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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学一年編
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その百十三

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学一年。


 夏休みを目前にしていた僕達は、丹木葉にぎは泰史やすし君とたちばな音子おとこさんとの背筋が寒くなるようなやり取りを見た後、更に凄い長石ながいし姫子きこさんと橘さんの言い合いを見てしまった。


 試験期間中だったので、ほとんどの人達は無関心だったが、僕と彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんは、そんな風に割り切れなかった。


 もちろん、亜希ちゃんは、


「間に入ろうとしてはダメよ」


と僕に釘を刺し、積極的に関わろうとはしなかったが、それでも見て見ないフリを決め込むほど非人情にはなれない。


 丹木葉君が、橘さんの後をつけたり、夜遅く彼女の家の郵便受けに手紙を投函したりしたのは、確かにやり過ぎだと思う。


 でも、それに対する橘さんの反応も過剰だった気がする。


 だからこそ、長石さんが、


「付き合いを考えないと」


とまで言ったのだ。しかも、橘さんも、今は長石さんと付き合っている若井わかいたける君をつけていたのだから、尚の事、丹木葉君を非難できないはずだ。


 でも、どうすればいいのか、僕にはわからない。


 亜希ちゃんも毎日、悲しそうにしている。


 長石さんは橘さんを避けている訳ではないみたいだけど、橘さんが距離を置いているようだ。


 まあ、そうなるのも当然だろうけど。


 そんなやり切れない日が続き、とうとう前期の全日程は終了した。


 大学は夏季休暇の間も毎日開いているが、実家が遠い長石さんと若井君は、休みの間は田舎に帰るらしい。


「結局、何もしてあげられなかったね」


 亜希ちゃんは溜息交じりに言った。


「うん。切ないなあ」


 僕もしんみりしてしまった。僕らがこれほど落ち込むのだから、当の橘さんはどんなに辛いだろう。


 歩行者回廊ペデストリアンデッキを一人寂しそうに歩いて行く橘さん。


 声をかけようにも、なんて言えばいいのかわからない。


「あ」


 その時、橘さんの進行方向に丹木葉君が現れた。


「うわ」


 僕と亜希ちゃんは思わず顔を見合わせる。


「まずいんじゃない、今顔を合わせるのは……」


 亜希ちゃんが小声で言った。周囲にいる人達も、二人の関係を知っているのか、囁き合っているように見える。


「音子」


 丹木葉君が声をかけた。橘さんはチラッと彼を見たけど、そのまますれ違おうとした。


「待って、音子。謝りたいんだ。どれほど僕が自分勝手だったか、長石さんに言われてよくわかったんだ」


 丹木葉君の思わぬ言葉に、橘さんは歩みを止め、彼を見た。


「僕は音子の事を考えずに、自分の気持ちだけで突っ走っていた。音子にそう言われてもそんな事ないって思ったけど、長石さんに叱られて、よくわかったんだ」


 丹木葉君は自嘲気味に微笑み、続ける。


 僕と亜希ちゃんはもう一度顔を見合わせ、二人の話に聞き入った。


「叱られた?」


 橘さんは不思議そうな顔で丹木葉君を見た。丹木葉君は頷いて、


「ああ。長石さん、本当に音子の事を心配してた。あんないい人、そうはいないよ」


「……」


 橘さんの気持ちは複雑だろう。長石さんにきつい事を言われたのだから。


 でも、本当は、長石さんは橘さんを心配している。


「ごめん。許してくれとは言えないけど、僕の謝罪は受け入れて欲しいんだ」


 丹木葉君は橘さんに深々と頭を下げた。


「泰史……」


 橘さんは絞り出すように丹木葉君の名前を呼んだ。


「え?」


 丹木葉君は弾かれたように橘さんを見た。どうしたんだろう?


「今、名前で呼んでくれた?」


と丹木葉君は橘さんに尋ねた。どういう事だろう?


