その百九十一
僕は磐神武彦。大学二年。
高校に通っていた時と違って、一年が経過していくのが早い気がする。
もう今年も残すところ一ヶ月。
彼女の都坂亜希ちゃんと受験勉強をしていた時から二年が経ってしまった。
その間にいろいろあった。
亜希ちゃんと同じ大学に入学できた。
同じ外国語クラスの人達もあれこれあったな。
でも今はみんな仲良しになった。
亜希ちゃんの従兄の忍さんにも嫌がらせをされたけど、それも今では笑って話せる。
忍さんをずっと好きだった真弥さんが、いきなりキスして来た時は驚いた。
以前、寝ぼけた姉にキスされた時と、高校の時、今は人妻になった須佐(旧姓櫛名田)姫乃さんに不意打ちのキスをされた時以来の衝撃だった。
何故そんな事を不届きにも回想してしまったのかと言うと……。
亜希ちゃんのところに結婚式の招待状が届いたからだ。
しかも、何故か僕まで招待されていた。
「ごめんね、武彦。でも、忍さんと真弥ちゃんが、どうしても武彦を呼びたいって言うから」
亜希ちゃんは申し訳なさそうに両手を合わせている。
「そんなに謝らないで、亜希。別に僕は困っている訳じゃないから」
困ってはいないのは本当だが、どうしたらいいのか悩んでしまいそうなのも確かだ。
真弥さんは来年高校を卒業する。
忍さんも通っていた大学を中退するらしい。
何故、そんなに結婚を急ぐのかと思ったら、真弥さんが妊娠しているのだ。
先日、三ヶ月目だとわかったところらしいのだけど、忍さんは驚いたそうだ。
そして、大学を辞め、就職をして真弥さんと結婚すると決断したらしい。
忍さんは、自分が父親に対して誤解をしていた事を悔いていた。
同じ事を繰り返したくないから、きっちりけじめをつけたいらしい。
「何だか、私の周り、慌ただしいのよね」
今、僕達はコーヒーショップにいる。亜希ちゃんは飲みかけのエスプレッソを見つめながらそう呟いた。
確かにそうかも知れない。
中学の同級生の須佐君と櫛名田さんの妊娠、入籍、そして高校の同級生の富谷麻穂さんの結婚。
僕達がのんびりしている訳ではないのだけれど、そんな思い違いをしてしまいかねない事が連続している。
そこへ更に忍さんと真弥さんの結婚の話。
これで何も感じない方がおかしいような状況だ。
「僕達は僕達だよ、亜希」
僕はカフェラテを一口飲んでから言った。
「うん、そうだね。何も慌てる必要はないよね」
亜希ちゃんはホッとした顔になって微笑んだ。ああ、可愛い。こんな可愛い子が僕の彼女なんだ。
改めて自分は何て幸せなんだと思ってしまう。
「僕達が慌てたくても、上がつかえてるしね」
僕はクスッと笑いながら天井を指差す。亜希ちゃんもその意味がわかったらしく、
「そんな事言って、聞かれたら大変よ」
同じくクスッと笑った。その言葉で僕は思わず周囲を見渡してしまったけど。
それくらい、姉は地獄耳なのだ。
「だから、憲太郎さんには『早く結婚してください』って言ったんだ」
僕は亜希ちゃんに顔を近づけて小声で言った。
例え姉がどこかで聞き耳を立てていても聞こえないように。
「でも、美鈴さんは、リオの五輪が終わるまではしないって言ってたような……」
亜希ちゃんが不吉な事を口にした。
「え? じゃあ、あと四年はしないって事?」
「そうなるね」
亜希ちゃんは何故か微笑んでいた。何だ?
「でもね、気が変わったみたい。リオの五輪にベストなコンディションで臨めるように、早く結婚するみたいよ」
「ええ?」
どうして気が変わったんだろう? 何か良くない事が起こりそうな予感がしてしまう。
「誰かさんが急かしたからだって、美鈴さん、言ってたわよ」
亜希ちゃんは悪戯っぽく笑って僕を見た。
「え? 僕が言ったから?」
「そういう事。さすが、武彦ね」
亜希ちゃんは頬杖を突いて楽しそうだが、僕は嫌な汗が出て来てしまった。
やはり、これは何かある。姉が良からぬ事を企んでいるんだ。そう思った。
「美鈴さん達が早く結婚すれば、私達も早くできるし……」
亜希ちゃんは顔を赤らめて最後の方はゴニョゴニョになりながら言ってくれた。
「そうだね」
僕は俯いて恥ずかしそうにしている亜希ちゃんの手を包み込むように握って言った。
外国なら、このままキスなんだろうけど、そこまではできない。
もちろん、店を出て建物の陰で亜希ちゃんに強請られてしたけど。
「たまには武彦から仕掛けてよ」
久しぶりにそう言われてしまった。
「あ、うん」
ギュウッと亜希ちゃんが腕を組んで来たので、彼女の柔らかいものを感じつつ、僕は頭を掻いて応じた。
家に帰ると、姉が居間で連続ドラマの録画を観ていた。
「お帰り。早かったな」
姉は煎餅をバリバリ食べながら言ったので、口から欠片がこぼれ落ちた。
「ああ、姉ちゃん、汚いよ」
「何が汚いだ、失礼な!」
姉はムッとして僕を見上げると、
「亜希ちゃんの話って、何、武君?」
また似ていない亜希ちゃんの物真似を懲りもせずにして来た。
僕は呆れながらも、忍さんの結婚の話をした。
「ええ? あのお漏らし君、結婚するんだ。それはびっくりした」
姉にとっては、忍さんは永遠に「お漏らし君」のままなんだな。ちょっと可哀想だ。
「お漏らし君のくせに、私より早く結婚するなんて、許せん!」
ヘラヘラ笑いながらだったが、そんな事言い出す。
「許せんて、そんな……」
僕は呆れてしまった。
「祝電打とうか? お漏らし君、結婚おめでとうって」
姉はガハハと笑いながら更に酷い事を言った。
付き合い切れないので、僕は居間を出た。
でも、姉なら本当にやりかねないので不安だ。
でも、まさか、ね。