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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学二年編
173/313

その百七十二

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学二年。


 姉の勤務する会社の先輩の沖永おきなが未子みこさんが時々帰り道に現れるというパプニングがあり、姉や彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんに心配された。


 でも、沖永さんは大好きなお兄さんが実家にいるのを確認しに来ているだけだった。


 何だか自分と同じ匂いがして、感動して泣いてしまった。


 ちょっと恥ずかしい。


 


 今日は日曜日。そして、亜希ちゃんと別行動の日。


 中学の時の同級生で、現在あの東大の二年生である須佐昇君と久しぶりに会う事になった。


 何か相談したい事があるらしい。


 相談事なら、同じ大学の人にすればいいのにと思うのは、ひがみだろうか?


 電話で話した時は、かなり深刻なトーンだったので、とてもそんな事は言えなかったけど。


 僕は約束した時間に約束したコーヒーショップに出向いた。


 まだ少し時間が早かったので、須佐君は来ていないようだ。


 気づかれやすいように窓際の席に座った。


 仮に須佐君が気づかなくても、僕が気づけるだろうから。


 この設定、亜希ちゃんとなら最高だな。


 先に来て亜希ちゃんを待つ。


 家が近くて、いつも一緒だから、どこかで待ち合わせというデートの仕方はしていない。


 まだ付き合う前に映画を観に行った時くらいだろうか。


 あの時は亜希ちゃんを怒らせてしまって、落ち込んで帰ったら、何故か姉が嬉しそうにしていたんだよな。


 亜希ちゃんが怒った原因と姉が嬉しそうだった理由は未だにわからないままだけど。


 そんな事を思い出しながら、外の舗道を眺めていると、思い掛けない人の思い掛けない姿を見かけた。


 姉の婚約者の力丸憲太郎さんのお姉さんの沙久弥さん。


 現在は西郷沙久弥さんだ。その沙久弥さんがお母さんの香弥乃さんと歩いていた。


 いや、歩いていた事が思い掛けなかったのではない。


 香弥乃さんと沙久弥さんのツーショットが思い掛けなかったのだ。


 そして、沙久弥さんの姿。


 多分、お腹に赤ちゃんがいるんだ。


 マタニティウェアとでも言うのだろうか、ゆったりとした白のワンピースを着て、やや反り加減に歩いている。


 沙久弥さんが小柄なせいか、お腹が随分せり出して見えた。


 隣を歩く香弥乃さんは淡い紫の着物姿。沙久弥さんは髪をポニーテールにしていて、香弥乃さんはアップにしているのだが、まるで姉妹のように見える。


 二人とも奇麗だ。亜希ちゃんがいたら、二の腕を抓られていたかも知れないくらい僕は見取れていたと思う。


 すると、沙久弥さんが僕に気づいた。


 顔を背ける訳にもいかず、会釈をすると、香弥乃さんも僕を見て微笑み、二人で店に入って来てしまった。


 入って来てしまったという表現は失礼かも知れないけど。


「武彦君、久しぶりね」


 沙久弥さんはニコニコしながら僕に近づいて来る。


 香弥乃さんは相変わらず無口で、沙久弥さんと同じ顔で微笑んだままだ。


 二人の美人に微笑まれている僕は店中の注目の的のような気がした。


「お久しぶりです」


 僕は向かいの席に座る沙久弥さんとそれを気遣う香弥乃さんに立ち上がって頭を下げた。


「私、赤ちゃんがすぐにでも欲しかったから、西郷君に無理言って……」


 沙久弥さんは少し恥ずかしそうにそう言った。


 西郷さん、大変だったんだろうなあなどと変な妄想をしてしまう。


「本当はもう少し経ってからの方が、彼の仕事にも影響が少なかったのだけどね」


 沙久弥さん、結婚式の時より奇麗になっている。


 もう信じられないくらいだ。ごめん、亜希ちゃん……。


「えっと、何ヶ月なんですか?」


「まだ四ヶ月。でも、お医者様のお話だと、成長が早いらしいの、この子」


 愛おしそうに膨らんだお腹をさする沙久弥さん。もう聖母のようだ。


 その時、ようやく須佐君が現れた。


 彼も沙久弥さんとは面識があるので、香弥乃さんを見て、


