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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学二年編
200/313

その百九十九(姉)

 私は磐神いわがみ美鈴みすず。社会人一年生。


 入社したての頃は、建設会社の営業なんて、今までアルバイトでしていた現場の作業と全然違って、続けられるのだろうかと思った。


 だが、優しい先輩方や、素敵な上司に助けてもらって、何とか独り立ちできた。


 何より役立ったのは、建設現場の経験だった。


「あそこの現場監督は細かくて嫌味な性格だから、気をつけた方がいいよ」


 先輩の御真津みまつ可恵かえさんが教えてくれた。


「そうですか」


 私はド緊張して現場を訪れた。


「やっぱり、美鈴ちゃんだ!」


 ところが、そこにいたのは、以前何度か現場で顔を合わせている人だった。


「あ、お久しぶりです」


 私はホッとした。周りにいた人達も、みんなアルバイトしてた時に一緒に働いた事がある人達ばかりだった。


「作業着姿も可愛かったけど、スーツ姿もいいねえ」


 監督さんは嬉しそうに言った。気恥ずかしくなって頭を掻いた。


「営業の連中は、現場の事を何も知らずに勝手な事ばかり言うからムカつくんだよ」


 監督さん始め、皆さんが口を揃えて言う。


「その点、美鈴ちゃんなら安心だ。現場を知っている営業は頼もしいよ。仲間にも美鈴ちゃんの事、話しとくから、頑張りなよ」


 監督さんは、私と同い年の娘さんがいたそうだ。


 高校生の時、バイト帰りに飲酒運転の車にはねられ、亡くなってしまった。


 だから、現場が一緒になると何かと私を気遣ってくれた。


 私の父も交通事故で命を落としているので、監督さんの気持ちがよくわかった。


 その監督さんだけではない。


 アルバイトをしていた建設会社の人達や、他の現場で知り合った人達も、次々に仕事を発注してくれた。


 最初はそんなつながりだけの仕事しか取れなかったが、やがてそれが本当の信頼になっていった。


「磐神美鈴という営業社員は現場を知っていて、確実にその声を伝えてくれる」


 そんな事を聞いた。その時は嬉しくて涙が出そうになった。


 続けていける。そう思えた。


 


「どうしたの、涙ぐんだりして?」


 不意に声をかけられ、現実に引き戻された。


 私は今、婚約者の力丸憲太郎君と会社から二駅離れたマンションで同居している。


 憲太郎君が不思議そうに夕食を料理中の私の顔を覗き込んでいた。私は苦笑いして涙を拭い、


「仕事を続けられると思った時の事を思い出していたの。もうすぐ一年経つでしょ?」


「何だ、そうなんだ。僕はてっきり、武彦君と会いたくなって泣いているのかと思ったよ」


 憲太郎君はニヤリとしてそんな意地悪を言う。私は目を見開き、


「な、何言ってるのよ! そんな訳ないでしょ!」


 顔が真っ赤になっているのを感じた。


 たった一人の弟の武彦。


 小さい頃は泣き虫で、高校の途中まで勉強が苦手だった。


 ところが、幼馴染みの都坂みやこざか亜希あきちゃんに告白されてから、どんどん変わっていった。


 ホッとする反面、武彦を亜希ちゃんに盗られたという思いが確実にあった。


 情けない事だが、私は「弟大好きお姉さん」だった。いや、今でもそうなのかな?


「そうだ、今度の休みに姉貴のところに行こうか?」


 憲太郎君が食卓に盛りつけが終わった皿を運びながら言った。


「憲太郎こそ、沙久弥さんに会いたいんじゃないの?」


 私も負けずに言い返した。すると憲太郎君は爽やかに笑って、


「そんな事ないよ。僕は、隆久に会いたいんだよ」


「ああ、そうね。叔父さんになったんだもんね、憲太郎は」


 私はニッとした。


「その響き、嫌だなあ。隆久には『憲太郎お兄ちゃん』と呼ばせよう」


「何それ?」


 私は炊飯ジャーからご飯をよそいながら呆れ顔で彼を見た。


「美鈴、ちょっと座って」


 憲太郎君が急に真顔になって手招きした。何だろう? キスするのならこんな事はしない。


「何?」


 私はお茶碗を運んでテーブルに置いてから、椅子に腰かけた。


「美鈴、結婚しよう」


 憲太郎君は真顔のままで言った。


「何言ってるのよ、憲太郎? プロポーズはもうすませてるじゃない?」


 私は憲太郎君がボケをかまして来たのかと思った。すると憲太郎君はクスッと笑って、


「そうじゃないよ。今年の六月、美鈴の誕生日に式を挙げようって事だよ」


「ええ!?」


 いきなり、式の予定を発表? しかも、私の誕生日に?


「どう? 急過ぎるかな?」


 俯きかけた私の顔を憲太郎君がまた覗いてくる。


「そんな事ない。私、プロポーズされてから、ずっと待ってたんだから。遅いくらいだよ」


 零れ落ちそうな涙が溜まった目を上げて、私はこれ以上できないくらいの笑顔で応じた。


「良かった」


 憲太郎君はホッとして微笑み、私の手を握りしめてくれた。


「今年の六月に結婚すれば、リオに行くまでには子供も大きくなるから、親子揃って行けるね」


 私は憲太郎君の手を握り返して言った。


「そうだね」


 憲太郎君は何故か照れ臭そうだ。


「頑張ってね、パパ」


 私はそう言って立ち上がると、彼に口づけした。


「み、美鈴……」


 憲太郎君はびっくりしていたが、すぐに立ち上がり、私を抱き寄せてキスを返してくれた。


「今度は武彦君に一番に教えてあげてね。恨まれたくないから」


 その言葉に私は苦笑いするしかなかった。


 私が家を出るだけであんなに暗くなっていた武彦だから、結婚式をするなんて言ったら、どんなリアクションをするのだろうか?


 今から心配だ。

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