その百三十(亜希)
私は都坂亜希。大学一年。
幼馴染みで同級生でその彼でもある磐神武彦君との交際は順調。
この前、久しぶりに大人のキスをした。
そして武君にギュウッと抱きついた。
驚いた。
武君、その……。
興奮したみたいで、えっと……大きくなってた(きゃああ!)。
武君は私に気づかれたのを知って、真っ赤になっていた。
私はすかさず、
「それって、私の事が好きだから、でしょ?」
とフォローした。フォローになっていたかどうかわからないけど。
私達女子もいろいろ大変だけど、男子も大変なのかな、などと思ってしまった。
でも、その時、私の事を、
「亜希ちゃん」
て呼んだので、それはお仕置きした。
こういうのって、「男を手玉に取る女」だって、以前親友の櫛名田姫乃ちゃんに言われた事がある。
そうなのかなあ。私って、武君を手玉に取っているの?
武君は確かに私の言う事を何でも聞いてくれるし、受け入れてくれるけど、手玉に取っている訳ではないと思う。
それは私の独りよがりなのだろうか?
誰かに相談したけど、誰に相談すればいいのかな?
などと悩んでいるうちに夜も更けてしまった。
「明日も講義あるから、もう寝ないと」
私は明かりを消してベッドに横になった。
翌朝。いつものように武君が迎えに来てくれる。
「行って来ます」
母に告げ、私は武君と駅へと向かった。
「昨日はごめんね、武君。私、意地悪だったでしょ?」
昨夜反省したので、武君に謝罪した。すると武君は驚いた顔で私を見て、
「謝られるような事されてないよ、僕は。僕の方こそ、一人で興奮してごめんね」
と逆に謝って来た。うわ、またその話?
顔が火照る。言い出した武君も赤くなっているのがわかった。
「男の子って、そんなにしたいものなの?」
私は小声で尋ねた。武君はビクッとして、
「そ、そんな事ないよ! 全然そんな事思ってないよ!」
と慌てて否定したが、それはそれで悲しい。それって、私に魅力がないという意味にもとれるから。
「そうなんだ」
私はちょっとだけその感情を声に出して言ってみた。
「あれ、怒ったの?」
また武君がビクッとする。もう! そんなに私って怖いの?
「怒ってないわよ」
私はプイッと顔を背けて武君を置き去りにして歩き出す。
「ああ、待ってよ、亜希ちゃ、いや、亜希」
慌てて言い直した武君がおかしくて、つい笑ってしまった。
でも、待ってあげない。そのままスタスタと歩いた。
駅に着き、改札を抜け、ホームへの階段を昇る。
「待ってよ」
武君が階段を駆け上がって追いついた。
「武君、これから言わないで欲しい事があるの」
私は息を切らせている武君を見て言う。
「何?」
武君はゼイゼイ言いながら尋ねる。
「『怒ってる?』は禁止。言わないで」
武君は即座に、
「うん、言わないよ」
素直過ぎる。そんなところがいいんだけど……。
「じゃ、行きましょ」
私は武君と腕を組み、階段の残りを歩いた。
講義も特にこれと言って変わった事はなく、私達は帰路に着いた。
「じゃあ、また明日ね、亜希」
武君は駅でのお別れの時、言い淀まずに「亜希」と言ってくれた。
「うん、またね」
手を振り合って別れる。
最初は酷な事を頼んだかなと思ったけど、段々慣れてきたみたい。
ホッとしている。
今日は父と母は久しぶりのデートだそうだ。
私も将来そういう夫婦になりたいな。
家に帰っても誰もいないので、今日は私もデート、と言いたいところだけど、武君はアルバイトだから、姫ちゃんと食事。
「はーい、亜希!」
ファミレスのドコスに入ると、奥のボックス席で姫ちゃんが手を振る。
「姫ちゃん」
私は気恥ずかしくて小さく手を振った。
「久しぶりね」
「そうね」
私達は注文をすませ、近況報告をし合った。
その中で、
「亜希さ、まだ磐神君にお預けさせてるの?」
と姫ちゃんが尋ねて来たので、ドキッとした。
「お、お預けって……」
「わかってるくせに。その様子じゃまだ続いてるのね、お預け」
姫ちゃんはケラケラ笑いながら言う。もう、恥ずかしいな。
すると姫ちゃんは意外な事を言い始めた。
「正解だよ、亜希、お預けさせといた方が、男は従順だよ」
「え? どういう事?」
私はキョトンとしてしまった。姫ちゃんは声を低くして、
「あの従順だった昇でさえ、一度許しちゃったら、もう態度がコロって変わったの」
「ええ!?」
つい大声を出してしまい、赤面する。姫ちゃんの彼の須佐昇君は、武君と同じく所謂「草食系男子」だった。
その須佐君が態度を変えたっていう話も驚きだが、それ以上に驚きなのは、ええと……。
「失敗したよ、ホントに。沖縄で開放的になったのが良くなかったのかもね」
姫ちゃんはテヘッと笑って言っているが、私には衝撃的な話だ。
「じゃあ、姫ちゃん、須佐君とその……」
私が言い淀んでいると、
「うん、しちゃった」
姫ちゃんは大した事ではないように答えた。私は次の言葉が出なかった。
「お互い初めてだったから、気持ち良かったとかもないし、何か感じるものもなかったしね。今更ながら、早まったなって思ってるの」
もう私は固まるしかなかった。
「それなのにさ、昇の奴、嫉妬深くなって、独占欲強くなっちゃってさ。私のところに男から電話があると、怒るんだよ」
姫ちゃんは須佐君の態度が気に入らないだけで、彼とそうなった事を後悔しているのではないらしい。
それはそれで良かったのかも知れない。
「だから亜希は、ギリギリまで磐神君に許しちゃダメだよ」
「そ、そう……」
私は苦笑いするしかなかった。
食事を終えてドコスの前で姫ちゃんと別れ、私は家へと向かった。
「わお、亜希ちゃんじゃない!」
偶然、角でばったり美鈴さんと会った。
「こんばんは」
私は何故かドキッとして挨拶した。武君の癖がうつったかな?
「そうか、今日は武はバイトか」
美鈴さんは少し酔っているのか、ゲラゲラ笑った。
「最近、どうなの、武とは?」
絡まれてしまった。
「ええ、順調です」
苦笑いして応じる。
「毎日チューしてるの?」
美鈴さんは容赦ない。
「はい、お陰様で」
私も開き直ってしまった。
「あはは、そうなんだ。武は幸せ者だなあ、こんな可愛い彼女と毎日キスできてさあ」
美鈴さんの言葉に近くを歩いていた人達が私達を見てクスクス笑っている。
恥ずかしい。
「武を頼むね、亜希ちゃん」
美鈴さんが涙ぐんで言う。私もそれを見て泣きそうになった。
「はい、お義姉さん」
私達はそのまま家の近くまで肩を組んで歩いた。
他人にはどういう関係に見えただろう?