その百九(姉)
私は磐神美鈴。大学四年。
現在絶賛就職活動中だ。
しかし、今日はそれどころではない。
人生始まって以来の大ピンチだ。
父の日に、私のダーリンの力丸憲太郎君のお父様へのプレゼントを、リッキーのお姉様の沙久弥さんと購入した。
イベントはそれで終了ではなく、私はリッキーのご両親の待つレストランへと連行された。
頭が真っ白になるという事があるのだろうか、と常々思っていたが、あの時はまさに脳内が初期化されてしまったようだった。
「次の日曜日もどうかしら?」
翌日、お母様からのメールの一言に私は硬直してしまった。
逃げられない。どうしよう?
パニックになりかけたが、そこに光明が射した。
武彦。我が愚弟。私はまさしく悪い魔女のようにニヤリとした。
あいつに楯になってもらって、急場を凌ごう。
姑息な考えだが、あのお母様と二週連続でお食事は堪えられない。
私が武彦に食事会出席を申し伝えると、奴の顔が引きつった。
「亜希ちゃんも連れて行っていいかな?」
武彦も私同様、姑息な事を考えた。似たもの姉弟だ。
ちょっとだけ情けなくなった。
まあ、でも、亜希ちゃんなら、テーブルマナーもバッチリだろうし、力丸家の覚えも良いだろう。
そう思い、武彦の提案を快諾した。
それでも不安だった私は、リッキーに、
「私の弟とその彼女を紹介したいと思います」
とお母様に伝えてもらった。
そして、武彦には、挨拶を考えておく様に言った。
こうして、悪い魔女美鈴は、お母様の標的から見事にずれる事に成功した。
かに思えた。しかし、現実は厳しかった。
お母様からまたメールで、
「もっと美鈴さんとお話がしたいわ」
と言われたのだ。うおお! 気絶してしまいそうだ。
やっぱり、姑息な事を考える悪い魔女には天罰が下るのだ。
反省。
食事会当日になった。
あまりにオロオロする私を見かねて、母が仕事のシフトを替えてもらい、緊急参戦する事になった。
もちろん、力丸家は大喜びで母の出席を歓迎してくれた。
「恩に着るわ、母さん」
私は涙ぐんで母に礼を言った。
いくらか肩の荷が下りた気がしたが、それでも私はスチャラカをやり倒したらしい。
リッキー達が待つお店が入っているビルに到着した私は、十階まで階段で行こうとしたらしい。
記憶にない。
そして次に、お店の前に着いた時、ドアをノックしたようだ。
「ここは面接会場じゃないのよ、美鈴」
母の呆れた声すら、私には聞こえていなかった。
何とか落ち着き、周りを見る事ができるようになったのは、武彦が立ち上がって挨拶を始めた時だった。
「このような席にお招きいただきまして、ありがとうございます」
武彦は緊張しているようだ。
我ながら、可哀想な事をしたと思った。
(ごめん、武。来週の炊事当番、姉ちゃんがするよ)
心の中で詫びた。武彦は挨拶を続けている。
「僕がここまで来られたのは、母と姉、そして亜希さんのお陰だと思っています」
何言ってるんだ、こいつ? 自分の家族を誉めてどうする!?
やっぱり、こいつに挨拶なんかさせた私がいけない。
「そして姉が巡り会った憲太郎さん、そしてそのご家族の皆さん。僕はこの出会いを大切にし、一生のお付き合いをさせていただきたいと思います」
私はびっくりして武彦を見上げた。
「これからも、よろしくお願い致します」
武彦は深々と頭を下げた。力丸家の皆さんは拍手をしてくれた。
お母様と沙久弥さんは涙ぐんでいる。
隣の憲太郎君も泣いてはいないけど、目を潤ませていた。
母と亜希ちゃんは号泣していた。
そして私も。
「ありがとう、姉ちゃん」
武彦は座りながら、私にだけ聞こえる声で言った。
キュンとなった。
武彦は亜希ちゃんに話しかけている。
武、私はお前が生まれて来てくれた事が、一番嬉しかったよ。
恥ずかしくて言えないから、心の中だけで許してね。
大好きだよ、武。




