その百二十七
僕は磐神武彦。大学一年。
姉の婚約者の力丸憲太郎さんのお姉さんである沙久弥さんが、恋人の西郷隆さんにプロポーズされた。
その場に呼ばれて居合わせた僕と亜希ちゃんは感動して泣きそうになり、憲太郎さんも目を潤ませていた。
一番冷静だったのは沙久弥さんで、号泣する西郷さんを慰め、喫茶店を出て行った。
さすが、沙久弥さんだ。
あ、いけない、亜希ちゃんが睨んでる……。
感動の余韻に浸りながら、僕はバイト先に行き、憲太郎さんは亜希ちゃんを途中まで送ってくれる事になった。
憲太郎さんと歩いて行く亜希ちゃんを見ると、とってもお似合いなので、一人で落ち込んでしまった。
情けないなあ、僕って……。
バイトを終え、家に帰った。
姉はまだご機嫌で、玄関まで出迎えに来てくれた。
「お帰り、武君」
怖いくらいの笑顔だ。
「ご飯まだでしょ?」
姉はまるで新婚の奥さんみたいに訊いて来る。
実はコンビニで軽くすませたんだけど、
「うん、まだ」
と答えた。何となく断りづらい雰囲気だったからだ。
キッチンに行くと、姉が作った料理が並んでいた。
玉子焼き、肉野菜炒め、ポテトサラダ、鶏の唐揚げ。
こんなに食べられるかな? 気持ち悪くなりそう。
「さあ、遠慮なく食べて」
ドンとよそわれたご飯も、大盛り。ウップとなりそうだ。
向かいに座り、ニコニコしている姉に悪くて、全部食べようと思った。
「あ、そうだ」
僕は沙久弥さんの事を思い出して、姉に話した。
「へえ、そうなんだ。西郷さんも頑張ったんだね」
姉はニコッとして言った。僕は憲太郎さんが姉に内緒にしていたのを怒るのではないかと思ったので、そのリアクションは意外だった。
「沙久弥さんね、悩んでいたみたいなの」
「え?」
姉の言葉に僕は興味をそそられた。
「沙久弥さん、西郷さんが一向にプロポーズしてくれないので、心配していたらしいわ」
姉はそう言いながら、唐揚げを一つ頬張る。お、そのままドンドン食べてよ、姉ちゃん。
「そうなんだ」
僕もご飯を頬張った。
「本当は西郷さんは自分の事が好きではないのではないかって、悩んでいたのよ」
「意外だね。逆ならあり得るけど」
僕は玉子焼きを取った。姉も唐揚げをもう一つ口に入れ、
「リッキーが私と婚約したのも、後で聞いた話では、西郷さんの後押しのつもりだったみたいなの。私は得したけど、西郷さんはそれでも動かなかったから、リッキーの作戦は不発だったのよね」
と苦笑いした。
「憲太郎さん、優しいんだね」
僕がそう言うと、姉はテヘッと笑って、
「そうよ。優し過ぎて怖いくらい。でもね、武君も優しいよ」
そう言われて、僕はドキッとしてしまった。
「ホントは、お腹一杯なんでしょ?」
「え?」
見抜かれていたのか!? 嫌な汗が出る。
「それなのに何も言わずに食べてくれるんだから、優しいよ」
姉は小首を傾げて微笑む。可愛い。我が姉ながら、本当に可愛い。
「で、どうだった、味は?」
姉が急に立ち上がったので、僕は思わず後退りした。
「お、美味しかったよ」
「そう」
姉はホッとした顔で椅子に戻った。
「実はね、今度の日曜日に、力丸家をご招待したのよ」
「ええ!?」
僕は姉の発言に仰天した。
「香弥乃さんのお料理には敵わないけど、私の手料理を食べていただこうと思って」
そうなんだ。姉は何も考えていないようで、実はいろいろ考えていたんだ。びっくりした。
「但し、当日は母さんにも手伝ってもらうけどね」
ペロッと舌を出しておどけて見せる姉。それにもドキッとしてしまった。
でもそれ、反則なんじゃ……。そう言いたかったが、ご機嫌で話す姉を見ると言えない。
怖くてではない。
「頑張ってね、姉ちゃん」
僕がそう言うと、姉は甘えるような目で、
「ダメダメ。そこは父さんの真似で言ってよ」
またかよ。もう、仕方がないなあ。
「頑張るんだぞ、美鈴」
「はい!」
まるで幼い頃に戻ったように嬉しそうに頷く姉。それも可愛い。
ああ、いかん、いかん。いけない姉弟になりそうだ。