その百二十八(姉)
私は磐神美鈴。ようやく就職先が決まり、ホッと一息の大学四年。
最近、自分がおかしくなったのではないかと思ってしまう。
弟の武彦が、
「頑張ったな、美鈴。お前の実力が評価されたんだよ」
と言ってから、あいつと今は亡き父がダブってしまい、いつもの調子で、
「武!」
と言えなくなってしまった。
いつの間にか、あいつ、父とそっくりの声になっている。
仕草もどこか似て来た。
何しろ、母でさえ、
「時々あまりに似ていて、驚く事があるわ」
と言ったくらいだ。
武彦も私の変化に気づいているらしく、不思議そうな顔で見ている事がある。
ビクッとされるよりいいけど、何だか調子が狂ってしまう。
婚約者の力丸憲太郎君のお姉さんの沙久弥さんが、恋人の西郷隆さんにプロポーズされたと聞いた。
それきっかけかどうかわからないけど、リッキーと私は西郷さんの招待を受け、西郷家へと赴いた。
沙久弥さんも一緒なのかと思ったが、今日は私達だけなのだそうだ。
「どういう事なの?」
私はリッキーに小声で尋ねる。
すでに西郷家の客間に通されている。
大きなテーブルを前にして、紫色の座布団の上に落ち着きなく座っている状態だ。
「お姉さん達に僕達を紹介したいんだってさ」
リッキーが教えてくれた。
「そうなの」
言われてみれば、柔道の大会で西郷さんの一番上のお姉さんの恵さんとは何度か顔を合わせているけど、他のお姉さん方とはお会いした事がない。
「悪いね、忙しいのに」
西郷さんがお盆に高そうな陶器の急須とお茶碗を載せて現れた。
この家では一番格下の西郷さんが給仕担当らしい。
武彦に教えてあげたいくらいだ。あ、いけない、またあいつの事思い出してる。
「いえ、とんでもないです。お招きいただき、ありがとうございます」
リッキーが急に畏まって頭を下げたので、私も慌てて頭を下げた。
「何気取ってるんだよ、憲ちゃん。美鈴さんはともかく、憲ちゃんは何度も来ているんだから」
西郷さんはお茶を用意しながら笑って言った。
おお、慣れた手つき。さすが給仕係だ。
「こちらには何度もお邪魔してますけど、お姉様方が皆さんいらっしゃるのは初めてですからね。ちょっと緊張してますよ」
リッキーは爽やかな笑顔で言う。
「ハハハ、緊張するほどの存在じゃないよ」
西郷さんがそう言った時だ。
「何だと、隆ィ!」
いきなり現れた女性が西郷さんの首を後ろから絞めた。
この人は?
「ああ、紹介するよ、すぐ上の姉の詠美」
西郷さんは首を絞められたままで言った。
詠美さんは確か、法務省勤務のエリートだ。
それにしても、西郷さんとは似ても似つかないほどの美人。
おっと、それは失礼かな? 沙久弥さん、ごめんなさい。
「いらっしゃい、憲ちゃん。おお、噂の美鈴さんね。弟さんと似てないけど、美人ね」
詠美さんはようやく西郷さんを解放して、私達を見た。
「ありがとうございます」
リッキーが応じた。私は、
「美人だなんて、そんな事ないですよ」
と言った。
そう言えば、武彦はこちらに来ているんだっけ。
「いやいや、美鈴さんはウチの姉の誰よりも美人ですよ」
西郷さんはとんでもない事を言った。それ、まずいでしょ?
「こいつゥ、どうせ私はブスですよ!」
また詠美さんは西郷さんの首を絞め始めた。でも笑っているので怒ってはいないみたい。
どういう関係なのだろう?
「美鈴さんの方が美人だって言っただけで、詠美ちゃんが美人じゃないなんて言ってないって!」
西郷さんも笑いながら反論している。
いつもの事なのだろうか?
