その十七
僕は磐神武彦。
何とか留年は避けられ、四月からは無事高校三年。
付き合っている同級生の都坂亜希ちゃんもホッとしたようだ。
「でもさあ、武君、武君は進学するの、就職するの?」
デートで公園に行った時、そう尋ねられた。
「まだずっと先だよ」
僕は呑気に答えた。亜希ちゃんは呆れ顔で、
「高三になってから進路を決めるなんて、遅過ぎるのよ、武君」
「そうなの?」
僕は確かに呑気だった。
思い起こしてみると、姉は高二の夏には大学進学を決めていた。
父を幼い頃に亡くしたので、姉は同じ年頃の女子に比べて、決断が格段に早い。
その反動か、僕はもの凄くのんびりした性格になってしまった。
何しろ、あらゆる事を姉に決めてもらったからだ。
「姉ちゃんに相談してみる」
「え?」
亜希ちゃんは驚いて僕を見る。
「武君、もうそろそろ美鈴さんに頼るのはなしにしたら?」
亜希ちゃんの言葉に、僕はギクッとした。
そうか。進路の事を姉ちゃんに相談するのはおかしな事なのか。
って言うか、僕は「姉離れ」ができていないのかも。
「進路は自分で決めようよ。もちろん、先生とも話し合わないといけないけど」
「そ、そだね」
僕は苦笑いして応じた。
僕は亜希ちゃんを送り、家に帰った。
あれ? 珍しく鍵がかかってるぞ。
「只今」
玄関に入ると、靴が二足。あれ、憲太郎さん?
居間にもキッチンにも二人はいなかった。
階段を上がる。
「?」
姉の部屋から、何か声が聞こえる。
「リッキー、私もうダメ!」
「美鈴、まだ早いよ!」
え? もしかして、今、二人は「愛し合っている」の?
家でそんな事しないでよお。
僕は顔を真っ赤にして階段を下りた。
動悸がする。息切れもする。
二人共もう大人なんだし、僕と亜希ちゃんとは違って付き合い始めて長いんだから、不思議じゃないけど……。
もう一度家を出ようか?
そんな事で悩んでいると、姉が降りて来た。
「ああ、お帰り、武彦。帰ってたんだ」
全く普段通りだ。上下のスウェットもいつもの姿。
「どうしたの、武彦? 顔真っ赤だよ? 熱でもあるんじゃない?」
「ね、熱なんかないよ……」
僕は恥ずかしくて姉の顔を見られない。
「ああ」
姉も気づいたようだ。
「聞こえちゃった?」
僕はまたドキンとした。
「私、我慢できなくてさあ」
「……」
開けっぴろげな性格は今に始まった事ではないが、ああいう事だけはやめてほしい。
「まあ、お前もいつか亜希ちゃんとそうなるんだから、勉強のために見ておく?」
見ておく? ミテオク? どういう事? どんな神経?
「ああ、武彦君、お帰り」
憲太郎さんまで爽やかな笑顔で降りて来た。姉と色違いのスウェットだ。
「いいよ、見なくて。亜希ちゃんとはそんな事、しばらくないと思うから」
「そうなの? でも案外すぐかもよ」
姉はニヤリとして言った。僕は更に恥ずかしくなり、
「そんな事ないよ!」
と叫ぶと、ダッと階段を駆け上がった。
そしてその夜、母さんが帰宅して真相を知った。
姉は憲太郎さんと結納の練習をしていたのだ。
儀式事に弱い姉は、結納を省略したかったのだが、憲太郎さんのお父さんが頑固一徹で、そういう事にうるさいらしく、やらざるをえなくなったそうだ。
それで、まず正座を練習したのだが、すぐに足が痺れてしまい、憲太郎さんに呆れられたらしい。
「何だ、そうだったんだ」
僕はホッとして言った。すると姉が、
「何、その言い方? あんた、私とリッキーが何してたと思ったのよ!?」
とすかさず突っ込んで来た。うわ、しまった!
「このエロガキ! おかしな事想像してたな!?」
「そ、そんな事ないよお」
「白状しなさい!」
久しぶりの姉のスリーパーホールド。そして久しぶりのあの感触……。
まだまだ「姉離れ」できない僕だった。