その視線にギクッとし、思わず身を引いてしまう。


「憲太郎がね、結婚しようって言ってくれたの」


 姉はキャッと言って両手で顔を覆う。何言ってるの? プロポーズは何年も前にすませてるでしょ?


 意味がわからない。


「美鈴、武彦がポカンとしてるわよ。順を追って、キチンと説明しなさいよ」


 母が一人で盛り上がってしまっている姉に言った。


 姉は母の言葉で我に返ったらしく、また僕を見た。


「ああ、ごめん。えっとね、式の日が決まったの」


「え?」


 式の日と言うと、結婚式の日だよね。ああ、そういう事か。


「今年の私の誕生日の六月十五日に式を挙げる事になったの」


 本当に嬉しそうに話す姉はまた奇麗になった気がした。


 女性は幸せを感じると美しくなるって聞いた事があるような気がする。今の姉がまさしくそれかも知れない。


「おめでとう、姉ちゃん」


 僕は心の底からそう思ってお祝いを言った。


「ありがとう、武彦」


 何故か姉は涙ぐんだ。


「何泣いてるの、美鈴。おかしいわよ」


 そう言っている母の目も潤んでいる。


「憲太郎と一緒に暮らすのをあんたに言いそびれて悪い事をしたから、今回は一番に伝えたいと思って来たんだ」

 

 姉は涙を拭いながら言った。それを聞いて、僕の涙の堤防は決壊した。


「ありがとう、姉ちゃん」


 いろいろ思い出して大泣きしてしまい、母と姉に心配されてしまった。情けないなあ……。


 


 姉は日曜日に憲太郎さんの試合があるので、マンションに帰って行った。


 朝早く起きて、朝食を作るのだそうだ。


「亜希ちゃんには武彦から伝えてね」


 姉にそう言われたのを思い出し、見送った後ですぐに亜希ちゃんの携帯に連絡した。


「どうしたの、武彦? 何かあったの?」


 亜希ちゃんも遅い時間だったので驚いたみたいだ。でも、明日にするのはまずいと思ったので、そこは謝り、姉の事を伝えた。


「そうなんだ。おめでとう、武彦」


「うん」


 亜希ちゃんの言葉にちょっとだけ複雑な思いがよぎる。


「私も、美鈴さんに直接お祝い言いたいから、明日電話しても平気かな?」


 亜希ちゃんが尋ねて来た。


「平気だよ。朝は朝食作りで忙しいかも知れないけど、昼間なら出られると思うから」


「わかった」


 亜希ちゃんとの通話を終え、僕は風呂に入った。


「姉ちゃん」


 湯船に浸かり、無意識のうちにそう呟いていた。


 いつの間にか零れていた涙に気づき、慌てて顔を洗った。


 式当日、改めて姉にお祝いの言葉を送りたい。


 そういうのは苦手で、避けて来たけど、それだけは頑張ってみたい。


 たった一人の姉だから。そして、僕が今こうしていられるのも、姉のお陰が大きいのだから。


 幸せになってね、姉ちゃん。

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