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姉ちゃん全集  作者: 神村 律子
大学一年編
109/313

その百八

 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学一年。


 本日、とうとう力丸家と磐神家、そして都坂家のお一人様も交えての食事会が開かれる。


 そして、磐神家の玄関は大騒ぎだ。


「何とか、都合をつけたから」


 母は、娘の一大事だという事で、会社に頼み込んでシフトを替えてもらい、休みをとってくれた。


「恩に着るわ、母さん」


 姉は、先日の悪巧みをした時の陽気さはどこへやら、泣きべそを掻いている。


 昨日、姉の婚約者の力丸憲太郎さんから姉に電話があり、


「もっと美鈴さんとお話がしたいわ」


と憲太郎さんのお母さんが言ったと聞かされた。


 そのせいで、姉は貧血を起こしたかのように倒れかかったらしい。


 僕はそんな話を聞き、身体の震えが止まらなくなった。


 やっぱり怖い。どうしよう?


「大丈夫。そんなに緊張しないで、武君」


 僕の女神様の都坂みやこざか亜希あきちゃんが小声で言ってくれた。


「ありがとう、亜希ちゃん」


 僕は頼もしい彼女に巡り会えて、本当に幸せだと思う。


 あれ? でも、亜希ちゃんもついこの前までは、


「大丈夫かな?」


とか言ってたのに。何があったんだろう?


「沙久弥さんに連絡してみたの。お母様に失礼があるといけないので、予備知識をくださいって」


 さすが亜希ちゃん! もう、一生ついて行きます。情けない発言だな。


「そしたら、意外な事がわかったの」


「意外な事?」


 僕は興味津々で亜希ちゃんを見たが、


「武!」


と姉に呼ばれ、結局亜希ちゃんから沙久弥さん経由の情報を入手できなかった。




「ここ」


 姉は生唾を飲み込んで、大通りに面したビルを見上げた。


 その最上階にある日本料理の店で、力丸ファミリーがお待ちらしい。


「落ち着きなさいよ、美鈴。結納の時はそんなに緊張してなかったでしょ」


 母は呆れ気味に言った。すると姉は涙ぐんだ目で母を見て、


「あの時はお母様の凄さを知らなかったからなのよお。あの日以来、私、お母様が怖くてえ……」


 姉の感情表現に、僕と亜希ちゃんは顔を見合わせてしまった。


 結納には、僕は出席していない。力丸家の都合と母のシフトの関係で、平日だったからだ。


 今更ながら、その場にいなくて良かったと思った。


 


 僕達はエレベーターで最上階である十階に上がった。


 パニクッている姉は階段で行こうとし、母に止められた。


 僕も姉をフォローする余裕がない。挨拶の事で頭がいっぱいなのだ。


「武君、ちょっと」


 亜希ちゃんが十階の廊下に出た時、僕を柱の陰に誘う。


「緊張が解けるおまじないしてあげる」


「え?」


 亜希ちゃんはキスして来た。


 いつもよりドキドキ感がすごい。


 何しろ、ほんの数歩のところに母と姉がいるのだ。


 まあ、姉は僕と亜希ちゃんがいなくなってもわからない状態だろうけど。


「どう? 落ち着いた?」


 亜希ちゃんはニコッとして尋ねて来た。


「う、うん」


 ドキドキ感は増したが、それは緊張によるものではない。


 何だか、できそうな気がして来た。何とも単純な男だな、僕って。


「何してるの? こっちよ」


 母が呼びに来た。僕達が場所を間違えたと思ったようだ。


「危なかったね」


 亜希ちゃんは悪戯っぽく笑って囁いた。その吐息が耳にかかり、またドキドキが増した。


 


