【第六話】 宰相補佐で爽やかイケメンで不変の信奉者な弟アルフレッド・クランドール
毎年のことながら、不思議とこの日が来る度に昔の夢を見る。
何か理屈を超えた力が働いているのか、単に寝る前に思い出に耽りがちであるせいか。
五年の月日が流れてもどこか鮮明に思い出が蘇って来るのだから幼き時分の記憶能力というのも存外馬鹿に出来ないものらしい。
「さて……行くとしますか」
必ずしも良い思い出ばかりではないせいか少々センチメンタルな気分になりながらも起き上がって着替えを済ませると、すぐにカロンの元に向かった。
そして牧草を与え、水を入れ替え、愛馬の食事時間で洗濯を済ませて出発の時を迎える。
故郷である……否、故郷であったクリント村及びヘンデルゲン領はこの王都からで言えばそこそこ距離があるのでこうして朝早くに出かけないと暗くなるまでに帰って来れないのだ。
片道に何日も掛かる程ではないものの、今から向かっても到着は昼前にはなるだろう。
もはや単なる習慣というか、半ば恒例行事と化してしまっていていつしか特別な意味合いも薄れてしまっているのだけど、今どこで何をしているのかも分からない他の面々が訪れることもないだろうしせめて俺ぐらいはということで人知れず墓標に生存報告をして、『ここに村があったことを決して忘れてやしないよ』というある意味では言い訳じみた帰郷の挨拶をするぐらいで滞在時間自体はそう長くはならない。
ゆえに例年通り何らかのハプニングでもなければ夕方には帰れるはずだ。
はずなのだが……そういえば飯の用意とかしてないんだけどそれまで飯抜きなの俺? ということに王都を離れてから気付く馬鹿な俺だった。
いつもはパンを用意しているのに、完全に失念していたぜ。
途中どっか町にでも寄って腹拵えをして行くか?
いやいや、そんな無駄な出費は世の中が許しても俺が許さん。
夕方まで飯を抜いたぐらいで死にやしねえさ。
そんな謎の決意を胸に、王都を出た俺はカロンに跨り街道を駆けていく。
冒険者ライセンスのおかげで行く先々の関所や都市の通行も滞りなく、それでいて通行税も半額で済むのでクソみたいな肩書きもたまには役に立つものだと思うとありがたいやら情けないやらという微妙な心持ちで若干の誘惑に揺れながらも真っすぐに目的地へ向かった。
時折カロンを休ませたり水を飲ませたりしつつ心地の良い風を浴びること数時間。
無事にヘンデルゲン伯爵領へと足を踏み入れた俺はそこからまた小一時間程の移動を経てようやく一年ぶりの生まれ故郷へと辿り着くに至る。
「ふぅ……」
馬から降り、ゆっくりと歩く横目には何年経っても変わらない無残な光景が広がっている。
焼き払われ黒焦げのまま放置されて風化した家屋だった建物や家畜を飼育するための小屋や柵。
雑草の一つも生えていない荒れ果て、朽ち果てた田畑。
見慣れたつもりでいても、どうしても感傷的になってしまう自分がいた。
だけどそれでも、目的の場所は裏手にある山中であってこの焼け跡と化した村を通り抜ける必要などないのに敢えてこの場所を進むのはきっと『嫌なことから目を逸らして過去を忘れようとする自分』の存在を否定するための材料を欲しているからなのだと思う。
そんなんじゃねえさ。と心の中で毒づき、気持ちを落ち着ける意味で一つ息を吐いて改めて手綱を引いて数百メートル先にある山へと向かうことに。
元より辺境のド田舎ということもあってここに着く随分と前から人っ子一人見掛けやしなかったが念のため周囲に人影がないかを確認しつつ、裏手の山まで歩くと傍にあった木にカロンを繋ぎ『ちょっと待っててくれな』と頭を一撫でして山を登る。
その最中。
ふと視界の端に違和感が過ぎった。
反射的にその位置、つまりはカロンがいる方向とは逆側に視線を向けると別の馬が繋がれているのをこの目が捕らえる。
距離にして二、三百メートル先だろうか。
黒毛の立派な牡馬のようだが……当然ながら見覚えはない。
他の誰かがこの付近に居ることは間違いなさそうだが、果たして誰がどういった目的で訪れたのか。
あの日から今日で丁度五年が経った。
ということを考えると幼馴染の誰かだろうか。とも考えられるけど、それを言うなら何年とか関係なくその可能性はあるわけで。
そもそも俺以外の連中が墓参りに来ていないと断定出来る情報もなければ半数は国内で暮らしているはずなので今までたまたま出会さなかっただけで毎年来ている奴がいないとも限らない。
それが今日に限ってニアミスするのかという疑問はあるし、何よりも思い浮かぶ誰かでなかった場合に現実的な身の危険もある。
まあ今更俺達の存在を追い掛けている連中がいるとも思えないし、いたとして俺が該当者だとバレる理由もないんだけども。
「一応、警戒しておくか」
むしろ野盗だったり逃亡犯だった時の方がこえぇなとか思いながら、一応の心構えをしつつ足音と息を殺しつつ整備もされていない山道を登り皆で墓標を立てた中腹を目指して歩いていく。
十分程度の登山を経て懐かしくもある目印代わりの折れた大木を過ぎ、木々の少ない開けた景色の先には昨年と変わらず丸太を組んだだけの、年端もいかないガキ達がせめて何かを残したいと作った誰の亡骸も眠っていない簡易な墓が立っていた。
かつては花束であったり酒瓶の一つでもお供えするべきかと考えたこともあったのだけど、結局はこの地を訪れる何者かの存在の発覚を恐れて自重してきたっけか。
なんて今更思い返すのは、今この瞬間に沸き立つ緊張を緩和したいがためである。
いやいや、緩和している場合じゃねえよ。
全くそんな場合じゃねえよ。
だって誰かいるもん。
墓の前に膝を立てて座ってる誰かが確実にこの目に映ってるもん。
未だかつてあの日以降にこの地で誰かに出会ったことも、誰かを見掛けたこともない。
では……目の前にいるのは一体誰だ?
