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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学二年編
163/313

その百六十二

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学二年になった。


 幼馴染みでその上彼女でもある都坂みやこざか亜希あきちゃんとの交際も順調。


 大学の授業も、思っていたほどハードではなく、ホッとしている。


 何もかもうまくいき過ぎて怖いくらいだ。

 

 あ、そうか、一つだけ気にかかる事がある。


 我が姉の就職先。


 中堅の建設会社で、大手の下請けが主だが、実績と信頼で安定したところらしい。


 僕が気になるのは、姉のリストラの可能性とかではない。


 その会社がある場所。


 恐ろしい事に僕のバイト先のコンビニと同じ沿線で、しかも二駅違い。


 姉はほぼ毎日、コンビニに寄って帰って行く。


 しかも、コンビニの同僚には大人気で、店長まで姉と飲みに行きたがっているほど。


 誇らしい事なのだろうが、何だか気が重くなる。


「そうなんだ……」


 通学の途中、亜希ちゃんには話した。


 亜希ちゃん、普段は可愛くて優しいんだけど、何だか姉との事を誤解しているから。


 僕と姉は決してアニメや漫画で流行しているような危険な関係の姉弟きょうだいではないんだけど。


「毎日気が重くてさ。かといって、バイト先を変えたりしたら、もっと怖い事になりそうだし」


 僕は心底そう思って言ったのだが、亜希ちゃんはニヤリとして、


「だったら、私、美鈴さんに武彦が浮気していないか、監視してくれるように頼もうかな」


などと悪乗りして来た。僕は顔を引きつらせて笑うしかない。




 そして、大学に着き、学部棟に向かう。


 講義の予定表を見ると、三時限目が担当の教授が出張で休講になっていた。


 ラッキーって思ってはいけないって亜希ちゃんに言われたけど、やっぱりラッキーだ。


「ごめん、ちょっと待ってて、武彦」


 亜希ちゃんはロビーを駆けて出て行った。どこへ行ったのかは詮索しない。


 それが礼儀なのだ。


「あのお……」


 その時、知らない女の子が声をかけて来た。


「はい?」


 僕は自分が忘れてしまったのかも知れないと思い、必死になって記憶をひも解いた。


 しかし、どうしても思い出せない。


 よく見ると可愛い子だ。


 何だかすごくおっとりしていて、姉や亜希ちゃんとは違うタイプだ。


「ああ、すみません、知らない人にいきなり話しかけてしまって」


 その子は僕が眉間に皺を寄せているのに気づいたのか、そう言って頭を下げた。


 何だ、やっぱり知らない子だったのか……。ホッとした。


 それにしても、見た目通りのおっとりした子だ。


 口調もゆっくりで、ちょっとイントネーションが違う感じがするから、地方出身者だろうか?


「経済学部はここで良かったですか?」


 その子は新入生のようだ。学部棟を間違えていた。


「ああ、経済学部は隣ですよ」


 僕はロビーの窓ガラスの向こうに見える隣の学部棟を指差して言った。


「ああ、そうでしたか。ありがとうございました」


 その子は何度もお辞儀をして、去って行った。


 歩きながらお辞儀をしていたので、他の人とぶつかりそうになった。


 何だか危なっかしい子だ。


「誰、あの子?」


 いつの間に戻って来たのか、亜希ちゃんが冷たい声で言った。


 ホラー映画並みに僕はビビった。


「経済学部の子らしいんだ。学部棟を間違えたみたいでさ」


 何故か焦りながら言い訳気味に言う僕を亜希ちゃんは半目で見ていた。


 ああ……。


 でも、言えば言うほど誤解されそうなので、それ以上は何も言わなかった。


「ふーん」


 亜希ちゃんは追及して来るかと思ったが、クルリと身を翻すと、スタスタとエレベーターの前に歩いて行ってしまった。


 どうしよう? 何か言った方がいいんだろうか?


 焦ってしまう。


 一時限目はドイツ語なので、亜希ちゃんとは教室が違う。


「磐神君、新学期早々浮気は感心しないな」


 溜息交じりに席に着いた僕に同じクラスの長石ながいし姫子きこさんが言った。


「浮気って、何ですか、長石さん……」


 僕は長石さんがあの経済学部の新入生の子と話しているのを見ていたと直感した。


 また溜息が出てしまう。


「さっき、ロビーで女の子と楽しそうに話してたでしょ? 誰なの、あの子? 一年生だよね?」


 長石さんは興味津々の顔で尋ねて来る。


 その様子に気づいた丹木葉にぎは泰史やすし君まで、


「何かあったの?」


と話の輪に入って来た。もう一度溜息が出そうになったのを何とか飲み込み、


「あの子は、経済学部の子で、学部棟がわからなくて、訊かれただけです」


 やっと疑いを晴らす事ができた。


「何だ、つまんない」


 長石さんは嬉しそうに言って、自分の席に戻った。


「磐神君、気をつけた方がいいよ。長石さん、スキャンダルが大好きだから。他の女の子と話す時は周りを見た方がいいと思う」


 丹木葉君は小声で僕に忠告してくれた。


「あ、ありがとう」


 僕は素直にお礼を言った。


 確かにそうだ。亜希ちゃんより、長石さんだ。尾ひれをつけて亜希ちゃんに報告されたら、とんでもないからな。


 最近、二人は急速に仲良くなっていて、いろいろ話しているみたいだし。


 本当に気をつけないと。


 


