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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学一年編
122/313

その百二十一

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学一年。


 この前、彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんの従兄の忍さんにまた絡まれそうになったところを、偶然居合わせた力丸沙久弥さんに助けてもらった。


 沙久弥さんは、僕の姉の婚約者である力丸憲太郎さんのお姉さんで、合気道の達人だ。


 あの凶暴な姉が、沙久弥さんの前ではまさしく「借りて来た猫」なのだ。


 その時、沙久弥さんと一緒だった恋人の西郷隆さんの一睨みで、忍さんは転がるように逃げて行った。


「ああいう手合いは、しつこく仕掛けて来るから、気をつけた方がいいよ、武彦君」


 西郷さんがアドバイスしてくれた。


「あ、はい」


 僕は不安になってしまった。


 いつも誰かが守ってくれるとは限らないのだ。


「武彦君、沙っちゃんに合気道を習えば?」


 西郷さんはニコニコして言った。


「え?」


 僕はビクッとしてしまう。


「普段はこんな可愛い感じだけど、稽古の時は怖いよ、沙っちゃんは」


 西郷さんが小声で言うと、


「また悪口を言ったわね、西郷君。覚えていなさいよ」


 沙久弥さんはまたプウッとほっぺを膨らませた。


 可愛過ぎる……。ごめん、亜希ちゃん。


「悪口じゃないよ。本当の事じゃないか」


 西郷さんは苦笑いして頭を掻いた。


「武彦君、その気があるなら、いつでもいらっしゃい。私、怖くないから」


 沙久弥さんはとびっきりの笑顔で言ってくれた。


「はい!」


 つい、力強く返事をしてしまうダメな僕。


 


 きっと、そんな状態で亜希ちゃんに電話したから、亜希ちゃんが怒ったんだな。


「そんなに沙久弥さんがいいのなら、もう私と別れて、沙久弥さんと付き合いなさいよ!」


 亜希ちゃんの最後通告のような気がした僕は、すぐに亜希ちゃんの家に走った。


 亜希ちゃんの勘違いだろうが、僕の思い過ごしだろうが、悪いのは間違いなく僕だ。


 謝りに行くと、目を赤くして亜希ちゃんが現れた。


 僕が謝ると、亜希ちゃんは僕に抱きついて来た。


 亜希ちゃんのお母さんに見られて恥ずかしかったけど、嬉しかった。


 関係修復に成功した僕は、バイトに行くために亜希ちゃんの家を出た。


 仲直りのキスをしたのを姉に見られたのはまずかったけど、その後、


「今なら見られてないよ!」


ともう一度不意打ちのキスをされたのには驚いた。


 


