その百五十七
僕は磐神武彦。もうすぐ大学二年生。
僕の姉の婚約者力丸憲太郎さんのお姉さんである沙久弥さんの結婚式が三月二十四日の土曜日。
もうすぐだ。
「何着て行こうかな?」
彼女の都坂亜希ちゃんはニコニコしながら悩んでいる。
僕は現在亜希ちゃんのお宅にお邪魔中。
しかも、亜希ちゃんの部屋。
更にご両親は泊まりでお出かけ。
亜希ちゃんの部屋に二人きりというだけでもドキドキものなのに、ご両親が不在だなんて、もう動悸がして来る。このまま死んでしまうかも知れない。
しかも、亜希ちゃんは僕を全く警戒していないから、僕の方がオタオタしている。
「今日は私の家でデートしよ?」
小首を傾げるという反則技を使って亜希ちゃんが提案した時、僕はまさかご両親がお出かけとは夢にも思わなかったのだ。
「どうしたの、武彦? 部屋の中、暑い?」
亜希ちゃんが無邪気全開で尋ねて来た。
その笑顔にノックアウトされそうだ。
「あ、いやその、暑くはないよ……」
亜希ちゃんの笑顔が素敵過ぎるんだよ、とは言えない。
そんな事を言った瞬間に僕が下心を抱いていると思われる。
「都坂さんは磐神君に迫られたいんじゃないかな?」
この前街で偶然会った中学の時の同級生の須佐昇君が言った事を思い出した。
いやいや、亜希ちゃんはそんな子じゃない。
確かに大学で同じ外国語クラスの長石姫子さんといろいろあった時、亜希ちゃんが妙に積極的になったけど、あれはそういう事情があったからで……。
「え?」
亜希ちゃんは僕を部屋に呼ぶと、いつも僕にクッションを渡して床に座らせ、自分はベッドに腰かけるのだが、今日は違っていた。
僕の目の前に同じようにクッションを敷き、ペタンと座っている。
しかも、スカートが短いから、奇麗な太腿がドーンと目の前に……。
その上、あのその、見えそうなんですけど……。
「変な武彦」
亜希ちゃんは狼狽えている僕を見てクスッと笑う。
「ははは」
僕も乾いた笑いで応じた。眩暈がして来そうだ。
「武彦」
亜希ちゃんは不意に僕に寄って来た。
「そんなに私って魅力ないの?」
今度は悲しそうに上目遣いで僕を見る。
うおお! いくら何でも、限界が来そうだ!
ホントに誘ってるの? そう訊けたらどれほど楽か……。
「そんな事ないよ。亜希はとっても魅力的だよ」
僕は顔を引きつらせて答えた。
「だったら……」
亜希ちゃんは目を閉じて唇を突き出した。
思わず唾を飲み込んでしまう。
「はい……」
深呼吸をしてから、亜希ちゃんの柔らかくてしっとりとした唇に僕の唇を重ねる。
「ふぐ……」
その途端、亜希ちゃんの両腕が僕の首に巻きついて来て、グイッと引き寄せられた。
いつかの濃厚なキスだ。
亜希ちゃんの舌が僕の口の中に入って来た。
僕もその舌を自分の舌で探る。
どれくらいキスをしていただろうか?
「武彦、これだけでいいの?」
亜希ちゃんはトロンとした目で尋ねて来た。
これだけ? どういう事?
なんて思うほど僕もウブではない。
亜希ちゃんは次のステップを尋ねて来ているんだ。
え? どこまで? また心臓が崩壊しそうなくらいのビートを刻み始めた。
「今日はお父さんもお母さんもいないんだよ」
亜希ちゃんは更に僕に近づき、抱きついて来た。
「亜希……」
僕はどうすればいいのかわからず、亜希ちゃんを抱きしめ返した。
亜希ちゃんの胸の膨らみを感じた。柔らかい。
でも、それ以上の事に踏み切る事ができない。
「武彦?」
亜希ちゃんが僕を見る。
「嫌なの、私と……」
亜希ちゃんは悲しそうな顔をしていた。
「そうじゃないよ。只、亜希が無理してるんじゃないかって思ってさ……」
僕は自分の不甲斐なさを誤魔化そうとしてそんな言い訳をしてしまった。
すると突然亜希ちゃんが泣き出してしまった。
「わわ、どうしたの?」
僕はまずい事を言ったと思い、すっかり動揺してしまった。
ところが亜希ちゃんは、
「ごめんなさい、武彦。わかってたのね」
「え?」
もしかして、当たってたの? 破れかぶれ戦法が成功したので、取り敢えずホッとした。
亜希ちゃんは先日高校の同級生と食事をして、また何か言われたらしい。
それで、僕が「我慢」しているのなら、思い切って応じようと思ったのだそうだ。
ああ、良かった、思い留まって……。
そんな形であれこれ進行してしまうのって、何か嫌だもんなあ。
「僕は我慢なんかしてないよ。そういうのは、一方的な思いでするのって間違ってると思っているから、亜希が無理したり頑張る必要はないよ」
僕は泣いている亜希ちゃんを優しく抱きしめて言った。
「ありがとう、武彦! 大好き!」
亜希ちゃんが泣きながらギュウッと抱きついて来た。うお、また胸の膨らみが……。
亜希ちゃんて思ったより巨乳? あ、いかん、そんな事を考えては……。
しばらくして、ラブラブタイムから一転してモジモジタイムに突入。
さっきまでの濃密な時間が嘘のようにお互い照れてしまって話もできなくなってしまった。
ある意味バカップルだな、僕達。
そこへいきなり携帯の着信音。
これは我が姉からの着信だ。
「酷い、武彦」
亜希ちゃんに軽蔑されそうになった。何しろ、あの暗黒卿のテーマ曲だったからだ。
姉に知られたら軽蔑ではすまないだろう。仮面を着けなければ外を歩けない顔にされそうだ。
「あはは、冗談だよ、亜希」
僕はやや本気モードで僕を睨んでいる亜希ちゃんに愛想笑いして電話に出た。
「おう、お楽しみ中、悪いな、武」
姉が言った。僕は思わず赤面してしまった。
姉の声が大きいので、亜希ちゃんにも聞こえたらしく、亜希ちゃんも赤くなっていた。
「今日は亜希ちゃんは一人なんだってさ。さっき亜希ちゃんのお父さんから電話があってさ」
僕と亜希ちゃんは思わず顔を見合わせ、苦笑いした。
お父さんがしっかり予防線を張って来たのだ。
まあ、一人娘の父親としては当然のアクションだよね。
「亜希ちゃんを連れて来いよ。今日は母さんも早く帰って来るから、一緒に晩ご飯食べよう」
姉の提案で、僕と亜希ちゃんは僕の家に行く事になった。
「お父さんたら、全く……」
ムッとして呟く亜希ちゃんを見て、結構本気だったんだ、と更に動悸が酷くなる僕だった。