 ドイツ語の授業が終わり、お昼休み。


 亜希ちゃんは機嫌が悪いかと思ったが、何故か、


「さっきはごめん、武彦」


 いきなり謝られてしまった。


 どうやら、ロビーでの出来事を同じクラスのたちばな音子おとこさんに話したらしい。


 すると橘さんが、


「磐神君は都坂さん一筋なんだから、そんな風に疑ってばかりじゃ可哀想よ」


と言ってくれたそうだ。橘さん、ありがとう。お礼をしたいくらいです。


「だからね」


 亜希ちゃんは僕を引っ張って学部棟の裏へと行く。まさか……。


「お詫びのしるし」


 いきなりキスをされた。


「……」


 びっくりして固まる僕を見て、


「さ、ランチにしよう、武彦」


と笑顔で言う亜希ちゃん。やっぱり女の子は怖いのかな……。


 


 講義を終え、大学を出て駅へと向かう。


「また明日ね、武彦」


 亜希ちゃんと別れてバイト先へと向かう。


 ああ。また憂鬱になって来た。


 今度は姉ハリケーンが登場するんだ。


 バイトは楽しくて勉強にもなるけど、姉が毎日来るのは拷問に近い。


 姉の外面しか知らない同僚達は、


「羨ましいなあ、あんな美人のお姉さんがいて」


などと言う。一度弟として交代して欲しいくらいだ。


 そんな憂鬱な気持ちで歩いていたら、たちまちコンビニに着いてしまった。


 いつもは時間が経つのが遅い気がしてしまうのだが、姉が来る時間帯だけは、思ったより早い。


「いらっしゃいませ」


 同僚達は姉に近づこうとニコニコしながら挨拶する。


 すると何故か姉は満面の笑みで同僚や店長に会釈しながら、僕を手招きした。


 何だろうと思ってついて行くと、コンビニの脇の狭い路地に入って行く。


 え? 何? まさか、キスとかされないよね。それじゃ、変態姉弟だ。


「武ェ!」


 さっきまでの笑顔はどこに廃棄して来たのというくらいの形相で姉が振り返った。


「な、何、姉ちゃん?」


 僕は本当にチビリそうになった。


「あんた、新学期早々他の女とイチャイチャしてたんだって!?」


 えええ!? 何でそんな事を知ってるの?


「亜希ちゃんから聞いたんだよ! お前、身の程を知れ!」


 姉の拳骨が炸裂し、目から火花が出た気がした。


「本格的な説教は家に帰って来たらだ。逃げるなよ」


 姉はそう言い置くと、また笑顔で店長達に会釈し、去って行った。


 亜希ちゃん、それを話したのなら、その後の事も話してよ……。


 泣きそうになった。


 


 バイトが終わり、駅へと向かっていると、携帯が鳴った。


 亜希ちゃんからだ。


「ごめん、武彦。私、美鈴さんに武彦が女の子と喋っていた事を話して、その後誤解だった事を伝えるのを忘れていたの。本当にごめん!」


 亜希ちゃんは泣いているようだった。


 姉が亜希ちゃんに僕を懲らしめた事を連絡したそうだ。


 そして、亜希ちゃんは自分が大変なミスを犯していた事に気づき、姉に謝罪し、僕に連絡して来たのだ。


「いいよ、亜希。僕もいけなかったんだから」


「武彦、優しいね。大好き」


 亜希ちゃんは泣きじゃくりながら言った。もうその一言で姉に殴られた事なんてどうでもよくなる。


「僕もだよ」


 照れ臭かったけど、そう返した。


 


 そして、家に帰ってドアを開けると、姉が土下座をしていた。


「な、何、姉ちゃん?」


 僕は恐ろしいものを見た気がして、狼狽えながら尋ねた。すると姉は顔を上げて、


「今日は本当にすまなかった、武彦。姉ちゃんの早とちりで、お前に何も訊かずに殴ったりして……」


 姉も少し涙ぐんでいる。思わずキュンとしてしまった。


 まさに「鬼の目にも涙」だ。


 おっと、こんな事を思ったのがわかったら、本気で殴られるな。


「だから、姉ちゃんを一発殴ってくれ。な?」


 姉が涙ぐみながら僕に近づいて来る。


「い、いいよ、そんなの」


 僕はその後が怖くてとてもそんな事はできない。


「なあ、頼むよ、武、殴ってくれよ」


「いいよ!」


 そんなやり取りを遅番の母が帰って来るまで続けていて、二人揃って説教されてしまった。


 まだまだ子供な僕達だった。

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