全身を黒い、執事服と思われる格好で全身を覆っている長めのサラサラな黒髪が揺れる恐らくは男。
「…………」
声を掛けるべきか、それとも逃げるべきか。
必死に思考を巡らせていると足音なのか気配なのか、俺の存在に気付いたらしい何者かがゆっくりと振り返る。
目が合ったその人物は予想通り若い男だ。
嫌に端正な顔立ちで、どこか温厚そうな印象を受ける年下であろう少年は俺を認識するなりにこりと微笑み、俺よりも先に言葉を発した。
「ご無沙汰しています……兄さん」
兄さん。
その呼び名が耳に届くなり記憶の中にある一つの顔が浮かび、そして左目の上にある小さな傷を見て確証へと変わる。
「…………アル?」
アル。
本名はアルフレッド・クランドール。
かつての幼馴染メンバーの一人で、お隣さんでもある弟分だ。
生まれた時からずっと一緒で、妹のエレンと共に本当の兄弟同然に育ち、俺を兄と慕ってずっと後ろをついてきた兄妹の片割れである。
エレンも血の繋がったアルよりも俺にべったりだったし、アルはアルでまるで俺を神様みたいにいつだってキラキラした尊敬の眼差しを向けてばかりいたっけか。
しかしまあ、昔から整った顔立ちだったけど何ともイケメンに育ったものだ。
つーかアルに限らず俺の周りそんな奴ばっかだったぞ。俺だけザ・平凡なせいで劣等感がハンパねえわ。
「大きくなったなアル。随分と大人っぽく見える」
何故ここに? と第一声で問うことは出来なかった。
それでいて五年振りに合う弟分との今現在の距離感が分からず、気軽に再会のハグを敢行する勇気もない情けない俺。
しかしアルは心底嬉しそうに、昔からいつだってにこやかでいる性格の中にある他人に見せる作り物ではない本当の笑顔を俺に向けている。
懐かしくもあり、だからこそ今になっても違いが分かる自分に正直驚きだ。
「そう見えるようにしているだけです。こういう格好をしていれば若いからと舐められることも少ないですし、身分を疑われることもありませんから」
「そっか……でも、その格好で地面に座ったりしたら皺になっちゃうぞ」
「構いませんよ。一応はこの五年間の大半をこの服装で過ごしたので正装代わりに着て来ただけですから。はっきり言って、こんな物に何の思い入れもありません」
「アル……」
「会うことも連絡を取ることも出来ない時間はどれだけ長く感じたことでしょうか。それでも僕はずっと兄さんの背中を追い掛けて来たつもりです……こうして再会出来る日を迎えられることを信じて」
表情こそ笑顔のままであったが、その相貌からは涙が零れていた。
ああ、今も変わらずお前は俺を兄と呼んでくれるんだなと。そんなことを思うとこっちまで感情の抑制が効かなくなりつつあった。
「ばっかお前、良い歳した良い男が泣くなよ……俺まで涙出てくるだろ」
この五年間。
言葉を交わしたかつての仲間は一人だけ。
何をしているかも分からない者も多く、元気にしているかも分からないまま過ごした時間は何度孤独に耐えきれずに発狂しかけただろうか。
当時十三、四のガキが一人で生きることになったのだ。それも当然と言えば当然なのだろう。
だけど俺よりも更に若いアルやエレンが耐えているのならと、何度己に言い聞かせただろう。
そんな若き時分の、歳を取って抑え込んでいた感情が今爆発し、思わずアルと抱き合っていた。
「元気そうでよかった。それに生きて再会出来てよかったよ」
華奢な体で精一杯抱き返してくるアルの両腕の温もりを感じる俺の目からも、涙が零れていた。