 そして、遂に力丸ファミリーがお待ちの店の前。


「予約している力丸と磐神です」


 母が着物姿の店の人に告げる。


「いらっしゃいませ。こちらでございます」


 店の人の先導で店内を進む。


 以前、沙久弥さんと食事をした時と同じような高級割烹の店だ。


 飛び石の上を歩き、それぞれ独立した部屋の間を行く。


 また緊張しそう。それに気づいたのか、


「平気よ」


 亜希ちゃんがそっと僕の手を握ってくれる。


「ありがとう」


 僕は亜希ちゃんを見て微笑んだ。


「磐神様、都坂様、お着きです」


 店の人が、ある部屋の障子の前に立ち、言った。


「どうぞ」


 中から男の人の声がした。沙久弥さん達のお父さんだろう。


「失礼致します」


 店の人は障子をススッと開き、部屋の中に一礼してから、僕達を見た。


「お履物をお脱ぎになってお上がりくださいませ」


 店の人は僕達に深々とお辞儀をして言った。


 僕達はその人に会釈し、靴を脱いで、障子の向こうに入る。そこは縁側のようになっていて、その奥に座敷があり、大きなテーブルの上座にお父さん、お母さん、沙久弥さん、手前側に憲太郎さんが座っている。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 母が挨拶した。さすがに何十人も部下を使って仕事をしているだけあり、そつがない。


「堅苦しい挨拶を交わすような関係ではありませんから、どうぞお座りください」


 お父さんがにこやかな顔で言ってくれた。母もホッとしたのか、


「ありがとうございます」


と、沙久弥さんに促され、お母さんと沙久弥さんの間の席に座った。


 史上最強の挟みうちだ。お母さんと沙久弥さん。


 それにしても、二人はそっくりだ。しかも、二人共、浅黄色の着物を着ている。


 お母さんも沙久弥さんと同じく童顔で、挟まれた母が二人の母親みたいに見える。


 ごめん、母さん……。


 あれ? でも、沙久弥さんで慣れたせいか、お母さんがそれほど怖く感じない。


「美鈴はこっちだよ」


 憲太郎さんに引っ張られて、姉は憲太郎さんの隣に座らされた。


 笑ってしまいそうなくらい緊張している姉の顔。


 僕と亜希ちゃんは、図らずもお父さんとお母さんの向かい側に座る事になった。


「おう、武彦君、久しぶりだね。そちらの美人が、武彦君の彼女かな?」


 お父さんが言った。僕はギクッとしたが、


「はい、お久しぶりです。こちらが、僕の彼女の都坂亜希さんです」


「都坂亜希です。よろしくお願いします」


 亜希ちゃんは爽やかな笑顔でお辞儀をした。


「亜希さん、気をつけてね。父はお酒が入るとくどくなるから」


 沙久弥さんが微笑んで言う。


「おいおい、初対面でそんな事をばらさないでくれ、沙久弥」


 お父さんは苦笑いした。


 


 そして、僕の拙い挨拶も無事終わり、食事会は終始和やかに進められた。


 それにしても、すごい料理だ。


 生まれて初めて食べるものばかり。


 亜希ちゃんはそれほど驚いている様子もない。


 姉も少し緊張がほぐれたのか、笑顔を浮かべている。


「良かったね、武君。美鈴さんが笑顔になって」


 すかさず、亜希ちゃんに小声で突っ込まれた。ギクッとした。


 そう言えば、さっきから、お母さんの声を聞いていない。


 母とは何かを話して笑い合ったりしているようだが。


「沙久弥さんからの情報が伝えられなくてごめんね、武君」


 亜希ちゃんが耳元で囁いた。


「え?」


 僕は、そんな事もあったっけ、と思ってしまった。


「お母さん、本当は恥ずかしがり屋で、無口な人なんですって。沙久弥さんの百倍だなんて、美鈴さんも酷いわよね」


「え?」


 僕は思わずお母さんを二度見してしまった。


 お母さんは母と話していたが、僕の視線に気づき、僕を見てニコッとした。


 僕はドキッとしてしまい、頭を下げた。


「亜希さん、武彦君をよろしく頼むよ」


 お父さんは出来上がり始めたのか、さっきからそればかり言っている。


「はい」


 亜希ちゃんは、酔っ払いの扱いは自分のお父さんで慣れているので、全然動じていない。


「お父さん、くどいわよ」


 沙久弥さんが見かねたのか、お父さんをたしなめた。


「貴方」


 急にお母さんの声が聞こえた。その声には、凛とした迫力が感じられた。


「はい」


 お父さんは頭を掻きながら、僕と亜希ちゃんを見て、次にお母さんを見る。


「申し訳ない、悪乗りしました」


 お父さんはお母さんに土下座した。


 一瞬、僕達は時が止まったようになった。


 やっぱり、お母さん、怖い人なのでは?


 もう一度よく見てみると、沙久弥さん以上の威圧感が……。


 どっちが本当の顔なのだろう?


 女性って怖いなあ。


 つくづくそう思った一日だった。

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