その百八十七(姉)
私は磐神美鈴。ようやく会社にも慣れ、貢献できるようになった社会人一年生。
今日は、母の高校の時の同級生で、亡き父の親友でもある日高建史さんのご家族と会食する事になっている。
母の弟の豊叔父さんが間に入り、事実上の「お見合い」となっている。
母は、
「日高君は只の同級生だから」
そんな事を言いながらも、普段はあまり念入りにしないお化粧に時間をかけていた。
何だかんだ言って、自分の事を好きだった人に会うのは嬉しいのかも知れない。
父には悪いけど、私も少し楽しみにしている。
日高さんが素敵な人であればあるほど、その日高さんに勝って母と結婚した父はもっと素敵だったという事になるから。
そんな事を考えているのを愚弟の武彦に知られると、
「ファザコンなの?」
そう言われそうで気になる。例え思っていても絶対に言わないだろうけど。
もし言ったら、二度と言わないようにお仕置きするつもりだ。
場所は日高さんが決めたようだ。高級料亭のお座敷だと言う。緊張してしまいそうだ。
「貴女はこれから、力丸家に嫁いだら、たびたびそういう場所に行く事になるのだから、慣れないとダメよ」
母に緊張を気取られてそう言われてしまった。
私以上に緊張しているのが、武彦だった。
「何であんたが緊張するのよ?」
私が小声で窘めると、
「だってさ、こんなところ、滅多に来ないから」
武彦はキョロキョロしながらお座敷へと続く縁側を歩いている。
「みっともないから、あちこち見回すのをやめなさいよ」
私は軽く奴の頭を叩いた。すると武彦は、
「あ、何だか落ち着いた」
ケロッとした顔で微笑んだ。私も武彦を叩いたせいなのか、気持ちが解れた気がした。
「訳わからない事言わないの」
私は自分も落ち着けたのを武彦に悟られたくなかったので、そう言って誤魔化した。
「磐神様がお見えになりました」
先導していたお店の女性が障子の前に立ち止まって告げた。
思わず唾を飲み込んでしまう。母もピクンとしたようだ。
「どうぞ」
中から男の人の声が聞こえた。多分、日高さんだ。
「失礼致します」
女性が縁側に膝を着き、ススッと障子を開けた。
「どうぞ、お入りください」
障子の向こうにある黒塗りの大きなテーブルに着いている白いものが混じった髪の男性が微笑んで言った。
この人が日高さんだ。間違いない。結構男前で、渋めのおじ様だ。もちろん、父には敵わないけど。
和室なのでてっきり正座なのかと思ったが、中には絨毯が敷かれていて、先方さんは椅子に腰かけていたのは意外だった。
「失礼します」
母が会釈をして入る。そして、私、それから武彦が入った。
男性のすぐ隣には黒髪のロングヘアの穏やかな笑みを浮かべた女性が座っていて、その隣の女性はショートボブで切れ長の目。
武彦からの情報だと、その人が次女の実羽さんだろう。彼女は武彦に小さく手を振っていた。
武彦はと言うと、私の視線を気にしたのか、顔を引きつらせていた。
「この度は、私の我がままをお聞き届けいただき、誠にありがとうございます」
日高さんが立ち上がり、深々と頭を下げた。二人のお嬢さんも一緒に立ち上がって頭を下げた。
「そんな、こちらこそ恐れ入ります。本当にお久しぶりです」
母は私の気のせいではなく、顔を赤らめて深々とお辞儀した。私も慌ててそれに合わせ、武彦の頭を押した。
「さあ、おかけください。話はそれからで」
日高さんは爽やかだった。さすが、父の親友だった人だ。すごくいい人だと感じた。
「まずは家族を紹介します。すぐ隣に座っているのが、長女の麗美、そしてその隣が次女の実羽です」
日高さんも緊張しているのか、お嬢さん達を指し示した手が震えているのがわかった。
「よろしくお願いします」
麗美さんと実羽さんが会釈をした。私達はそれに応じて軽く頭を下げた。
「長女の美鈴と長男の武彦です」
母も手を震わせて私と武彦を紹介した。何だか本格的なお見合いの席みたいな気がして来たぞ。
「よろしくお願いします」
