その百五十八
僕は磐神武彦。もうすぐ大学二年。
今日は、姉の婚約者の力丸憲太郎さんのお姉さんである沙久弥さんの結婚式。
そのせいで朝から我が家は慌ただしい。
「亜希ちゃん、お願い、背中のファスナー、上げて!」
姉が大騒ぎしている。
「はい」
コバルトグリーンのワンピースを着た亜希ちゃんが、ターコイズブルーのアフタヌーンドレスを着ようとしている姉に呼ばれている。
「武、覗くな!」
姉が鬼の形相で言うが、居間で着替え始めるのが悪いと思う。
「全く、あんたは余裕と言うものに縁遠いわね、美鈴」
留め袖の着物を着た母が呆れ顔で言う。
「仕方ないでしょ、夕べは興奮して眠れなかったんだから」
姉は口を尖らせて言い返している。
その姉の巻き添えでほとんど寝ていない僕の方が文句を言いたい。
僕は先日デパートで亜希ちゃんに見立ててもらった礼服を着た。
「かっこいいよ、武彦」
亜希ちゃんに小声で言われ、舞い上がりそうになった。
そんな感じで一騒ぎの後、車で迎えに来てくれた憲太郎さんの運転で式場に向かった。
「大丈夫なの、憲太郎、運転して?」
助手席で姉が心配して尋ねた。確かにオリンピック候補の選手が自動車を運転するのは控えた方がいいのではないかと僕も思った。
「大丈夫だよ。すぐそこなんだから」
憲太郎さんは相変わらずの爽やかさで応じた。
ああ、僕もあの爽やかさが欲しい。
確かに式場は駅のそばなのでそれほど離れてはいなかった。
但し、反対側なので、歩いたりしたのでは結構時間がかかるだろうけど。
「じゃあ、僕は打ち合わせがあるから」
憲太郎さんはそう言うと式場の奥へと走って行ってしまった。
いろいろ提案して自分達で式を構成できるので、憲太郎さん、張り切ってる。
たった一人のお姉さんの結婚式だもんな。
僕も姉の結婚式の時、あれくらい張り切れるだろうか?
僕達はいただいた招待状に書かれた案内図を頼りに建物の中を進み、受付をすませ、祝儀袋を渡し、式に出席する人が集まっている部屋に着いた。
「おう、来たね、美鈴ちゃん」
そこにはあの西郷家の「姉ーズ」の面々がいた。
「遅くなりました」
姉は慌てて西郷シスターズに挨拶に走る。
僕達も姉に続いた。
「初めまして、美鈴の母です」
母がシスターズに挨拶した。
「私が長女の恵です」
留め袖の恵さんがシスターズを母に紹介してくれた。
次女の翔子さんも留め袖、三女の依里さんはグレーのパンツスーツ、四女の詠美さんはグレーのスカートスーツだ。
「全く、被っちゃったじゃない、詠美ったら!」
依里さんが詠美さんに言いがかり。しかし、詠美さんは負けていない。
「私の方が先に決めたのよ。被せてきたのは依里姉じゃないの!」
二人はしばし睨み合っていたが、恵さんがムッとしているのに気づき、大人しくなった。
さすが長女。怖くはないけど、迫力がある。
その様子を看て、母は唖然、姉は驚愕していた。
「お姉さんが四人もいる人と結婚するなんて、沙久弥さん、尊敬しちゃう……」
姉が小声で僕に言った。僕は苦笑いするしかない。
しばらくして、僕達は親族の顔合わせをすると聞かされた。
まだ親族じゃないのにと思いながら別室に行くと、そこは先程の待合室のようなところとは違い、広々とした部屋だった。
部屋の両脇にズラッと二列に並んだ椅子に先に入室した両家の親族の方々が座っている。
どちらも結構な人数だ。全部で五十人くらいいる。
座る場所は指定されており、僕達は奥の方に固まって座った。
やがて、新郎新婦と共にご両親が入って来た。
沙久弥さんはシルバーホワイトのウェディングドレスだ。
奇麗だ。普段も奇麗だけど、今日は一段と奇麗だ。
亜希ちゃんが睨んでいるんじゃないかと思ってチラッと見たが、亜希ちゃんも沙久弥さんに見とれていた。
「奇麗ね、沙久弥さん」
亜希ちゃんはウットリした顔で僕に囁いた。
「そうだね」
あまり力強く返事をして機嫌を損ねるとまずいので、僕は冷静に応じた。
対する新郎の西郷さんは緊張しているのか、天井を見つめたままで沙久弥さんを全然見ていない。
僕はその様子を見て、とても他人事とは思えなかった。
やがて、司会の人が入って来て、新郎側から挨拶が始まった。
うわ、一人一人立ち上がって自己紹介なの?
