その百三十九(亜希)
私は都坂亜希。大学一年。
幼馴染で彼にもなってくれた磐神武彦君との交際も順調。
最近、武君は私の事を「亜希」と呼び捨て、私も遅れて「武彦」と呼び捨てにするようになり、ますます近い存在になった気がしている。
この前、従兄の忍さんの妹さんだと言う真弥さんと出会った。
武君が先に気づいて、真弥さんを見ていたので、また醜い嫉妬をしてしまい、本当に恥ずかしかった。
真弥さんは、忍さんとは似ていないけど、ショートカットが似合う可愛い子だ。
真弥さんも、武君をジッと見ていた事を詫びてくれた。
「ごめんなさい、亜希お姉ちゃん。私のせいで……」
亜希お姉ちゃん。いい響きだ。バカみたいだけど、私の親戚で、私がいとこの中で一番年下だったので、今まで「お姉ちゃん」と呼ばれた事がなかったのだ。
だから、真弥さんとはすぐに打ち解けて、親しくなった。従妹だから余計なのかも知れない。
「いいの、私の早とちりなんだから」
私は顔が熱くなるのを感じながら言った。
「それだけ、亜希お姉ちゃんは、武彦さんの事を愛しているんですね」
真弥ちゃんのその言葉に、私は更に顔が火照るのを感じた。
愛している、か。何だか、照れ臭い言葉だ。
「そ、そうかもね」
私は顔を扇ぎながら応じた。
そして、次の日、真弥さんは登校前に私の家に来た。
「お兄ちゃんには内緒なので、言わないでくださいね」
真弥さんはニコッとして言う。私も忍さんに言うつもりはないので、
「ええ、わかったわ」
そこへ武君が現れる。
そんな穏やかな毎日が続くかと思われた。
妙にソワソワしている武君が気になったけど、また早とちりだと恥ずかしいので、何も聞かなかった。
どうして、私って、武君を信用できないのだろう?
自分で自分が情けなくなった。
いつものように、武君と別れて一人で家路に着く。
武君のバイト先に行ってみたい気がするけど、迷惑をかけると悪いので、今のところ行く予定はない。
同じ外国語クラスの橘音子さんによると、
「磐神君、真面目に仕事してるから、心配ないわよ」
との事。以前はその橘さんにまで疑いの目を向けていた私。ああ、恥ずかしい。
家の最寄り駅に着き、ホームに降りたところで、真弥さんから携帯にメールがあった。
「これから亜希お姉ちゃんの家に行っていいですか?」
私はすぐに返信した。
「いいよ。待ってるね」
そして、携帯をスーツのポケットにしまうと、駅を出た。
高校の時は、告白して付き合うようになってから、毎日武君と登下校した。
だから、今みたいに、武君がバイト休みの時しか、一緒に帰れない。
時々、凄く寂しくなる事がある。
家に着き、部屋に行って着替え、居間で真弥さんを待つ。
「誰か来るの、亜希?」
キッチンで夕食支度をしていた母が尋ねる。
「この前話した真弥さんよ」
私はキッチンに行って答えた。
「ああ、忍君の妹の? でも、初耳だなあ、忍君に妹がいたなんて」
母は味噌汁の味見をしながら言った。
「真弥さんの話だと、お父さんと叔父さんが連絡を取れなくなった頃、九州で出会った女性との間にできた子らしいから」
「そうなの。ふーん」
母はあまり興味がないような口ぶりで、鍋の方に顔を向けてしまった。
私はちょっとだけムッとしたが、何も言わずに居間に戻った。
真弥さんの話だと、こちらに来たのは、忍さんには内緒にしていると言う。
いろいろと複雑な事情があるようなので、私はあまり突っ込んだ事は訊かなかった。
「真弥さん、遅いな」
居間の壁にかけられた時計を見た。
もう、八時を回っている。
父も帰って来て、真弥さんの話をしたが、
「お父さんも知らなかったな」
と言った。叔父さんは秘密にしていたのだろうか?
心配になったので、メールを送ってみた。
しかし、真弥さんから返信がない。
何かあったのだろうか?
次に私は部屋に戻り、電話をかけた。
しかし、留守番電話になってしまい、真弥さんは出なかった。
母に呼ばれて夕食をすませ、その後も何度か連絡したり、メールを送信したりしたが、真弥さんから返事はなかった。
「亜希、お風呂、入っちゃいなさい」
母が部屋まで来て言った。
「ああ、うん」
私は携帯を閉じ、お風呂に入った。
入浴後、部屋に戻ると、携帯にメールの着信があった。
開いてみると、真弥さんからだ。
内容を読んで、私は仰天した。
「武彦さんのバイト先で待ち伏せして、キスしました。貴女から武彦さんを奪いますので、よろしく」
目の前が真っ白になった。
一体どういう事なのか、理解ができない。
武君とキスをした? 私から武君を奪う? 何故? どうして?
疑問符ばかりが頭の中に溢れて来る。
(どういう事なの? まさか……)
私は、気が進まなかったが、忍さんの携帯に連絡した。
「おや、珍しいね、亜希ちゃん。どうしたの?」
以前と変わらない軽い調子で、忍さんは携帯に出た。
私は手短に真弥さんの事を話した。
「真弥? ああ、オヤジの娘ね」
忍さんの声は冷たい感じがした。やはり、確執があるのだろうか?
「オヤジの娘って、忍さんの妹でしょ!?」
私はその言い方にカチンと来てつい怒鳴ってしまった。
「オヤジがよその女に産ませた子供なんて、僕の妹なんかじゃないよ」
忍さんの声は更に冷たくなった。そう言われてしまうと、部外者の私は何も言い返すことができない。
忍さんの応対から判断すると、真弥さんが武君に近づいたのは、忍さんとは関係ないようだ。
「わかりました。夜分遅くにごめんなさい」
そう言って通話を切ろうとすると、
「待ってよ、亜希ちゃん。どうして急に真弥の事を訊いて来たのさ?」
と忍さんがそれを遮る。私は、
「別に。失礼します」
「あ、ちょっと……」
まだ何か話したそうな忍さんを無視して、私は携帯を切った。
今度は真弥さんの携帯にかけてみた。
しかし、電源が切られているのか、つながらなかった。
(真弥さん……)
私には真弥さんの意図がわからない。
「武君……」
武君にも話を訊きたい。何があったのかを。
しかし、時計を見るともう十二時を回っている。
私は携帯の電源を切り、ベッドに入った。
武君から何も連絡がないのは、何となく想像がつく。
私に気を遣って、黙っているつもりなのだろう。
そして、真弥さんが何をしようと、武君が真弥さんに心変わりするはずがない。
私は武君を信じる。信じているけど、気持ちが高ぶって眠れない。
武君……。