その百八十一(姉)
私は磐神美鈴。社会人一年生。
先日、母方の叔父さんから連絡を受けた。
その内容は衝撃的だった。母の見合いの話だったのだ。
私はもちろん反対、愚弟の武彦もそうだ。
だが、母がその気があるのなら、それでも反対するほど意固地ではない。
そのような心配はするまでもなく、母も見合いなどするつもりはないようだった。
私と武彦は安心した。
ところが、翌日、久しぶりに休みが一緒になった母と出かけようとしていた時、叔父さんが現れた。
しかも、叔父さんの口から出た見合い相手の名前を聞いて、母は目を見開いていた。
知り合いの人らしい。
「美鈴、今日の予定は中止よ。ごめんね」
母は叔父さんを見たままでそう言った。私は母から出ている有無を言わせないオーラを感じ、
「う、うん。いいよ」
とだけ言うと、武彦と顔を見合わせた。
「日高建史さんて、誰?」
武彦が小声で尋ねて来た。私は首を横に振って、
「知らないよ。初めて聞く名前だけど、母さんは知ってるみたい……」
私は席を外した方がいいと思い、武彦を促して立ち上がった。すると母が、
「二人にも聞いていてもらった方がいいわ。そうよね、豊?」
母がまたしても有無を言わせないオーラ全開で言った。
「そ、そうだね」
叔父さんも母の迫力に気圧されたように苦笑いして応じていた。
私はよく、
「あの大人しい珠世さんからどうして美鈴ちゃんみたいな元気な(多分に穏やかにされた表現)女の子が産まれたのか」
そう言われたものだ。しかし、それは間違いだったのだ。実は母は本当はすごく気が強いのだ。
それはこの前の祖父との一件でよくわかった。今回もその母の裏の顔が出て来ている気がした。
私はもう一度武彦と顔を見合わせて、ソファに戻った。母はそれを見届けてから、
「どういう事なのか、説明して」
叔父さんは涙目になっているような気さえした。一口お茶を飲み、
「これは、俺が仕組んだ訳じゃないよ、姉さん。日高さんに頼まれて来たんだからな」
早速予防線を張り始めた。っていうか、日高さんて誰?
私と武彦がもの問いたそうに見たので、叔父さんはハッとして、
「そうか、美鈴と武彦は知らないんだよな」
「当たり前よ。結婚する前の話なんだから」
母は呆れたような顔になっている。結婚する前? 何だかドキドキして来たぞ。
「日高さんていうのは、昔、お前達のお父さんの恋敵だったんだ」
叔父さんは私達をジッと見て言った。
「えええ!?」
私と武彦は大声をあげてしまった。父の恋敵? それって……。
「もうわかっただろう? 日高さんとお前達のお父さんで、姉さん、いや、お前達のお母さんを高校の時、争ったんだよ」
叔父さんが妙に嬉しそうに言うので、母がムッとしたようだ。
「豊、その話はもういいわ。何故日高さんが今になってお見合いの話をして来たのか、説明して」
心なしか、母は顔が赤くなっている。さっすが、私のお母様! 若い時はおモテになったのね。後で詳しく訊かないと。
「わかった」
叔父さんも母が恥ずかしがっているのに気づいたみたいで、ニヤニヤしている。
「覚えてらっしゃいよ、豊」
母がそう小声で言ったのを聞いたのは、私だけだった。怖いよ、母さん……。
「日高さんの奥さん、三年前に癌で亡くなったんだそうだ」
「ええ?」
母はまた目を見開いた。叔父さんは、
「姉さんと義兄さんが結婚した時、日高さんは結構ショックを受けたらしくてさ。姉さんを取られたっていうのもそうだけど、駆け落ち同然の結婚だったのにも驚いていたみたいだよ」
母と父はどちらの両親にも反対された結婚をしたので、あらゆる人達と音信が途絶えたそうだ。
日高さんもその一人だった。
「日高さんは義兄さんの親友だったから、何とか居場所だけでもと思ったそうなんだけど、義兄さんのご両親には相手にもしてもらえなかったそうだよ」
叔父さんの話に母は威圧的な表情を和らげ、俯いてしまった。
父との結婚を貫いたせいで、払った代償は大きかったのだ。
「それで、どうして建君があんたにそんな話をして来たのよ?」
母はまだ赤い顔を上げて叔父さんを見た。「タケクン」の音に武彦がビクッとしたのはちょっと面白かった。
「ほんの偶然なのさ。俺が大阪から本社に戻って最初に訪問した取引先に日高さんがいたんだよ」
叔父さんはまたニヤニヤしている。母はキッとした。
「あんた、いつ東京に戻ったのよ? 知らなかったわよ」
「姉さんが音信不通だったからだろ?」
叔父さんはドヤ顔で言い返した。私はもう少しで噴き出しそうになったが、何とか堪えた。
武彦も笑いを噛み殺していた。母は私達の様子に気づいたのか、こちらをチラッと見てから、
「それで、建君は何て言っているの?」
それは私も気になる。武彦も興味津々の顔で叔父さんを見ている。
「見合いという形ではなく、家族同士で一度食事でもって言って来た」
私と武彦があからさまに残念そうな溜息を吐いたので、母に睨まれてしまった。
「日高さんにはお嬢さんが二人いて、どちらももう嫁いでいるそうだ。一人は大学卒業と同時に、そしてもう一人は学生結婚」
そうなんだ。早いなあ。焦っちゃうわ。すると叔父さんは私の焦りを感じ取ったのか、
「奥さんがもう長くないと言われて、急いだそうだよ。二人共花嫁姿をお母さんに見せられて、嬉しかったみたいだ」
そういう事なのか。辛い話だ。目が潤んでしまう。
「そうか。私と尊さんは、三年子供ができなかったからね。建君は私達より後に結婚したけど、子供は早かったのね」
母も涙を堪えているのがわかった。
「その娘さん達もお父さんを振った人に会いたいんだそうだよ」
叔父さんがまた嬉しそうに告げる。母の顔がもっと赤くなった。
「そんな事まで言ってるの、建君は……」
母は高校時代に戻ったような顔をしていた。
「どうかな、姉さん? そこから先の話は別にして、日高さんに会ってもらえないかな?」
叔父さんは急に真面目な顔になって母を真っ直ぐに見た。
「そうね……」
母は私達を見る。私と武彦はすぐに頷いた。そういう事なら、話は別だ。母は微笑んで、
「わかった。会うわ。いえ、会わせて。積もる話もいっぱいあるから」
と応じると、涙を一粒右目から零した。
「ありがとう、姉さん」
叔父さんの目も潤んで来ていた。
日高建史さん。どんな人なのだろう? 楽しみになって来た。