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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学二年編
195/313

その百九十四

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学二年。


 先日、姉が婚約者の力丸憲太郎さんと同居すると決めた事を僕にだけ内緒にしていた事で、僕は動揺してしまった。


 姉は姉で悩んでいた。それに思い至れず、姉を責めるような事を言ってしまい、僕は後悔した。


 互いに自分の至らなさを謝り、また僕達は今までどおりの姉弟きょうだいに戻れた。


 


 そして、本日十二月十六日は、憲太郎さんのお姉さんである西郷沙久弥さんの出産予定日だ。


 陣痛が始まった沙久弥さんを夫の西郷隆さんとお母さんの香弥乃さんが付き添って入院予定の病院に連れて行った。


 僕と彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんは、まだ今日の何時頃産まれるかわからないので、僕の家で連絡を待つ事になった。


「姫ちゃんも来月の二十三日が予定日なの」


 居間のソファで亜希ちゃんはソワソワして言った。


 姫ちゃんとは亜希ちゃんの親友の須佐すさ姫乃ひめのさん。旧姓は櫛名田くしなださん。


「そうなんだ。須佐君、大変だね」


 僕はあの真面目一筋で姫乃さんに一途な須佐君がどれほどハラハラしているかと心配になった。


 西郷さんもそうだろうか、と思ったら、


「西郷さん、姉貴を送り届けたその足で現場へ急行だってさ」


 病院で西郷さん達と落ち合った憲太郎さんが連絡をくれた。


 西郷さん、最初の出産には立ち会いたいって言ってたらしい。残念だろうなあ。


「姫ちゃんの大変さに比べたら、どうって事ないわよ、もう!」


 亜希ちゃんは何故かプリプリして言う。現実に引き戻された僕はギクッとしてしまった。


「そ、そだね」


 思わず出てしまう昔の口癖。それくらい亜希ちゃんは怖かった。


「男の人って、出産の大変さを全然わかっていないのよ。だから、妻が妊娠している時に浮気とかしちゃうのね。信じられない」


 亜希ちゃんの怒りがどんどん増幅されていくのがわかり、僕は居間から逃げ出したくなった。


「あ、ごめん、武彦。私、一人で興奮しちゃって……」


 亜希ちゃんは僕の顔が引きつっているのに気づいたのか、顔を赤らめて詫びてくれた。


「ああ、いや、いいよ、別に。確かに世の男共は、もっと女性の苦労を知るべきだと思うよ」


 僕は亜希ちゃんに同調した訳ではなく、自分の思いを言った。


「ありがとう、武彦。優しいから、大好き!」


 亜希ちゃんはいきなりガバッと抱きついて来た。亜希ちゃんの柔らかいあれがギュウッと……。


 その時、改めて思い出した。


 母は仕事でいない。姉は憲太郎さんと病院。


 今、この家にいるのは僕と亜希ちゃんだけだと。


 心臓が突如として猛スピードで動き始めた。


「たまには武彦から仕掛けてよ」


 以前亜希ちゃんに言われた事を思い出す。


「亜希」


 僕は亜希ちゃんを押し戻して潤んだ目をした顔を見つめた。


 亜希ちゃんは静かに目を閉じ、いつでもどうぞという態勢だ。


 僕は唾を飲み込むのを堪え、亜希ちゃんにキスした。


 僕からは久しぶりのディープキス。


 しかも、結構長かった。


 唇を放した時、唾液が糸を引き、互いにバツが悪くなって苦笑いしてしまった。


「今、二人きりだね」


 亜希ちゃんは僕の唇についてしまった口紅をティッシュで拭いながら言った。


 何? それは何かの合図? 僕の心臓が更に動きを加速した。


「武彦」


 トロンとした目で僕を見つめる亜希ちゃんから、これでもかというくらいのフェロモンが放出されているような気がして、僕は思わず亜希ちゃんの両肩をグイッと掴んだ。


「亜希」


 亜希ちゃんが一瞬身を強張らせるのがわかった。


 長い沈黙が訪れた。


 僕と亜希ちゃんは見つめ合ったままで微動だにしない。


 胸の鼓動が亜希ちゃんに聞こえてしまうのではないかというくらい激しい。


「いいよ、武彦」


 亜希ちゃんは微笑んで言った。言ってしまった自分が恥ずかしいのか、俯いた。


 僕は顔が熱くなるのを感じ、肩を掴んでいた手を下へとずらした。


 その時だった。


 僕の携帯が鳴り出した。あまりにも絶妙なタイミングだったので、僕は飛び上がってしまった。


 携帯を開くと、姉からだった。


「沙久弥さん、今出産が終わったよ。男の子だ。名前も決まっていて、たかひさ君」


「たかひさ君?」


 僕はどういう字を書くのだろうかと思った。


「西郷さんの隆と沙久弥さんの久をとって、隆久君だよ」


 姉は僕の考えを読んだように教えてくれた。


「そう。いい名前だね」


「これから忙しくなるから、電話切るぞ。また後でかけるから」


 姉は気忙しそうにそう言った。


「うん」


 僕も通話を切ろうとした。すると姉が、


「悪かったな、亜希ちゃんと二人きりのところを邪魔しちゃってさ!」


 まるで見ていたかのように言い添えたので、僕は亜希ちゃんと顔を見合わせてしまった。


「怖いなあ、美鈴さん。どこかで見張っていて、電話かけて来たみたいで」


 亜希ちゃんはクスクス笑いながら言った。僕は苦笑いして、


「空気読めない姉でごめんね」


「そんな事、全然。私達は今日でおしまいって訳じゃないんだから、いつでも、その……」


 亜希ちゃんはまた恥ずかしそうに俯いた。僕は亜希ちゃんを抱きしめて、


「ありがとう、亜希」


 そう告げてから、軽めのキスをした。


「落ち着いた頃、隆久君に会いに行こうか、亜希」


 すると亜希ちゃんはニヤリとして、


「沙久弥さんに会いたいんじゃないの、武彦は?」


「ち、違うよ」


 別の理由で顔が火照る。亜希ちゃんはまたクスクス笑っている。


「冗談よ。気を持たせて、空振りしたから、ちょっとお仕置き」


 亜希ちゃんはペロッと舌を出して言った。


 可愛過ぎる!


 僕は自分の幸せ具合を改めて感じ、心が温かくなった。

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