その百三十七
僕は磐神武彦。大学一年。
幼馴染みでその上彼女の都坂亜希ちゃんと駅中の大型書店に立ち寄った時、亜希ちゃんの従兄の都坂忍さんの妹さんだと言う真弥さんと出会った。
最初は亜希ちゃんに誤解されてしまったほど、可愛い子だ。
でも、あの意地悪な忍さんには似ていない。
何故だかわからなかったけど、僕は真弥さんの事が気になってしまった。
そして、今日も亜希ちゃんと一緒に大学へと行く。
「おはよう」
長石姫子さんと若井建君のカップルに門の前で会った。
「おはようございます」
僕と亜希ちゃんは笑顔で返す。
「あれ、もう仲直りしたの、二人とも?」
長石さんがドキッとする事を言った。
「え?」
僕と亜希ちゃんは、思い当たる事があったので、ギクリとしてしまう。
「昨日、駅の中にある本屋さんで、磐神君と都坂さんが喧嘩していたって聞いたから」
長石さんは何だか嬉しそうに言う。若井君がその様子に気づき、
「いや、そんなの、見間違いだと思うんだけどさ」
若井君は小声で長石さんに何か言っている。長石さんは、
「だって、音子ちゃんが見たって言ってたから……」
と口を尖らせて言い返している。何だか可愛い。
音子ちゃんとは、亜希ちゃんと同じ外国語クラスの橘音子さんの事だ。
「橘さんに見られたの……」
亜希ちゃんは恥ずかしそうに囁いた。
「みたいだね……」
僕も何だか恥ずかしい。隠しても仕方ないので、僕は二人に説明した。
「何だ、そういう事か」
若井君は笑ったが、
「愛されてるのねえ、磐神君てば」
長石さんが冷やかしたので、僕と亜希ちゃんは顔を見合わせて赤面した。
「都坂さんの従妹なら、やっぱり美人なんだろうね」
若井君が言うと、
「建、何考えてるのよ!?」
長石さんがムッとして若井君に詰め寄る。
「あはは……」
若井君は焦って苦笑いしている。
「それが、確かに可愛い子だったけど、亜希には似ていないんだよね」
僕は亜希ちゃんが「可愛い子」と言った時にちょっとだけキッとしたのを見てビクッとした。
「へえ、そうなんだ」
長石さんも僕を白い目で見ている気がした。ああ、そんなつもりはないのに……。
「都坂さん、気をつけてね。磐神君、建と一緒で目移りするタイプみたいだから」
長石さんはとんでもない事を言い出す。
「おい、何だよ、それ?」
若井君は笑いながらだったが、長石さんに抗議した。
「ええ、そうみたいですね」
亜希ちゃんがニコッとして相槌を打ったので、僕と若井君は顔を見合わせてしまった。
二人の誤解が解けた頃になって、今度は橘さんと丹木葉泰史君が現れた。
「あ、話しちゃったんですか、姫子さん?」
橘さんはバツが悪そうに尋ねた。
「ええ、もう話しちゃったわよ」
長石さんは嬉しそうに答えた。
「ねえ、本当はどうなの?」
橘さんは決まりが悪そうながらも、興味はあるみたいだ。僕は溜息を吐き、もう一度説明した。
「何だ、そういう事なんだ」
理由を知って、橘さんは恥ずかしそうだ。
「だから言ったんだよ、音子。長石さんに喋ったら、絶対に都坂さんに言っちゃうって」
丹木葉君が橘さんに言った。
「ええ、ホントね」
橘さんは苦笑いして丹木葉君を見た。
「何よそれ? 私って、そんなにお喋りなイメージ?」
長石さんは不満そうだ。
「お前がお喋りじゃなかったら、あと誰がお喋りなんだよ?」
若井君は呆れ顔で言った。
「ひどーい」
長石さんは悲しそうに若井君を睨んだ。
でも、確かに長石さんはお喋りだと思うから、否定はできないよね。
夕方になり、受講も終了し、僕と亜希ちゃんは駅へと向かった。
すっかり日が短くなり、街灯が点き始めた舗道を歩く。
「もうすぐ今年も終わるね」
亜希ちゃんが言った。
「そうだね」
僕は亜希ちゃんを見て応じた。
「来年も仲良くしようね、武彦」
亜希ちゃんが腕を組んで来て言う。しかし、僕は、
「嫌だよ」
「え?」
ものすごく驚く亜希ちゃん、僕はしてやったりと思って、
「来年はもっと仲良くしたいな、亜希とは」
「バカ」
亜希ちゃんは泣きそうになっていたので、やり過ぎたかなと思ったけど、
「武彦」
すぐにお誘いがあったので、ホッとし、舗道から誰もいない路地に入り、キスをした。
そして、駅で別々のホームに向かう。
こんな毎日がずっと続くといいな。何故そんな事をふと思ったのか、その時は考えてもみなかった。
バイト先のコンビニがある駅を入り、角を曲がってコンビニへと歩く。
「武彦さん」
聞き覚えのある声が横から聞こえた。
ふと声の主を確かめるためにそちらを見ると、脇道で小さく手を振る真弥さんがいた。
昨日と同じセーラー服だ。
「こんばんは」
僕はあまりにも早い再会についニコッとして挨拶した。
「武彦さん」
真弥さんはスッと僕の腕を取って脇道に引っ張る。
「どうしたの、真弥さん?」
僕はバランスを崩しそうになりながら、真弥さんを見た。
「好き」
真弥さんはそう言って、僕が反応するより早く、キスして来た。
ほっぺではなく唇に。
「またね」
真弥さんは恥ずかしそうに微笑むと、制服のスカートをはためかせて走り去ってしまった。
僕はそれからしばらく思考停止してしまった。
何が起こったのか理解するまでに時間がかかった。
そんな衝撃的な事があったので、バイト中もぼんやりしてしまう事が多く、同僚や店長に注意された。
「疲れているのか、磐神君?」
店長には体調の心配までされてしまった。
「いえ。すみません」
僕は謝るしかなかった。
バイトを終え、帰宅。
姉が起きている。母は遅番なのでまだ帰っていない。
「只今」
僕はいつもと変わらない調子で言ったはずだったが、
「何があった、武?」
キッチンから姉が飛び出して来た。
隠し立てをしても意味がないので、僕は真弥さんの事を話した。
姉はからかうかと思ったが、
「あのお漏らし君の妹なら、何か魂胆があるのかも知れないぞ」
姉がいつになく真剣な表情なのは、忍さんの嫌がらせが尋常ではなかったからだ。
「そんな気もするんだけどさ」
僕には真弥さんがあの忍さんの指示で動いているとは思いたくない。
「何だ、お前、違うと思っているのか?」
姉は不満そうだ。睨まれてしまった。僕の反論がお気に召さないのか、腕組みまでされた。
「根拠はないんだけど、違うような気がするんだ」
それでも僕は、自分の考えを曲げない。
「まあ、いい。とにかく、その事は亜希ちゃんには言うな。それから、また明日も現れるかも知れないから、気をつけろよ」
姉は腕組みをしたままで言った。
「うん、わかった」
僕は一旦自分の部屋に行き、風呂に入って寝た。
姉の言う通り、まだその日の出来事は始まりでしかなかったのがわかったのは、次の日だった。