その百十四(亜希)
私は都坂亜希。大学一年。
慌しく過ぎ去った前期のカリキュラム。
毎日がとても充実していた。
大好きな私の王子様(ああ、もうバカみたいだけど、そうなんだもん!)である磐神武彦君と、いろいろありながらも、一緒にいられて良かったと思う。
一時期、非常に不安な様相を呈していた同じ外国語クラスの橘音子さんと、武君と同じクラスの丹木葉泰史君も、以前と同じ仲に戻れたみたいで良かった。
そして、待ちに待った夏季休暇。
我が大学は、休暇が始まるのが遅いため、終わるのは九月末。
長い長い夏休みなのだ。楽しみ。武君と旅行にも行きたいし。
休みになっても遅くまで寝る事ができない私は、日課にしている庭の花壇への水撒きをするため、朝食をすませて着替えをし、部屋を出ようとした。
その時、携帯がなった。
これは中学の時の同級生からの着信だ。
見なくてもわかるけど、多分、親友の櫛名田姫乃ちゃんだ。
姫ちゃんは、彼氏の須佐昇君と旅行に出かけていて、昨日帰って来たはず。
二人の通う大学は違うけど、どちらも一週間前に休みに入ったのだ。
「おはよう、姫ちゃん。疲れてるのに、早起きね」
私は携帯に出るなり言った。すると姫ちゃんは何を思ったのか、
「や、やだ、亜希ったら、疲れてなんかいないよ。どんな妄想してるのよ?」
と妙に高いテンションで返して来た。え? どんな妄想って、何? キョトンとしてしまう。
「お土産買って来たから、渡したいんだけど、例のファミレスでどう?」
姫ちゃんはこっちが引くくらい幸せオーラを受話器から送って来る。
須佐君とすっかりいい感じで、羨ましいくらいだ。
もちろん、私だって、武君とはいい感じだけど。
「ドコスね。いいよ。何時?」
「ランチしたいから、十二時で」
姫ちゃんが言った。
「わかった。武君も誘っていいでしょ?」
「もちろん。私だけ男連れじゃ、何だか気が引けるもん」
私達は大きな声で笑ってしまった。
大学でも友達がたくさんできたけど、中学の時からの親友の姫ちゃんとは、心置きなく笑い合えるなあ。
私は一旦携帯を切り、武君にかけた。
「ふあい」
武君は寝ていたのか、変な声で出た。
「誰誰? 亜希ちゃん?」
後ろで美鈴さんの声がする。え? 何で?
武君、美鈴さんと一緒に寝てたの? そんなはずないか。
ガサゴソ音がして、武君が殴られる音もしたような……。
「あはは、ごめんね、亜希ちゃん。武、まだ寝ぼけてるのよ。昨日一晩中付き合わせたからさ」
美鈴さんが電話を代わったようだ。
「え?」
またギョッとしてしまう私。すると反応がないのに気づいた美鈴さんが、
「ああ、ごめんね、訳わかんないよね。実はさ」
先日、美鈴さんの婚約者の力丸憲太郎さんのお母さんの香弥乃さんから連絡があり、武君と私は夏休み中に力丸家に招待される事になっていた。
その件で、香弥乃さんが、
「美鈴さんだけ呼ばないのは失礼なので」
とメールをくださって、美鈴さんも招待される事になったらしい。
それで、どうしても行きたくない美鈴さんは、何とか高熱を出して欠席しようとしているのだそうだ。
美鈴さんらしくて、思わずクスクス笑ってしまった。
「ごめーん、亜希ちゃん。亜希ちゃんからの電話なのに、長々と話しちゃって。武、やっと起動したから、代わるね」
美鈴さんはまた武君をポカンと殴ったらしく、
「痛いよ、姉ちゃん」
と言いながら、武君が出た。
「ごめんね、武君、お姉さんとの一時をお邪魔してしまって」
つい、そんな意地悪な事を言ってしまった。
「え、その、いや、別に……」
武君がシドロモドロになったので、
「そこでお前が動揺するから、亜希ちゃんが余計に心配するんだろ、バカ武!」
また殴られたらしい武君。ああ、まずい事言ったなあ。
「亜希ちゃん、私達はそんな変な関係の姉弟じゃないから、安心してね」
美鈴さんが割り込んで言ってくれた。
「わかってますよ、美鈴さん」
私は申し訳ない気持ちと愉快な気持ちで応じた。
そして、ようやく用件に入った。
「姫ちゃんが、旅行から帰って来て、お土産を渡したいから、ランチしようって言って来たの」
「そうなんだ」
武君はまだ寝ぼけてるみたい。
「十二時にドコスだから、十一時半に迎えに行くね」
「うん」
武君がそう言うと、
「こら! 僕が迎えに行くよって言うところだろう、そこは!」
また美鈴さんが怒っている。
「わかったよ、姉ちゃん」
武君は少し間を置いてから、
「僕が迎えに行くよ、亜希ちゃん。ごめんね」
「ううん、いいよ。私こそ、ごめんね、朝早くに」
いつもなら、チュッて音をさせて電話を切るのだけど、さすがに美鈴さんがいるところではできない。
私は普通に携帯を切った。
水撒きを手早く終えると、部屋に戻って服選び。
今日は何を着て行こうか?
