その百六十八
僕は磐神武彦。大学二年生。
姉の婚約者の力丸憲太郎さんと憲太郎さんのお姉さんの沙久弥さんの旦那さんの西郷隆さんの残念会があった。
お二人とも、柔道のオリンピック候補だったのだが、出場を決定する大会で負けてしまったため、次回に持ち越しとなった。
次こそは必ず行って欲しいと思う。で、次ってどこだっけ?
さて、僕達はいつもの日常に戻っている。
彼女の都坂亜希ちゃんをヤキモキさせてしまった経済学部の一年生の長須根美歌さんの存在も、今では特別な事は何もない。
長須根さんは、僕が亡くなったお兄さんによく似ているという事で、悪いとは思いながらも、どうしても話しかけたくなって来ていたのだから。
後日、学部棟のロビーで、彼女にお兄さんの写真を見せてもらった。
「ホントだ、よく似てる」
写真を見た亜希ちゃんが目を見開いて言う。
「そうですよねえ。私、最初に磐神先輩を見た時、本当に驚いたんですから」
長須根さんはニコニコしながら、独特のイントネーションで言う。
僕はそれほど似ているとは思わないんだけど、亜希ちゃんと長須根さんが揃って似ていると言っているのだから、それでいいという事にした。
「でもさあ、ホントにそれだけなのかなあ、長須根さん」
長須根さんが立ち去った後、揉め事が好きな長石姫子さんが言った。
「どういう事さ?」
長石さんの彼の若井建君が尋ねる。長石さんはニッとして、
「妹キャラっていう奴? 男子って、そういうのに弱いじゃない?」
長石さんの言葉に僕と若井君は顔を見合わせた。
「ああ、確かにそういうの、いいかも」
若井君が不用意な一言を言い、長石さんに睨まれた。
「どういう事よ、建?」
「あはは、冗談だって、姫子」
若井君は苦笑いして後退っている。
「それなら、武彦は大丈夫よね」
亜希ちゃんは余裕の笑みを浮かべて言う。
「亜希……」
僕は亜希ちゃんが僕に絶大な信頼を置いてくれているのだと思い、涙ぐみそうになった。
「へえ、そうなんだ」
長石さんが意外そうな顔で僕を見る。
「だって、武彦は同じシスコンでも、お姉さんの方ですから」
亜希ちゃんはニコッとして酷い事を言った。
「なるほど、言えてる。磐神君て、年上好きそうだもんね」
長石さんがお腹を抱えて大笑いするので、僕はちょっとムッとしてしまった。
「ああ、そうかあ。磐神君のお姉さんて、美人なんだよね。会ってみたいなあ」
若井君はまた地雷を踏んだのに気づかない。長石さんの目が彼を睨んでいる。
「会わせなくていいからね、磐神君」
そのせいで僕まで長石さんに睨まれちゃったよ。
その日の講義を終え、亜希ちゃんと駅へ向かっている時、
「磐神先輩!」
長須根さんが声をかけて来た。
彼女の隣には、彼氏らしき男子がいる。
なかなかのイケメンで、どうやら同郷らしい。
「ね、似てるでしょ、兄ちゃに」
長須根さんはその男子に嬉しそうに尋ねる。
「ホントだ。驚いたなあ」
男子も僕をマジマジと見て言った。ちょっと失礼だと思うんだけど。
「あら、長須根さんの彼氏さん?」
亜希ちゃんが尋ねた。すると二人は顔を赤めて、
「ち、違いますよ、只の幼馴染みですって……」
長須根さんも男子もすごく初々しくて、微笑ましかった。
多分、まだ付き合い始めたばかりなんだろうな。
「同じ村の生まれの、間島誠君です」
長須根さんは火照る顔を手で扇ぎながら彼氏を紹介してくれた。
「ま、間島です」
間島君も顔を扇ぎながら頭を下げた。
「よろしく」
僕と亜希ちゃんは顔を見合わせてから挨拶を返した。
二人は「違いますから」と言いながら、去って行った。
もしかして、僕の顔を見るためだけに彼氏とここで待っていたのだろうか?
「どちらかと言うと、長須根さんの方が積極的なのね」
亜希ちゃんが腕を組みながら言った。
「え? どうして?」
僕はキョトンとして亜希ちゃんを見た。
「だって、武彦がお兄さんに似ているのを見せるためにここで待っていたのよ。それはどう考えても、長須根さんの計略でしょ?」
亜希ちゃんはウィンクして得意そうだ。その仕草、可愛いなあ。
「ああ、そうか」
僕には全然そんなのわからないな。
「私と同じだから、よくわかるの」
亜希ちゃんは小さい声でそう言った。僕は危うく聞き逃しそうだったが、
「私と同じって、どういう事?」
辛うじて聞き取れたので、尋ねてみた。
「だって、武彦も全然私の気持ちに気づいてくれなかったから……」
亜希ちゃんがすごく恥ずかしそうに言ったので、僕も恥ずかしくなってしまった。
「また明日ね」
やがて、駅に到着し、いつものようにそれぞれ別のホームへと歩き出す。
僕はバイト先のコンビニがある駅に行く電車のホームで、どこかで見た事のある女性を見かけた。
思わず回れ右をしたくなったのだが、
「おう、武、いいとこに来た!」
営業帰りの我が姉だった。しかも、先輩の女子社員の皆さん三人と一緒だ。
「わあ、可愛い、磐神さんの弟さん!」
たちまち取り囲まれ、ジロジロと見られた。とてつもなく恥ずかしい。
「いやあ、そんなに可愛くないですよ」
妙に嬉しそうに謙遜していう姉を見て、僕は溜息を吐いてしまった。
こんな事がこれからよく起こるのかと……。