その百六(亜希)
私は都坂亜希。大学一年。
幼馴染で、現在交際中の磐神武彦君とは順調。
でも、武君、お人好し過ぎて心配。
この前も、同じ外国語クラスの丹木葉泰史君に頼まれて、私と同じ外国語クラスの橘音子さんと話をする事になった。
結果は、橘さんが丹木葉君の事を「自分の思いだけで動いて、相手の事なんか全然考えてくれない」と言い、それを丹木葉君が聞いてしまうというものだった。
橘さんは、ロビーに丹木葉君がいるのを知った上で言ったらしいから、どう転んでも結果は見えていたのだ。
でも、優しい武君はその事でとてもショックを受けていた。
私も、
「私はいない方がいいでしょ、磐神君?」
などと意地悪な事を言ってしまったので、お詫びも込めて「ごめんねのチュウ」をした(きゃああ!)。
武君は少しだけ元気を取り戻してくれたみたい。良かった。
そして、次の日。神妙そうな顔で私を迎えに来てくれた武君。
「どうしたの?」
私は不思議に思って尋ねた。すると武君は言いにくそうにしていたが、
「あのさ」
と話してくれた。
内容は、今度の日曜日の食事会の事。
武君のお姉さんの美鈴さんの策略で、武君が冒頭に挨拶する事になったらしい。
「それで、何を言えばいいのかわからなくてさ……」
深刻な顔で歩く武君。私は微笑んで、
「まだ時間あるんだし、二人で考えようよ」
「うん、そうだね」
武君は嬉しそうに私を見て言った。私は武君のその顔を見てホッとした。
武君て、人生の半分くらい悩んで生きて来たんじゃないかしら、と思う事があるから。
やがて大学に着いた。
一時限目は英語なので、私と武君は別の教室。
「おはようございます」
私が教室に入ると、五瀬一郎さんと大国主税さんが近づいて来た。
「昨日は彼氏、大変だったみたいだね?」
何だか嬉しそうに言う大国さん。ちょっと嫌な感じ。
「何がですか?」
私は慎重に言葉を選んで尋ねる。だって、当事者の橘さんが入って来たから。
「橘さん、高校の時、一度丹木葉に告白されているらしいんだ。で、断わったんだって」
五瀬さんがチラッと橘さんを見て、小さい声で言う。橘さんは他の人達と話しているので、こちらには注意は向いていない。
「丹木葉もさ、いい加減諦めればいいんだよ。橘さんは、若井が好きなんだからさ」
大国さんが酷い事を言った。
「でも、若井は長石さんと付き合ってるんだろ? 二人共片思いじゃん」
五瀬さんも酷い。二人は橘さんと丹木葉君の事を面白がっているとしか思えない。
私は会話を打ち切り、席に着いた。
五瀬さんと大国さんは肩を竦め、自分達の席に戻った。
あの人達、あんな事を話して、何が楽しいのかしら?
英語の授業が終わり、ランチタイム。
私は武君と一緒に学部棟を出て、いつもの場所に行った。
「長石さんが根掘り葉掘り訊いて来て、困っちゃった」
武君はうんざり顔で言った。
長石さんの事だから、相当しつこかったのだろう。
「でも、何も話さなかったけどね」
武君はニコッとして言った。ああ、可愛い、武君。
なんて思うの、失礼かな?
楽しいランチタイムが終わり、午後の講義に出席するため、私達は歩行者回廊を歩いた。
そう言えば、以前ここで、若井君が橘さんにビンタされてるのを見た。
あれは驚いた。なんて思っていたら、橘さんがいる。
橘さんは私達に近づいて来た。何かしら? ビンタされるのではないと思うけど。
「ちょっといいですか、都坂さん」
てっきり武君に用があるのかと思ったけど、違った。
「え、私?」
思わず訊き返してしまった。
橘さんに「二人で話がしたい」と言われ、私は武君に先に行ってもらい、回廊にあるベンチに座った。
「何でしょうか?」
私は橘さんの顔を見て言った。橘さんも私を真っ直ぐ見て、
「磐神君、お人好し過ぎると思うんです。他人の頼みを全部聞く必要はないと思います。都坂さんはどう思いますか?」
そんな事を言われるとは思っていなかったので、私は面食らってしまった。
「私もそう思います。そこが彼の長所でもあり、短所でもあるんですよね」
私の答えを聞き、橘さんは満足したようだ。
「良かった。それだけです。ごめんなさい、呼び止めたりして」
「ああ、いえ……」
橘さんは私に会釈して立ち去った。あまりに早い会談の切り上げに、私は呆気に取られた。
橘さん、何が知りたかったのだろう?
だから、私が講義のある小ホールに行くと、武君が、
「早かったね」
と言った。中を見渡すと、反対側の席に橘さんが座っていて、長石さんや若井君も一緒だ。
更に見渡して行くと、一番後ろの席に丹木葉君がポツンと座っていた。
丹木葉君の席からは、橘さんがよく見える。
何だか、怖い構図。
結局、橘さんと丹木葉君は言葉をかわす事はなかった。
ホッとするような、ドンドン怖くなっていくような……。
その日の講義は終了し、私達は帰路に着いた。
今日は武君のアルバイトは休みなので、一緒に電車に乗れる。
何だかウキウキしてホームを歩いていると、
「おお! 今日もキスしたのか?」
いきなり凄い質問を浴びせながら、リクルートルックの美鈴さんが登場した。隣には藤原美智子さんが苦笑いして立っている。
「姉ちゃん、恥ずかしいから止めてよ!」
武君が赤くなりながら抗議する。しかし、美鈴さんは、
「ムキになるところが怪しいなあ」
とやめる気なし。私も恥ずかしい。でも、言えない。
すると武君が思わぬ反撃に出た。
「姉ちゃんこそ、今日もキスしたの?」
美鈴さんはそんな反撃を笑い飛ばすかと思ったが、
「バ、バカ、恥ずかしい事訊くな!」
と真っ赤になって逃げて行ってしまった。
美鈴さんて、案外純情系?
「ごめんなさいね、二人共」
藤原さんは美鈴さんの保護者のように詫びて、美鈴さんを追いかけた。
相変わらず、仲がいいのね、美鈴さんと武君。
ちょっとだけ、心配。