 さて。


 今日は、何と、沙久弥さんのお母さんの香弥乃さんのお招きで、力丸家にお邪魔している。


 やっと、香弥乃さんと沙久弥さんと憲太郎さんの予定が合う日ができたのだそうだ。


 僕はこの日のためにあつらえた紺のスーツを着た。


 姉は白のスカートスーツ。出かける前にやたらと皺を気にしていた。


 亜希ちゃんはグレーのパンツスーツだ。とっても似合っていて、可愛い。


 僕は、緊張しまくっている姉を見て、すっかり緊張が解けた。


 そして、亜希ちゃんも、姉の面白エピソードを思い出したのか、クスクス笑っている。


 力丸家は、純和風の邸だ。


 玄関には沙久弥さんが活けた花が飾られていて、大きな屏風もある。


 何だか難しそうな漢字が並んでいて、受験勉強の頃を思い出してしまった。


 僕らは客間に通された。大きな木のテーブルの前に高級そうな紫の座布団が三つ並んでいる。


「すごいお邸ね」


 座布団に正座しながら、亜希ちゃんが小声で言った。


「そうだね」


 僕はそれより、固まってしまっている姉が心配だ。


「足を崩して」


 憲太郎さんが来て、そう言ってくれたが、何だか正座しか許されないような雰囲気だ。


「ほら」


 憲太郎さんはテーブルの反対側に胡坐を掻いて座ってみせた。


「は、はい」


 僕は足を崩し、胡坐を掻く。でも、女性の姉と亜希ちゃんは、崩すにしてもどうすればいいのか。


「お待たせしてごめんなさいね」


 ススッとふすまを開けて、沙久弥さんが現れた。髪をアップにした着物姿だ。浅葱色とでもいうのだろうか? いつもの美少女モードと違い、大人の雰囲気。


 はっと気づくと、隣の亜希ちゃんが僕を睨んでいる。


 いかん、また嬉しそうにしていたようだ。


「今、食事の用意をしているところですから、もう少しお待ちください」


 沙久弥さんは微笑んで言うと、お辞儀をし、襖を閉めた。


「姉貴は料理ができないから、お袋に台所を追い出されて手持ち無沙汰なんだよ」


 憲太郎さんが嬉しそうに言った。


「憲太郎、覚えてらっしゃいよ」


 沙久弥さんが襖越しに言った。憲太郎さんはニヤリとして、


「聞き耳立ててるなんて、下品だよ、姉貴」


 すると沙久弥さんは何も言い返さずに立ち去ったようだ。


「沙久弥さんて、料理ができないんですか?」


 僕は小声で尋ねた。憲太郎さんはニコッとして、


「できないと言うと、語弊があるけど、お袋は姉貴には絶対に手伝わせないのは事実だね」


 何だか、また緊張して来た。香弥乃さんは料理の達人なのだろうか?


「どんなお料理が出て来るのかしら?」


 亜希ちゃんも緊張して来たようだ。顔が引きつっている。


 姉はと言うと、もう何も聞こえていない状態だ。


 瞬きを時々するから、気を失ってはいないみたいだけど。


「お茶でも飲む?」


 憲太郎さんがそう言った時、


「お待たせ致しました。準備ができましたので、こちらにどうぞ」


 沙久弥さんが襖を開いて言った。


「はい」


 僕は亜希ちゃんと動けなくなっている姉を立ち上がらせ、引き摺るようにして客間を出た。


 


 香弥乃さんが待っていたのは、雰囲気が一転する黒を基調にしたダイニングキッチンだった。


 白いクロスがかけられた大きな黒いテーブルに並ぶ料理の数々。


 絶対和食だと思っていた僕達は、完全に意表を突かれた。


 フレンチだろうか? それともイタリアン?


 料理の知識がほとんどない僕には見分けがつかない。


「正座して食べる和食は大変でしょうから、フレンチにしてみました。皆さんのお口に合うといいのですが」


 白いエプロン姿の香弥乃さんは、遠目で見ると沙久弥さんと見分けがつかない。


 僕達は椅子に腰掛け、前に並ぶ料理の数々に陶然とした。


 香弥乃さんの心遣いに感謝だ。


 正座だったら、多分姉は倒れていただろうから。


 香弥乃さんは恥ずかしそうに俯くと、憲太郎さんに何か囁いた。


「挨拶をした方がいいかとお袋に尋ねられたので、そんな堅苦しい関係の人達じゃないよと答えました。では、いただきましょう」


 憲太郎さん、豪快だ。頼もしいなあ。この人なら、姉も大丈夫だろう。


 香弥乃さんはニコニコしながら姉に近づいた。姉は憲太郎さんが隣に座って話しかけていたので、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。


 香弥乃さんと姉が話している。何だか、奇跡のような気がした。


 


 そして、楽しい食事会はやがてお開きになり、


「また季節が変わりましたら、お招きいたしますね」


 香弥乃さんは、憲太郎さんと沙久弥さんと共に玄関まで見送りに来てくれた。


「本日は大変ご馳走様でした」


 笑顔全開で、姉が挨拶した。憲太郎さんもホッとした顔で僕を見た。


 僕は憲太郎さんに会釈し、亜希ちゃんと歩き出す。


 姉はまだ香弥乃さんや沙久弥さんと話していた。


「敵わないなあ、香弥乃さんには」


 亜希ちゃんがボソッと言う。


「え? 何が?」


 僕は亜希ちゃんを見た。亜希ちゃん溜息を吐いて、


「だって、私、沙久弥さんだけじゃなくて、香弥乃さんにまで嫉妬しちゃって……。ごめんね、嫉妬深い女で」


 亜希ちゃんは目を潤ませている。


「全然。だって、それって僕の事がそれだけ好きだからでしょ?」


 僕は我ながら似合わない台詞だと思いながら言った。


「武君の意地悪」


 亜希ちゃんはそう言いながらも嬉しそうだった。

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