「うん、呼んだよ。だって私達、高校の時までずっと名前で呼び合ってたじゃない」


 橘さんは涙声だ。肩が震えている。目も潤んでいる。


「え、いや、だって……」


 丹木葉君は何故か動揺しているようだ。


「どうしたのかな、彼?」


 僕が疑問を口にすると、亜希ちゃんが、


「ずっと名前を呼んでくれなかった好きな人が、久しぶりに名前を呼んでくれたから、びっくりしてるのよ。わかるなあ」


と言って僕を見る。あ……。その視線、痛い。


 そう。僕も、亜希ちゃんの事を小学生の時は、


「亜希ちゃん」


と呼んでたのに、中学に入ると、


「都坂さん」


に変えてしまい、高校の途中までは、


「委員長」


なんて呼んでいた。我ながら、酷い事をしていたと思う。


 ああ、だから、その視線は止めてよ、亜希ちゃん……。


「私の方こそ、ごめん、泰史。素直じゃなかった」


 とうとう橘さんは泣き出した。


「ああ、音子、泣かないで」


 丹木葉君はパニックになりそうだ。


「女の子に泣かれると、男はどうしたらいいかわからなくなるんだよね」


 僕は言った。すると亜希ちゃんはニッとして、


「そうなの? じゃあ、毎日泣いちゃおうかなあ」


「ええ!?」


 それは困るよ、亜希ちゃん。冗談でもそんな怖い事言わないで。


 そんなやり取りをしているうちに、丹木葉君と橘さんは寄り添うようにして歩き去ってしまった。


 心配して、損した感じがした。


「落ち着くところに落ち着いたようね」


 亜希ちゃんが笑顔で言う。僕もホッとして、


「そうみたいだね」


「行こうか、武君」


 亜希ちゃんが腕を組んで来た。ドキッとしてしまう。


 だって、その、亜希ちゃん、薄着だから、あれが当たって……。


「どうしたの、武君? 顔、赤いよ?」


 亜希ちゃんが不思議そうに僕の火照った顔を覗き込む。


「あはは、今日も暑いからなあ」


 僕はそう言って誤魔化した。


 


 そんな事があったので、僕は危うくそのまま亜希ちゃんと帰宅してしまいそうになり、


「バイトはいいの?」


と亜希ちゃんに言われなければ、思い出せなかっただろう。


「今日の武君、変だよ」


「そ、そうかな……」


 僕は笑ってとぼけた。


 まさか、亜希ちゃんのあれのせいとは言えないからなあ。


 


 そして、その日も無事バイトが終わり、帰宅した。


 またキッチンの明かりが点いている。


 姉が起きているようだ。


「只今」


 僕はキッチンを覗き込み、声をかけた。


「武ェ、全然熱出ないよ」


 バスローブを着て、濡れたままの髪の毛の姉が口を尖らせて言う。


「丈夫なんだね、姉ちゃん」


 僕はついそんな不用意な事を言ってしまった。


「何だ、その言い方は!? バカは風邪引かないと思ってるな!?」


 早速言いがかりが始まった。


「そんな事言ってないよ」


 僕は素早く後退あとずさって言った。


「それに夏風邪はバカが引くんでしょ? 姉ちゃんは頭いいから、夏風邪は引けないんだよ」


 伊達にこの姉の弟を長年して来た訳ではないのだ。それくらいの知恵は回る。


「ああ、そうか。そうだな。そこに気がつかなかったよ」


 姉はご機嫌になり、立ち上がる。


「じゃあ、他の方法をじっくり二人で考えようか、武。明日は休みなんだろ?」


 いきなりヘッドロックされてしまった。


「えええ!?」


 僕はそれから、外が明るくなるまで姉の「高熱作戦会議」に突き合わされた。


 時々チラッと見える太腿や胸の谷間にドキドキしながら……。


 姉の裸に興奮するなんて、僕ってやばいのかな?


 取り敢えず、亜希ちゃん、ごめん。

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