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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学一年編
155/313

その百五十四

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。もうすぐ大学二年になる。


 母と祖父との仲直りばかりを考えて来た僕と姉。


 それが遂に実現する日が来た。


「母さん、行かないなんて言わないでよね」


 昨日の夜、姉が夕食後母に話を切り出した。


 下準備は完璧。祖父母の方は意志疎通はできている。


 後は母がどうするかだ。


「大丈夫。そんな事はしないから」


 母は洗い物をしながら姉に応えた。


 姉と僕は顔を見合わせてホッとした。


 もしかすると、僕達の行動に腹を立ててしまうかも知れないと思っていたのだ。


 母もさすがにそこまで意固地ではなかった。


「ありがとう、二人共」


 そう言い添えた母の目に光るものが見えた気がした。


 


 そして、翌日。


 三人で朝早く起き、何となく緊張しながら食事をした。


 普段と違い、会話がない。


 僕はともかく、姉が緊張している。


 姉が緊張するのは婚約者である力丸憲太郎さんのご家族だけなのかと思ったが、そうでもないらしい。


「行こうか」


 母が立ち上がり、告げた。


「ちょっと、トイレ」


 僕は急に尿意を催して立ち上がった。


「早くしろよ、武! その後、姉ちゃんが入るんだから」


 姉も我慢していたようだ。似た者姉弟だな。


 今回は僕の彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんは参加していない。


「本番の日は、さすがに私はいない方がいいよ」


 亜希ちゃんなりに気を遣ってくれたみたいだ。


 亜希ちゃんを今度一緒に連れて行くのは、僕達が婚約した時だ。


 勝手にそう思った。


 


 電車を降り、駅前に出ると、母が大きく息を吸った。


 母も緊張しているのだ。


 それはそうだろう。十五年以上帰っていない実家に行くのだから。


「さ、母さん」


 なかなか歩き出さない母を姉が促した。


「あ、うん」


 母は姉に背中を押されてようやく前に動き出した。


 駅前通りを脇に入り、住宅街に続く路地を進む。


 一回しか来ていない場所なのに何故か懐かしい風景に思えた。


 母は次第に感慨深そうに周囲を見回し始めた。


 昔と違っている場所もあるのだろう。


 時々立ち止まる事が何度かあった。


 やがて視界の先に祖父母の家が見えて来た。


 この前来た時と同じように祖父母が家の前に立って僕達を待っている。


 母の足がまた止まった。


「母さん」


 今度は僕が声をかけた。母はチラッと僕を見て、黙って頷き、また歩み始めた。


「珠世、お帰り」


 祖母が涙を浮かべて言った。


「お母さん」


 母は遂に駆け出し、祖母としっかり抱き合った。


 それを目を潤ませて祖父が見ている。


 僕の隣にいる姉はすでに号泣していた。


「武、良かったな、ホントに良かったな」


 姉は顔をクシャクシャにして僕に言った。


「うん、良かった」


 僕も思わずもらい泣きして応じた。


 


 挨拶をすませて家に入り、居間に通されると、


「珠世、すまなかった。許してくれとは言わんが、謝らせてくれ。この通りだ」

 

 祖父が土下座をした。これには母や姉や僕だけでなく、祖母も驚いていた。


「そんな事しないで……」

 

 母は膝を着いて祖父に声をかけた。


「私も意地になっていたから……。だから、顔を上げて」


 母のその言葉に祖父はゆっくりと顔を上げた。


 祖父は涙を目にいっぱい溜めていた。


 それを見て、姉がまた号泣してしまった。


 僕は祖父と母の和解がうまくいって心の底からホッとした。


 祖父は父のお墓の場所を訊いた。


「今まで行かなかった分も含めて、お盆もお彼岸も命日も月命日も参らせてもらうよ」


 祖父はありがたそうに母が書いたお墓までの地図を受け取って言った。


「ありがとう、お父さん」


 母がそう言うと、祖父がとうとう堪えていた涙を溢れさせた。


「何年ぶりかな、お前に『お父さん』と呼んでもらったのは」


 祖父は本当に嬉しそうだった。


「でも、尊さんのお墓には勝手に行かないでね」


 母が突然そんな事を言い出したので、僕達はギョッとして母を見た。


 祖父もビクッとして母を見上げた。すると母はニコッとして、


「ウチに来て、みんなで一緒に行きましょう。ね?」


 それを聞いて僕と姉は思わず顔を見合わせ、祖父はまた泣いてしまった。


 祖母も祖父の大泣きを宥めながら泣いていた。


 そして、今回は駅前の鰻料理のお店でお昼を食べた。


 美味しい蒲焼きのはずなのに涙が混じってしょっぱかった。


 でもそれ以上の事が今日はあったのだ。


 母が長年のわだかまりを捨てて、祖父と和解してくれたのだ。


 何ものにも変え難い事なのだ。


 


 食事を終え、僕達は帰る事になった。


「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。私の結婚式に招待しますから、楽しみにしていてね」


 別れ際に涙ぐみながら姉が言った。


「ええ。楽しみにしているわ、美鈴」


 祖母が目を潤ませて言う。


「それまでは死ねんな」


 祖父が冗談交じりに言った。


「一度その人をお連れして、美鈴」


 祖母が言い添えた。姉は涙を流しながら、大きく頷いた。


 僕達は祖父母が駅前通りから見えなくなるまで見送り、駅へと歩き出した。


 今日は人生の中でもとりわけ清々しい日だった。

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