私と武彦は息を揃えてお辞儀をした。
「よろしく」
日高さんが微笑みながらお嬢さん二人と会釈を返した。
「それにしても、驚きました」
日高さんが食事のオーダーを終えると、開口一番、そう言った。
「はい?」
母はお品書きを店員さんに渡しながら日高さんを見た。
私は武彦と顔を見合わせて、日高さんの次の言葉を待った。
「お嬢さん、珠ちゃん、あ、いや、珠世さんにそっくりですね。あの頃にタイムスリップしたのかと思いました」
日高さんがやや興奮気味に言ったので、私は今度は母と顔を見合わせてしまった。
「珠ちゃんでいいわ、建君。その方が緊張しないから」
母はクスッと笑って応じた。また武彦がビクンとしたのが面白かった。
「そ、そうだね」
日高さんもホッとした顔で微笑んだ。そして、
「それに武彦君、尊にそっくりだ。ね、珠ちゃんもそう思うだろ?」
母は苦笑いして、
「そ、そうね。時々、声を聞いてドキッとしてしまう事もあるわ」
その会話には少し賛同しかねる。
確かに武彦は声は父にそっくりになって来たが、顔は似ていないと思う。
「あら、美鈴さんはそう思わないんですか?」
実羽さんが微笑んで突っ込んで来た。今度は私がビクッとしてしまった。
そんな顔をしているつもりはなかったんだけど、見抜かれてしまったようだ。
「え、そ、そんな事ないですよ」
ここは否定するしかないと思った。すると実羽さんは悪戯っぽく笑って、
「美鈴さんて、わかり易いんですね。何だか親近感が湧くわ」
私は顔が引きつるのを感じた。この人、ちょっと苦手かも。
「実羽、初対面なのに言葉が過ぎるわよ」
ずっと微笑んでいただけの麗美さんが真顔になって実羽さんを窘めてくれた。
「場を和まそうとしただけよ、姉さん。相変わらず、冗談通じないんだから」
実羽さんはニコニコしたままだ。ますます苦手な気がして来る。
「お互い怖い姉を持つと苦労するわね、武彦君」
実羽さんがそう言ってウィンクまでしたので、武彦は私以上に顔を引きつらせていた。
「それ、どういう意味?」
麗美さんがムッとして実羽さんに詰め寄った。私も武彦に詰め寄りたかったが、やめておいた。
客観的に姉が下のきょうだいに怒るところを見ると、冷めてしまうものだ。
恋人の力丸憲太郎君がお姉さんの沙久弥さんにお説教されているのを見ると、
(もっと武彦に優しくしよう)
そう思う事がある。すぐに忘れちゃうけど。
「まあまあ。こういう席で、そんな顔しないでよ、お姉ちゃん」
実羽さんは苦笑いして麗美さんを宥めていた。
おっと、母と日高さんを放置して、私達ばかり話してしまったと思って見たら、ちょっと割り込めないくらい二人は二人で盛り上がっていた。
何しろ、結婚以来全く音信不通だったのだから、積もる話もあるのはわかるが、それにしても楽しそうで、父が可哀想になるくらいだった。
やがて、会食は終了した。
「また会えるかな、珠ちゃん?」
料亭を出る時、日高さんが私達に聞こえないくらいの声で母に囁いたのを私は聞き逃さなかった。
「ええ、是非」
母もまんざらでもない顔をしている。ちょっと複雑な気持ちだ。
「母さん、日高さんと再婚するの?」
私は父の事を思って、単刀直入に尋ねた。すると母はまさに破顔一笑して、
「まさか。そんな事ないわよ。只ね、母さん、父さんと結婚してから、ずっと昔の友人達と交流がなかったから、建君、いえ、日高さんと話ができて嬉しかったの」
母のその言葉を完全に信用した訳ではないが、母の気持ちも理解できるので、もうそれ以上突っ込まない事にした。
「次に会うのは、同窓会だねって話したのよ、さっき」
母は言った。こんなに楽しそうな母の顔を見るのは久しぶりだ。
小学校の親子リレーの時以来かも知れない。
「それなら、いいでしょ?」
母はニコッとして言い添えた。私は肩を竦めて、
「許可します」
武彦がプッと噴き出したので、
「何がおかしいのよ!」
つい八つ当たりしてしまった。
ああ、私って、実は「ファザコン」だったのかな?