緊張して来た……。
「新郎の父、西郷孝徳です。では、紹介させていただきます」
あの人が西郷さんのお父さんか。
似ているなあ。身体が大きくて、それでいて全然威圧的でないところがそっくりだ。
眉毛も太い。聞いた話では、あの有名な西郷さんとは縁戚関係なんだとか。
西郷さんのお母さんは輝子さん。沙久弥さんのお母さんである香弥乃さんとは親友で、書道の先生だそうだ。
輝子さんは香弥乃さんの書道の師匠、香弥乃さんは輝子さんの合気道の師匠らしい。
そう言えば、輝子さんと恵さん、よく似ている。
怖い感じはしないのに場を仕切ってしまいそうな雰囲気がそっくりだ。
「続きまして、新婦側の親族のご紹介です」
司会の人がそう言った途端、僕の心臓がバクバクと動き始めた。
「新婦の父の力丸利通です。では、親族の紹介を致します」
沙久弥さんのお父さんとは何度かお会いしているけど、よく考えてみたら、お名前を知らなかった。
利通さんて言うのか。
そんな事を考えているうちに、順番がドンドン迫ってくる。
母が立ち上がり、姉が立ち上がり、そして僕の番。
「その隣が磐神武彦君、そして、その交際相手の都坂亜希さんです」
利通さんは僕達を続けざまに紹介してくれた。
亜希ちゃんが慌てて立ち上がり、二人で揃って頭を下げる。
お辞儀をし終えてチラッと沙久弥さんの方を見たら、僕を見て微笑んでいた。
気のせいだよね。でも何となく顔が緩んでしまった。
「いたた」
それに気づいた亜希ちゃんが腕の後ろを抓った。
「もう、武彦ったら!」
亜希ちゃんはムッとしていた。
「ごめん……」
もう謝るしかない。
「では、午後十二時より礼拝堂にて式を執り行いますので、よろしくお願い致します」
司会の人のその言葉で顔合わせは終了した。
僕達はその部屋を出た。
トイレに行こうと思ったが、結構混んでいる。
「この下の階にもトイレあるよ」
憲太郎さんが教えてくれた。
僕は亜希ちゃんに先に行ってもらい、下のトイレに行った。
そして、礼拝堂がある建物へと急ぐ。
「あれ?」
礼拝堂の入口の前で姉と憲太郎さんを見かけた。
どうやら姉がもう泣いてしまっているようだ。
「美鈴、式はこれからだし、その後で記念撮影があるんだから、もう少し我慢してよ」
憲太郎さんは困り顔で泣きじゃくる姉を宥めている。
声をかけずに通り過ぎたりしたら、後で何を言われるかわからないので、
「姉ちゃん、大丈夫?」
「武!」
涙で顔がグチャグチャの姉が僕に抱きついて来た。
「姉ちゃん……」
憲太郎さんの目の前で姉に抱きつかれるとちょっとドキッとしてしまう。
「姉ちゃん、落ち着いて。泣いたままで教会に入るのは、沙久弥さん達に失礼だよ」
僕はスーツが姉の涙でグズグズになりそうなので姉を押し返して言った。
「うん……」
少し冷静になってくれたのか、姉は泣きやみ、僕から離れた。
「さすがきょうだいだね。僕なんかまだまだだよ」
憲太郎さんはそう言って僕に微笑み、姉を支えるようにして歩き始めた。
何だか気まずいなあ。
それより、亜希ちゃんを探さなくちゃ。
僕は慌てて礼拝堂に入った。