その百二十三(姉)
私は磐神美鈴。大学四年生。
遂に本格的に就職活動を開始した。
我が愚弟武彦は、毎日のように幼馴染みでその上彼女にまでなってくれた都坂亜希ちゃんとイチャイチャして、またキスでもしているのだろう。
この前、亜希ちゃんの家の前を通りかかった時、偶然あいつと亜希ちゃんがキスしているところを見てしまった。
何とも気まずい状況だったが、そんな素振りは微塵も見せずに、私は戯けてみせて、悠然と歩き去った。
でも、何だかドキドキした。何でだろう?
その後武の奴、しばらく私と目も合わせなかったしなあ。
気持ちはわかるんだけど、姉ちゃんだってその仕打ちは辛いんだぞ!
後をつけて覗いた訳じゃないんだから。
結構気になってしまったので、柔道の応援に横浜に行った時、恋人の力丸憲太郎君に相談した。
「美鈴って、優しいよね」
リッキーは笑顔全開で言った。
「意味わかんないんだけど?」
私はリッキーがふざけているのかと思った。
「僕なら、姉貴と西郷先輩がキスしてるのを見たら、ゾッとするからさ」
リッキーは爽やかに酷い事を言う。
沙久弥さんと恋人の西郷隆さんのキスか。
沙久弥さんと西郷さんて、そもそもキスするのかな?
沙久弥さんにはそういうイメージないし、西郷さんにもない。
何だか、今時珍しいくらいの「清い交際」な気がしてしまう。
「何でよ? 沙久弥さんと西郷さんがキスしちゃいけないの?」
私は自分の頭の中の妄想を振り払って、一般論をぶつけてみた。
「悪くはないけどさ。身内のそういうシーンて何となく嫌なものだよ、普通」
リッキーは苦笑いして言った。
「まあ、私だって、何だか気まずかったよ。でも、そんな態度を見せたくなかったから、戯けてみせたんだよ」
私は自分のリアクションがおかしいと思っていないので、反論した。
「だから、それが優しいと思うんだよね。普通は気まずいだけで、目を背けて見なかったフリとかしてしまうと思うんだよ。でも、美鈴はそうしなかった。武彦君と亜希さんはそれで救われたと思うんだ」
リッキーの屁理屈は途方もない。
「自分の立場に置き換えてみればわかり易いよ。僕と美鈴がキスしているのを武彦君に見られた時、武彦君が目を背けて駆け去ったら、何だか嫌だと思わない?」
「なるほど」
リッキーの解説はあの池上さんにも匹敵するくらいわかり易いと思った。
「話題に上ったついでに」
私は不意打ちでリッキーにキスをした。
「え?」
リッキーはこういうのに弱い。真っ赤になった。可愛いんだから、もう。ウフ。
「み、美鈴、今みんなに見られたよ」
リッキーが言った。
「え?」
私はハッとした。今私とリッキーがいるのは、大会が開かれていたアリーナの片隅。
二人きりで長椅子で話していたので、周囲を気にしていなかったのだ。
まずいと思って振り返ると、そこにはリッキーの後輩の皆さんが団体さんでこちらを見ていた。
「どうも、ご馳走さまです、先輩!」
その中の一人の部員さんが大声で言った。他の部員さん達は爆笑している。
私とリッキーは顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
ホントだ。
こうしてホッとできるのは、あの人達が顔を背けたりしないで、笑いにしてくれたからだ。
リッキーの話は正しい。納得してしまった。
そして、大会は終了し、反省会まで付き合い、帰宅。
武彦はコンビニのバイトからすでに戻って来ていて、部屋にいるようだ。
「たーけくん」
あ、しまった、またノックもせずに入っちゃった。ま、いっか。
「な、何、姉ちゃん?」
武彦は相変わらず私を見るとビビる。ホントはちょっと傷ついてるんだぞ、その反応に!
「この前はごめんね。亜希ちゃんといい感じのところを邪魔しちゃって」
私が謝ると、武彦は真っ赤になった。純情だよねえ、本当に。
「だから、姉ちゃんとリッキーがキスしているのを見ても、逃げたりしないでね」
私はニコッとしてそう言ったが、武彦は目を見開いたまま、
「う、うん……」
と薄い反応しかしない。
「何だよ、姉ちゃんとリッキーはキスしちゃダメなのか?」
私は少しイラッとして尋ねた。すると武彦は、
「姉ちゃんと憲太郎さんのキスは見たくないよ……」
と蚊の鳴くような声で言った。
「え?」
それを聞いて、私もドキッとしてしまう。
「な、何よ、それ?」
「もういいでしょ」
私は武彦に部屋から押し出されてしまった。
何よ、気になるじゃない?
でも、何だか嬉しい。弟の嫉妬?
私達は、近頃流行っている妙な関係の姉弟ではないけど、やっぱり弟に好かれるのは嫌な気はしない。
私も、亜希ちゃんに嫉妬しちゃおうかな?
見苦しくない程度にね。