その百九十八(亜希)
私は都坂亜希。大学二年。というか、もう二年ではなく、三年でもないという感じ。
後期試験が終わり、受験生達が大学の下見に来る季節になった。
私達が下見に来てからもう二年も経ってしまったという事だ。
彼の磐神武彦君との毎日が充実していたお陰だと思う。
武君に言わせれば、私の嫉妬に呆れた二年だっただろうけど。
初詣の時も、
「今年こそ嫉妬しないので、このまま彼女を続けさせてください」
などと弱気な願掛けをしてしまった。
言い訳するつもりはないけれど、何故か武君の周りには美人が現れるのだ。
私の親友の須佐(旧姓:櫛名田)姫乃ちゃんを始め、武君のお姉さんの婚約者のお姉さんである西郷(旧姓:力丸)沙久弥さん、沙久弥さんの旦那さんのお姉さん方。
それから、大学の同級生の長石姫子さん、橘音子さん、後輩の長須根美歌さん。
更に、武君のお母さんの高校の同級生である日高建史さんのお嬢さんの実羽さん。
でも、本当に心配なのは、武君のお姉さんの美鈴さん。
二人はそんなおかしな関係ではないけど、仲がいいのは確かだ。
年明けして、年始の休暇が終わった時、美鈴さんが磐神家を離れ、婚約者の力丸憲太郎さんと暮らす事になった。
リオデジャネイロのオリンピックを目指すために栄養と健康の管理を補助するためだ。
その時の武君の落ち込みようを見ると、そうではないとわかっていても、心配してしまうのだ。
嫉妬はしないと誓ったのに、もうしてしまいそうな私。ダメだ。
そして、受験生にとって運命の日であるセンター試験の二日目。
私と武君は、西郷さんのお宅に向かっている。
沙久弥さんのお子さんを見に行くのだ。
同じく、西郷さんの一番上のお姉さんである恵さんも来るらしい。
恵さんは二人のお嬢さんがいるお母さんなので、いくら私でも嫉妬の対象にはしないけど(そんな事を気にする時点でどうかと思うが)、恵さんのお嬢さん二人が、武君に懐いている。
もちろん、お嬢さんと言っても、まだ八歳と五歳だから、こちらも嫉妬の対象ではない。
でも、その件に関しては、私が甘かった。驚くべき展開が待っていたのだから。
大きな引き戸を開いて玄関土間に入ると、
「いらっしゃい、武君!」
よそ行きのようなお粧しをした服を着た、恵さんの次女の真子ちゃんが上がり框ではち切れそうな笑顔で言った。
「こ、こんにちは、真子ちゃん」
武君は面食らいながらも微笑み、挨拶をした。
「こんにちは、真子ちゃん」
私も身を屈めて真子ちゃんに視線を合わせて言った。ところが、
「ほら、武君、早く上がって」
真子ちゃんはまるで私がそこに存在しないかのように無視した。ああ、心が折れそうだ。
「いらっしゃい、亜希さん、武彦君」
奥から恵さんが来てくれた。そして、
「真子、亜希さんにご挨拶は?」
その場に急に緊張感が漂うような厳しい声で恵さんが言った。武君の手を引いていた真子ちゃんがピクンとした。
それに釣られて武君までピクンとしたのには、思わず笑いそうになった。
「こんにちは、亜希さん」
無表情な顔の真子ちゃんが言った。また心が折れそうになる。
「真子!」
恵さんが真子ちゃんの態度に声を荒げたが、真子ちゃんは素知らぬフリで武君の手を引き、廊下を歩いていった。
「ごめんなさいね、亜希さん」
恵さんは申し訳なさそうに私に詫びてくれた。私は微笑んで、
「いえ、大丈夫です」
そう言いながら、自分を省みた。
自分が嫉妬していた時、真子ちゃんのような態度を取っていたのではないかと。
反省しないと。
ところが、その後、私はもっと心が折れそうな思いをする事になる。
廊下を進んで客間に通された私は、そこで固まってしまった。
何故なら、大きなテーブルの前に座布団を敷いて正座している武君を挟んで、長女の莉子ちゃんと真子ちゃんが睨み合っていたからだ。
二人共、武君と腕を組み、互いをまさに射るように見ている。
間に挟まれた武君はすがるように私を見上げた。
また私は自分の姿を見ているようで辛くなった。
「何してるの、莉子、真子!」
恵さんに一喝されて、莉子ちゃんと真子ちゃんはスゴスゴと武君から離れ、反対側の端と端に座り、プイと顔を背け合った。
「武彦君は亜希さんとお付き合いしているのよ。貴女達は付き合えないの」
恵さんは泣き出しそうな二人に目の高さを合わせて微笑みながら言った。
「じゃあ、亜希さんと武彦お兄ちゃんが別れたら、莉子もお付き合いできるの?」
莉子ちゃんが凄い事を言い出した。恵さんは一瞬言葉を失ったようだ。すると、
「莉子ちゃん、真子ちゃん。僕は亜希の事が一番好きなんだ。だから、ごめん」
武君がまた怒鳴りそうな雰囲気の恵さんを制して言った。
私は顔が沸騰しそうなくらい熱くなるのがわかった。
莉子ちゃんと真子ちゃんは泣き出して客間を飛び出していってしまった。
「すみません、もっと言いようがあったですよね。ごめんなさい、恵さん」
武君は頭を下げて恵さんに謝罪した。すると恵さんは、
「いいのよ、武彦君。二人には私からよく言って聞かせるから」
武君はその言葉にホッとしたように私を見て微笑んだ。私は微笑み返した。
「さ、沙っちゃんが待ってるわ。こちらへどうぞ」
恵さんに促され、今日の目的である沙久弥さんとお子さんの隆久君が待つ部屋へと向かった。
隆久君は、まだ生まれたばかりなのにお父さんの隆さんと同じくしっかりした眉があり、目元や鼻筋はお母さんの沙久弥さんにそっくりだった。
あまりにも可愛かったので、私も早く赤ちゃんが欲しいと思った。
姫ちゃんも来週出産だし、高校の同級生の麻穂ちゃんも五月にはお母さんだ。
「どうしたの、亜希、思い出し笑いなんかして?」
帰り道、いつの間にか顔が綻んでいた私を見て、武君が尋ねた。
「隆久君、可愛かったなあって思ったの」
私は照れ臭くなって俯いた。武君は、
「そうだね。将来イケメンになりそうな顔立ちだったもんね」
「あら、それだとまるで私がイケメン好きで、顔だけで選ぶみたいね?」
ちょっとからかってみた。すると武君はびっくりしたらしく、
「そ、そんな事ないよ、亜希はもっと思慮深いと思うよ。だって……」
そう言って口籠った。どうしたんだろう?
「だって?」
私は促すつもりで武君の顔を覗き込んだ。
「だって、亜希は僕を選んでくれたんだもん」
武君の顔が見る見るうちに赤くなっていく。ええっと、ちょっと喜び方を考えないと武君に失礼ね。
「違うよ。武彦はイケメンで優しいから好きなんだよ」
今度は私の顔が火照っていく。そしてまた、木陰でキスをした。
ずっとこのまま武君といられますように。もう一度神様にお願いした。