「お姉さんですか?」


 などとボケをかましてくれた。香弥乃さんは照れ臭そうに否定していた。


「ごめんなさいね、待ち合わせだったのね」


 沙久弥さん達はテイクアウトのコーヒーを注文して、店を出て行った。


 須佐君はデレッとした顔で沙久弥さんを見送っている。


 彼女の櫛名田くしなだ姫乃ひめのさんに言いつけようかな。


 そんな軽い事を考えていたら、須佐君が突然深刻な顔に変わった。


「結婚して子供ができて幸せそうだね、沙久弥さん」


 またそんな事を……。櫛名田さんに言いつけるぞ、本当に。


「僕、どうしたらいいのか、困っちゃってさ……」


 須佐君は項垂れて言った。僕は意味がわからず、


「どういう事?」


と尋ねた。すると須佐君は土色になった顔を上げて、


「できちゃったらしいんだ」


「は?」


 そう言われて、「何が?」と訊くほど僕も惚けた男ではない。


 できちゃったって、あれだよね?


「姫乃、妊娠したんだ」


 須佐君のその言葉は、予想はしていたけど衝撃的だった。


 僕は何も言う事ができない。頭の中に思い浮かばないのだ。


 今までの人生で一度も体験した事がないからだろうか?


「姫乃は絶対に産みたいって言ってるんだ。どうしたらいいと思う?」


 須佐君はすでに泣きべそを掻いている。そう言われてすぐにいい答えを出せるほど僕も人生経験が豊富ではない。


「櫛名田さんのご両親には話したの?」


 やっと出た言葉がそれだ。須佐君は更に顔色を悪くして、


「姫乃はお母さんには話したって……。でもお父さんには怖くて言えないって言ってた……」


 そんな事を聞かされたら、気の弱い須佐君はパニックだよな。


 怖いお父さんか……。躊躇するのはわかるけど、進むしかないと思う。


「櫛名田さんの家に行って、話をするしかないと思うけど」


 僕は思い切って言った。想像していた通り、須佐君は顔を引きつらせた。


「それから、須佐君のご両親にも話した方がいいよ。どうしても一人でいけないなら、一緒に行ってもらうとかしてさ……」


 それからしばらく、僕と須佐君はあれこれ話し合ったが、結論としては、まずは自分の両親に櫛名田さんの妊娠を話し、相談する事になった。


 まずはそれが第一段階だろう。


「親父に殴られるかも知れない……」


 須佐君はまた落ち込んでしまった。


 ご両親の夢だった東大合格を成し遂げ、これからという時だ。


 須佐君が怯えるのも無理はない。


 でも、自分で蒔いた種は自分で何とかするしかないのだ。


「今日はありがとう、磐神君」


 須佐君は力なく微笑み、店を出て行った。


 その直後、亜希ちゃんから携帯に連絡があった。


 亜希ちゃんは櫛名田さんから呼び出されて、会っていたようだ。


 そして、妊娠の話をされた。


 お父さんに話していない事を聞き、亜希ちゃんが付き添ってお父さんに話す事になったという。


「須佐君もご両親に話して、それからどうするのか考えるって言ってたよ」


「そうなんだ」


 亜希ちゃんは櫛名田さんの妊娠がショックだったらしく、いつもと声のトーンが違う。


「須佐君、お父さんに殴られるかも知れないって言ってた」


 僕がそう言うと、亜希ちゃんは、


「武彦が付き添ってあげれば?」


「え?」


 心臓が壊れそうなほど速く動き出した。


「そ、そだね」


 昔の口癖が出てしまうほど僕は動揺していた。


 


 家に帰ると、居間で姉が一人でテレビを観ていた。


「お帰り。母さんは出かけてるから、適当に昼食にして」


 姉は熱中しているドラマを録り溜めして一気に観ているようで、僕を見もしない。


「うん」


 僕は仕方なくキッチンに行き、食事の用意をする。


「どうした、何かあったのか?」


 姉は「事件」の臭いを嗅ぎつけたのか、録画の再生を停止してキッチンに現れた。


 どうしたものかと思ったが、姉に隠し通す自信がないので、須佐君の事を話した。


 さすがの姉も、櫛名田さんが妊娠したと知り、目を見開いた。


「ごめん、姉ちゃんの手に負える事件じゃなかった」


 そう言って居間にさっさと行ってしまった。何だよ、もう。


 でも、確かにそうかも知れない。


 僕達には手に負えない事態なのだ。


 どうしよう?

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