表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学一年編
151/313

その百五十

 僕は磐神武彦。大学生。只今長い春休み中。


 去年の今頃は生きるか死ぬかという生活をしていたのが懐かしい。


 受験生の皆さん、頑張ってください。などと余裕の発言をしている場合ではないけど。


 


 今日は、彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんとデート。


 映画を観に行って、食事をする予定だ。


「それだけでいいの?」


 電話で予定を確認した時、亜希ちゃんがそう言った。


「え?」


 何の事だろう? 僕は何か忘れているのかな?


「武彦の誕生日、当日にお祝いできなかったから」


 亜希ちゃんの優しい言葉に泣きそうになった。


 それでも我が磐神家は今全体的に自粛ムードだ。


 何故なら、突然現れたお祖父じいちゃんのせいで、母が混乱しているからだ。


「こんな時にデートだなんて」


 姉に言われた。


 しかし、姉が文句を言ったのは、母の事があったからではない。


 実は姉もデートだったのだが、憲太郎さんの柔道の合宿が急遽決定し、なしになったからだ。


 いつもならごねる姉だが、オリンピック出場がかかっているとなると文句も言えない。


 だからその分、僕への風当たりがきつかったのだ。


 全く、子供みたいな姉だ。そんなところも可愛いんだけどね。


 


 僕は姉の嫌みを振り切って、亜希ちゃんの家まで行った。


 亜希ちゃんは白のロングコートを着て外で待っていた。


 膝まで隠れているので美脚が見えないのが残念だが、仕方がない。


 今日は寒いし、冷えは女性の大敵だしね。


 僕もパーカーの上に黒のダウンジャケットを着込んだ重装備。


 何年かぶりの降雪で、道が凍結している。慎重に歩かないといけない。


「行こうか」

 

 僕は亜希ちゃんと腕を組み、駅へと歩き出した。


「楽しみ。今日の映画は武彦と観たかったんだ」


 亜希ちゃんは飛びっきりの笑顔で言ってくれた。


 僕もつい嬉しくなってニヤけてしまう。


「そうなんだ」


 他愛もない会話を交わしながら、僕らは駅に着いた。


 その時だった。


「武彦、だよな?」


 誰かが僕の名を呼んだ。ハッとして声の主を見ると、茶色のコートを着たお祖父ちゃんだった。


 亜希ちゃんもその顔に見覚えがあるのに気づき、ハッとしている。


「お祖父ちゃん……」


 僕は何となくバツが悪かった。亜希ちゃんの話を思い出して。


 亜希ちゃんも決まりが悪そうな顔をしている。


「こちらのお嬢さんと知り合いなのかね?」


 お祖父ちゃんは驚いた顔で尋ねて来た。


「ごめんなさい。知らない人にいろいろ話すのはまずいと思って、嘘を吐きました」


 亜希ちゃんはお祖父ちゃんに頭を下げた。するとお祖父ちゃんは苦笑いして、


「当然だよ。その対応は間違っていないし、謝る必要もない」


 お祖父ちゃんは僕を見て、


「ちょっと時間いいかな? あまり手間はとらせないから」


「あ、はい」


 僕は亜希ちゃんと顔を見合わせてから応えた。


 


 僕らは駅前の喫茶店に入った。


「何でも好きなものを頼んで」


 お祖父ちゃんはニコニコして言う。


 僕はコーヒー、亜希ちゃんは紅茶を頼んだ。


 お祖父ちゃんは抹茶ラテを頼んでいた。


「実は、私の妻、つまり、武彦のお祖母ばあさんの具合が悪いんだ」


「ええ?」


 僕はびっくりしてしまった。するとお祖父ちゃんは慌てて、


「ああ、いや、命に関わるような事じゃないんだが、そのせいでいろいろ言われてね」


 お祖父ちゃんの話はこうだ。


 そもそも、母と父の結婚に反対していたのはお祖父ちゃんだけで、お祖母ちゃんは賛成していた。


 それなのに自分の意志を押し通して、結婚を認めないばかりか、一切の交流を禁止してしまった。


 その揚げ句、父の葬式にも顔を出さず、母を完全に怒らせてしまったのだ。


「珠世に絶縁状を送り付けられた時はさすがにショックだったが、まだあの頃はどうしても許せない気持ちの方が優っていてね。バアさんに随分泣かれた」


 お祖父ちゃんは寂しそうに抹茶ラテを一口飲んで言った。亜希ちゃんは涙ぐんで話を聞いている。


「私も何を意地になったのか、バアさんが何を言おうとも、聞き入れなかった」


 見るからに頑固そうで昔のお父さんて感じだけど、そのままの人なんだな。


「だが、私達も年を取った。身体も弱くなった。そうなると気も弱くなるものだ。その上バアさんが膝を悪くして、歩くのが大変になってしまった」


 亜希ちゃんは目を見開いて驚いている。まるで自分のお祖母さんの事のように。


 優しいなあ、亜希ちゃんは。


「だからと言って同居してくれとか、面倒を見て欲しいなんて事を言いたい訳じゃないんだ。只、今までの事を許して欲しくてな。そう簡単な事ではないのはわかっているつもりだが……」


 お祖父ちゃんは本当に寂しそうだった。


「私の気持ちを珠世に伝えて欲しいんだ。そこから先は、あいつの判断に任せるから。頼む」


 お祖父ちゃんはそれだけ言うと白くなった頭を下げた。


 僕は亜希ちゃんと顔を見合わせてからもう一度お祖父ちゃんを見た。


「わかりました。母には伝えます」


「ありがとう、武彦」


 お祖父ちゃんは涙ぐんでいた。


 喫茶店を出て別れ際、


「僕と姉は、お祖父ちゃんと母には仲良くして欲しいと思っていますから」


 僕は去って行くお祖父ちゃんの背中に言った。


「ありがとう」


 お祖父ちゃんはゆっくりと振り向いてそう言うと、また歩き出した。


「ごめんね、亜希。さあ、映画を観に行こうか」


 僕はお祖父ちゃんの姿が見えなくなると亜希ちゃんに言った。


「ええ? でも……」


 亜希ちゃんはまだ目が赤い。泣いていたからだ。もうデートに行くテンションじゃないのだろう。


「僕は大丈夫。今日は亜希と楽しむつもりで出て来たんだから」


 僕は微笑んで告げた。亜希ちゃんはニコッとしてくれた。


「ありがとう、武彦」


 僕らは腕を組み、デートの続きを始めた。


 


 さすがにいつものような訳には行かなかったけど、そこそこ楽しいデートだった。


「今日はありがとう、武彦」


 いつものようにキスをして亜希ちゃんと別れた。




 家に帰ると、姉が居間でムスッとしていた。


 今日は会社の研修もなく、デートもなく、一日中家にいたからだ。


「デートは楽しかったか、武彦?」


 嫌み爆弾が早速投下された。僕は待ってましたとばかりに、


「実はさ……」


と切り出す。僕の話を聞くうちに姉も涙ぐんで来た。


「そうか……」


 姉はテーブルの上のティッシュを取り出して涙を拭った。


「母さんに話そう。それで、和解してもらおう」


 姉は僕を潤んだ目で見て言った。


「うん」


 母に頑固なところがあるのは、間違いなくあのお祖父ちゃん譲りだな。


 そんな風に思い、思わずクスッと笑ってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