その百五十六
僕は磐神武彦。もうすぐ大学二年。
母と祖父の長年に亘る仲違いも終結し、姉と僕は新たな親族を得た思いだ。
そして、次に控えるイベントは姉の婚約者の力丸憲太郎さんのお姉さんである沙久弥さんと西郷隆さんの結婚式だ。
三月二十四日がその日。
全然そんな必要はないのに、何故か僕は緊張して来た。
「武彦って、沙久弥さんが結婚するのが残念なんでしょ?」
僕の彼女の都坂亜希ちゃんが久しぶりに沙久弥さんに嫉妬している。
今日はデートなのにそんな話題になってしまって困っている。
何度も言っているのだが、亜希ちゃんはどうしても沙久弥さんの事になるとダメみたいだ。
亜希ちゃんは沙久弥さんを嫌いな訳ではない。
むしろ好きだろう。
しかし、僕が沙久弥さんの事を嬉しそうに話すと途端に不機嫌になってしまうのだ。
「そ、そんな事ないよ。沙久弥さんには幸せになってもらいたいし」
僕は嫌な汗を久しぶりに掻きながら亜希ちゃんに言った。
「冗談よ、武彦。もう、すぐそうやって本気にするんだから」
亜希ちゃんはニコニコして応えた。
えええ!? その冗談、本当に心臓に悪いから、やめて欲しい。
「そ、そうなんだ……」
でもそう言えない僕。これからもこんな関係が続いて行くのだろうか?
別にいいけど。
「楽しみね、沙久弥さんの結婚式。白無垢もウエディングドレスもどちらも似合いそうで」
亜希ちゃんはウットリした顔で言う。
女の子って、やっぱりそういうのに憧れがあるんだろうなあ。
「亜希もどちらも似合いそうだよね。楽しみだなあ」
僕は軽い冗談のつもりでそう言ったのだが、
「え、やだ、武彦、気が早いよ、まだ私達、そんなのずっと先だし……」
亜希ちゃんは顔を真っ赤にして照れ笑いをしながら身体をくねらせた。
姉がやると気持ち悪いが、亜希ちゃんだと何をしても可愛い。
この差は何だろうか?
僕はあまりに亜希ちゃんが嬉しそうなので、苦笑いするしかなかった。
でも、嬉しいな。こんなに照れてくれるんだから。
絶対結婚しよう、亜希ちゃんと! うわ、我ながら猛烈に恥ずかしい決心だ……。
デートを終えて家に帰ると、会社の研修が終わった姉が一足先に帰っていた。
「お帰り」
姉は何かを話したそうに僕を玄関で出迎えてくれた。
「な、何、姉ちゃん?」
非常に嫌な予感がしたが、逃げるという選択肢がないのは承知している。
「ちょっと耳寄り情報なの」
姉は何だか嬉しそうに言う。僕は一抹の不安を感じながら姉について居間に入った。
「憲太郎ったらさ、沙久弥さんが結婚するのが寂しいくせに、それをどうしても認めようとしないんだよ」
姉は自分一人で大受けしている。妙な感じだ。
憲太郎さん、沙久弥さんが結婚するのが寂しいのか。
そんな感じ、全然しないんだけどな。意外だ。
それより、姉が憲太郎さんの事を「リッキー」ではなく「憲太郎」とよんだ事の方がびっくりした。
「そうなんだ」
僕は型通りに相槌を打ってから、
「そう言えば、姉ちゃん、憲太郎さんの事を『憲太郎』って呼んだね? 呼び方変えたの?」
すると姉は、
「さっすが、私の弟ね! そうなの、呼び方を変えたの!」
またポンポン僕の頭を叩く。どんな関連性があるんだろう?
「やっぱり、呼び捨てにすると、親近感が増すよね」
姉は更に僕の頭を叩く。いい加減にして欲しい。
すると突然ピタリと叩くのをやめてくれた。僕の思いが通じたなどと非科学的な事は考えないけど、取り敢えず良かった。
ところが、だ。
「あんたが生意気にも亜希ちゃんの事を呼び捨てにしてるって聞いたな、そう言えば」
姉は急にニヤリとして悪い魔女のような顔で僕を見た。
「え?」
僕は取り返しのつかない事をした気がしてしまう。
「まあ、それは亜希ちゃんからの申し出だって話だから、姉ちゃんは何も言わないけどね」
その言葉にホッとした。良かった、また何か言いかがりをつけられるのかと思ったよ。
「でさ」
急に真顔になった姉が、僕をジッと見る。
思わず後退りしそうになるが、後ろにはソファがあるのでできない。
「武君は、姉ちゃんが結婚するとやっぱり寂しい?」
急にアニメ声でそんな事を小首を傾げて尋ねて来た。
いろいろな意味でドキッとした。
寂しいと言わなければ殴られそうだが、「気持ち悪い」とか言われそうな気もするし……。
どう転んでも痛い目に遭いそうなので、僕は腹を決めた。
「それは寂しいよ。だって、僕達、二人きりの姉弟だもん」
ちょっと芝居がかっているような気もしたが、俯いて悲しそうな演出をした。
「武くーん」
姉がいきなり抱きついて来た。
「わわ!」
僕はそのままソファに押し倒される形になった。
「嬉しいよ、武彦。お前は本当にいい弟だ」
姉は目を潤ませていた。
僕はそれを見て本当に悲しくなって来てしまった。
「ありがとう、姉ちゃん」
今の状態を亜希ちゃんが見たら激怒しそう。
いや、温厚な憲太郎さんでも、冷静ではいられないだろう。
誰が見ても、恋人同士が抱き合っているように見えるからだ。
だけど、何だか嬉しい僕だった。