大学通学中は、父の意向を尊重して、地味目で通して来たから、こんな時は張り切ってしまう。
しかも姫ちゃんが来るのだ。
彼女には負けたくない。競争するつもりはないけど、中学の時からいい意味でライバル関係だもの。
「そうだ」
私は白のノースリーブのワンピースにした。
武君はシンプルなのが好きだから。
憲太郎さんのお姉さんで、多分最強の姉でもある沙久弥さんのファッションを真似てみたくて。
白の帽子に白のパンプス。武君、どう思うかな?
しばらくして、武君が迎えに来てくれた。
何だかとっても嬉しい。でも、美鈴さんに言われてなのが、ちょっとだけ残念。
武君て、優しくていい人なんだけど、そういうところが「頑張りましょう」なのよね。
「わあ」
武君は私の服装に目を見開いている。
「亜希ちゃん、沙久弥さんみたいだね」
「……」
そういうところもダメ。普通はそんな事言ってはいけないんだから、もう!
「あ、どうしたの、亜希ちゃん?」
私はムッとしたフリをして歩き出した。
「ねえ、何かまずい事言った? ごめん、亜希ちゃん」
武君は必死になって謝罪している。そんな武君が好きなんだから、私って変?
「何でもないよ、武君」
笑顔で返す。たちまちホッとした顔になる武君。
ドコスに着き、しばらくすると、姫ちゃんと須佐君が現れた。
二人は腕を組んで入って来た。大胆だ。
わ、姫ちゃんも白のノースリーブのワンピースだ。帽子も白で……パンプスも白……。
被っちゃった……。姫ちゃんも私を見て驚いている。
「お待たせ、都坂さん、磐神君。久しぶり」
須佐君は私達に挨拶し、バツが悪そうな姫ちゃんを促して、私の向かいに座らせる。
「だから言ったんだよ。いつも通りにした方がいいって」
須佐君は姫ちゃんにダメ出ししている。あれも良くないなあ。男の子って、そういう気遣いができないの?
「だって、たまにはいいかなって思ったんだもん」
姫ちゃんは口を尖らせて反論しているが、以前の彼女のような強烈な言い方ではない。甘えたような話し方だ。
姫ちゃん、丸くなったのかな? 須佐君の影響? 須佐君のダメ出しを多少なりとも受け入れてるんだから、びっくりだ。
「でも、さすが櫛名田さんだね。何着ても似合っちゃうんだもん」
武君が言った。それを私に言って欲しいと思う。
「あ、ありがとう、磐神君。やっぱり貴方と付き合えば良かった」
姫ちゃんは涙ぐんでとんでもない事を言い出す。
「姫乃!」
「姫ちゃん!」
須佐君と私はびっくりして突っ込んだが、武君はもっとびっくりしてしまって、固まっていた。
そういうところ、可愛いと思う。ウフ。
姫ちゃんと須佐君は沖縄に行っていたので、お土産はちんすこうとシーサーのお守り。
「もっといいものを買おうと思ったんだけど、昇が無駄遣いしてさ」
姫ちゃんが言うと、須佐君が、
「違うだろ? 姫乃が服を買い過ぎなんだよ」
と言い返す。二人はしばらくお惚気交じりの言い合いを展開した。
私と武君は顔を見合わせて、それを見物した。
「私達も、どこかに旅行したいね」
武君に囁く。すると武君は、
「そ、そだね」
とだけ言った。つれないなあ、武君は。
でも、お泊りは父が許してくれなさそう。
せめて日帰りでもいいから、温泉に行きたいな。
「温泉にしようか?」
もう一度武君に囁くと、
「え?」
武君は私を見て赤くなった。
「あはは、磐神君、亜希との混浴でも妄想してるんじゃないの?」
いつの間にか私達の会話を聞いていた姫ちゃんがまたしてもとんでもない事を言い出す。
「ば、バカな事言わないでよ、姫ちゃん」
私は火照る顔を扇ぎながら言った。武君は爆発しそうなくらい赤くなってしまっている。
武君と混浴? ああ、今日、眠れなくなりそう……。