「西郷先輩は詠美さんと一番歳が近いから、いつもこんな感じなんだよ」
リッキーが小声で教えてくれた。
「今更フォローしても遅い!」
嬉しそうに首を絞める詠美さん。確かに仲がいいのだろう。
「もう、はしたないわね、詠美。お客様がいらっしゃる前で」
そう言って現れたのは、長女の恵さん。
とても二人の子持ちとは思えないほどの若々しさと美しさだ。
私が恵さんより美人だなんて、リッキーだって思ってくれないだろう。
ああ、自分の妄想に軽く落ち込みそう……。
「そうそう。詠美はそんなだから、お嫁に行けないの」
恵さんの後ろから現れたのは、推察するに次女の翔子さんだろう。
この人も二人の子持ち。見えない。肌もツヤツヤしている。どんな食生活をしているのだろうか?
「何よお、翔子姉、私は依里姉がお嫁に行くのを待ってるのよ」
詠美さんは口を尖らせて言った。何だか可愛い。
「人のせいにしないでよね!」
詠美さんの頭を軽くパシンと叩いて現れたのが、三女の依里さんのようだ。
外務省勤務で、外国から戻って来たばかりらしい。
「依里がお嫁に行くのを待っていたら、詠美はおばあちゃんになっちゃうわね」
私達の向かいに恵さんと座布団に腰を下ろしながら、翔子さんが結構酷い事を言う。
「それもそうね」
詠美さんがそう応じたので、
「ええ、何それ!? 私は武彦君狙いで行くんだからね」
依里さんがギクッとする事をサラッと言ってのけた。
「将来のお義姉さん、よろしくね」
依里さんが言ったが、私は顔を引きつらせてしまった。
「美鈴さんが返事に困ってるでしょ、依里。いい加減にしなさい」
恵さんが依里さんを窘めた。
「はあい」
依里さんはチロッと舌を出して、私に、
「気にしないで、冗談だから」
と言いながら、ドスンと座布団に腰を下ろし、胡坐を掻く。
「はしたないなあ、依里姉はあ」
詠美さんは呆れ顔でその隣に正座した。
「仕方ないでしょ、海外生活が長かったんだから」
依里さんはケロッとした顔で応じた。
「依里」
凛とした恵さんの声が響いた。途端に依里さんがビクンとし、
「はい!」
依里さんは素早く正座した。
なるほど、奔放そうな依里さんも、恵さんは怖いのね。
いろいろと時間がかかったが、西郷さんが皆さんを紹介してくれて、挨拶がすんだ。
お会いするまでは緊張したけど、皆さん優しい方で、正直ホッとした。
「何だか楽しくなっちゃうわね。沙久弥さんと美鈴さんが義理とは言え、妹になるんだから」
恵さんにそう言われたのがとても嬉しかった。
リッキーとの将来のためにいろいろと相談に乗ってもらえそうだ。
「美鈴が楽しそうで良かったよ」
帰り道、リッキーが言った。
「そう? 私、そんなに楽しそうだった?」
自覚症状がない私。するとリッキーはニヤリとして、
「ウチに来た時も、あれくらい楽しそうにして欲しいな」
「げ」
言われてしまった。
西郷家も緊張したけど、力丸家ほどではなかったからなあ。
「まあ、緊張してスチャラカな美鈴も可愛いんだけどね」
リッキーはクスッと笑って言う。
「ああ、やっぱり私が緊張しているのを面白がっていたな!」
私は力丸家ではもうこれでもかというくらいやらかしてしまっている。
だから余計緊張してしまうのかも知れない。
「今度からは僕もフォローするから」
リッキーがグイッと肩を抱いてくれた。
「ありがと、リッキー」
周囲に人がいないのを見計らい、キスをした。
「み、美鈴……」
目を丸くして驚くリッキー。可愛いんだから。ムフ。
「さあ、目指せ、ロンドン五輪!」
私はリッキーの背中をドンと叩いて言った。
「ハハハ」
リッキーは苦笑いしてまたギュッと肩を抱いてくれる。
「ありがとう、美鈴」
今度はリッキーが私のほっぺにキスしてくれた。
「おお!」
初めてだったので、びっくりしてしまう。
もちろん、キスは何度もしてるけど、どういう訳か、いつも私からなのだ。
「頑張るよ」
「うん」
急に寒くなった通りをしっかり肩を寄せ合って駅へと急いだ。