その百三十二
僕は磐神武彦。大学一年。
中学の時の同級生の須佐昇君と櫛名田姫乃さんが、沖縄旅行で結ばれたのを知り、僕は酷く動揺した。
二人は中学の時から公認の仲だったし、いずれは結婚するのだろうと囁かれていたのは確かなんだけど、現実にそんな話を聞かされると、やっぱりショックだ。
須佐君も僕と同じ「従順系消極的男子」(僕が考えたカテゴリー)だと思っていたのに。
でも、仕方ないよね。櫛名田さんは積極的な女の子だから。
「あら、私も積極的よ」
そんな声が背後でした。
それよりここはどこだ? 周りが霞んでいてよく見えない。
「こっちよ、武君」
どうやら声の主は、僕の彼女の都坂亜希ちゃんらしい。
「え?」
僕は声がする方を見て、ドキッとした。
亜希ちゃんはもうそれ以上は無理というくらいのミニスカートを履き、その美しい脚を惜しげもなくさらし、胸元が大きく開いたユルユルのタンクトップを着ている。
胸の谷間どころか、胸そのものが半分くらい見えている。
亜希ちゃんて、見かけによらず、巨乳だったんだ……。
「武君も私としたいの?」
亜希ちゃんが可愛く小首を傾げる。それだけで鼻血が出そうなくらい可愛い。
「ぼ、僕は……」
言葉に詰まってしまう。
そりゃあ、僕だって男だから、したくない訳がない。
でも、それをはっきり言えるほど大胆でも恥知らずでもない。
「私はいいよ、武君。来て」
亜希ちゃんが両手を広げて僕を誘う。
「亜希ちゃん!」
遂に頭の中がこんがらがってしまった僕は亜希ちゃんに抱きついた。
「何寝ぼけてるんだ、エロ武!」
怒鳴り声が耳元で聞こえ、
「ぐええ!」
何故か僕は自分の部屋の床に倒れていた。
我が姉の背負い投げによって。
「いつまでも起きて来ないから起こしに来た優しい姉に向かって、『亜希ちゃん!』とか気持ち悪い声で叫びながら抱きついて来るとは、情けないぞ!」
某うさぎの絵入りのエプロン姿の姉は仁王立ちで僕を見下ろしている。
「ね、姉ちゃん?」
まだ状況が掴めていない僕は、キョトンとして姉を見上げた。
「変態!」
姉は何故か顔を真っ赤にして、僕の腹を踏みつけた。
「ごおお!」
あまりの衝撃に僕はようやく完全に目を覚まし、腹部の痛みに悶絶した。
「朝から何考えてるんだ、ドエロ!」
姉はそのまま部屋を出て行ってしまった。
前にもこんな事があったなと思いながら起き上がる。
「ああ……」
理由はその時と同じだった。
僕は夢の中の出来事をしっかり引き摺ったまま、現実世界に戻ったのだ。
(姉ちゃんだけじゃなくて、亜希ちゃんにも顔を合わせるのが恥ずかしい……)
でも、朝だからこそ許して欲しいと思う僕がいた。
トイレに行き、着替えをすませるうちにようやく収まりがついた僕は、キッチンに降りて行く。
幸いな事に母は早出ですでにいない。
「出たな、エロ男!」
姉が手にしていた包丁を僕に突き出す。
「ちょっと、姉ちゃん、危ないよ」
「うるさい! 朝からエロい事考えてるお前が悪いんだ!」
姉はムッとして言った。
「ごめん、姉ちゃん。でもさ、朝は仕方ないんだよ。男ってそういうものだからさ」
恥ずかしかったけど、このままだと血を見そうな気配だったので、僕は必死になって説明した。
「そうなの?」
姉は不思議そうな顔で僕を見る。
「嘘だと思うなら、憲太郎さんに訊いてよ」
「できるか、そんな事!」
姉はまた真っ赤になった。
思ったより純情なのかも知れない。
そして何とか朝食をすませた僕は、出かける準備をして玄関に向かった。
「武」
姉がキッチンから出て来て声をかけて来た。
「何?」
僕は立ち止まって振り向いた。
「お前、もしかして亜希ちゃんとそうなのか?」
いきなり訊かれた。僕はドギマギしてしまった。
「ち、違うよ! まだキスだけだよ……」
そう言いながらも、顔がどんどん熱くなって行く。
「そ、そうか。わかった」
姉も恥ずかしそうに苦笑いした。
「行って来ます」
「行ってらっしゃい、武君」
最後は似ていないと何度言ってもやめてくれない亜希ちゃんの物真似で返して来た。
うわあ。あんな夢を見た後で、亜希ちゃんと会うの、物凄く恥ずかしいぞ。
でも、仕方ない。
僕は意を決して亜希ちゃんの家に行った。
亜希ちゃんはいつもより僕が遅いので、玄関から出て来ていた。
「あ、武君、おはよう!」
いつもの通学ルックの亜希ちゃんを見て、僕はホッとする。
(夢と同じような大胆な服だったら、どうしようかと思った)
「おはよう、亜希」
辛うじて「呼び捨ての約束」を果たし、並んで歩き出す。
「どうしたの、武君? 顔が赤いよ」
亜希ちゃんが僕を覗き込んで言う。僕は頭を掻いて、
「須佐君の話を聞いたせいで、変な夢を見ちゃってさ」
と言ってしまってから、猛烈に焦る。
「変な夢? どんな夢を見たの?」
亜希ちゃんは興味津々の目で僕を見ている。
僕は自棄になって、
「亜希ちゃんに誘惑される夢」
と言った。すると亜希ちゃんは何故か嬉しそうに、
「わあ、シンクロしてる!」
「え?」
何だ、どういう意味? シンクロ? 同調って事だよな。え、まさか……。
「私も姫ちゃんに話を聞いたせいで、武君に迫られる夢見た」
亜希ちゃんは嬉しそうだったけど、ちょっぴり恥ずかしそうでもあった。
「お互いが同じ日に恋人に迫られる夢を見るなんて、何だかロマンチックね」
亜希ちゃんは僕の左腕に自分の右腕を絡ませて来た。
「そ、そうだね」
僕はまた亜希ちゃんのあれがギュウッと腕に押し当てられるのを感じ、ドキッとしながら応じた。
「武君はやっぱりそういう事、早くしたい?」
亜希ちゃんは俯いて尋ねて来た。
「いや、そんな事はないよ。まだ早いと思う」
そう言ったのは、理性が働いたからではない。
須佐君の話を聞いて、してしまったら、亜希ちゃんが冷たくなるかも知れないと思ったからだ。
「そうだよね」
亜希ちゃんはホッとした顔でまた僕を見てくれた。
「夢のせいで、武君に迫られたらどうしようなんて考えちゃった。ごめんね、武君。武君はそんな人じゃないのにね」
小首を傾げて謝る亜希ちゃんを見て、夢の中の大胆な亜希ちゃんとオーバーラップさせてしまう。
可愛過ぎます、亜希ちゃん! 理性が崩壊しそうです。
でも、頑張ろう。大変だけど……。