【第二十四話】 静寂の大山
またまた少しの移動を経て、俺は一人と一頭で件の山までやってきた。
元々基地から見えているぐらいの距離だ。
移動時間は数える程しかない。
とはいえ、いざ目と鼻の先まで来てみると……すんげえ不気味なんだけど。
国境を跨ぐように広がり、連なっている無数の山の集合体。
それこそがこのグルートス山脈で、であるにも関わらずハルヴェス王国にもラクネス王国にも領土の所有権が無いという特殊で異様な土地。
俺の持つ情報なんてその程度しかないのだが、実際に目の当たりにするとなるほど納得という感じだ。
奥行きも左右も果てが見えないぐらいにクソでかいし、なまじ人の手が加わっていないことが余計に外界から隔絶された場所という印象に拍車を掛けている。
当然の理屈ではあるけど、もう人の気配ゼロなのが不気味さを通り越して恐怖すら抱くレベル。
シーンとしているくせに風がビュウビュウと吹き荒ぶ音や木々がその風に揺れてガサガサしている音だけが延々と辺りに響き続け、立っているだけで俺の心は折れそうです。
確かにロープやら鉄網やらで外周を囲ってあるし、至る所に立ち入り禁止、侵入者には法に則り厳罰が、とか書いてある立て札が刺さっているけど……人の目が無い時点であんま抑止力ないだろあんなん。
それこそ盗賊とか魔物の住処になっていたりしないだろうな。
「くそう……」
行くしかないのか。
おやっさんめ、こんな恐ろしい仕事を振りやがって。
絶対に許さん。帰ったらケリーの尻ぐらい触ってやる。
あくまで想像の話ではあるが、これ本来はソロで受ける仕事じゃないだろ。
二人三人で来てりゃ絶対こんなに心細い気持ちにならないもん。
その辺はまあ俺個人のランクアップのためだから仕方ないんだろう。決して友達がいないからとかではない。
どうあれいつまでもここでビビッていても埒が明かねえし、サッと行ってサッと帰ってこよう。
そして二度と来ない。
二つの誓いを胸に、またまたそれ用と思われる進入地点にある杭に馬を繋ぎ、地図に沿って無人の山へと足を踏み入れることにした。
赤線が示すところによれば少し上ってあとはほとんど外周に沿って一本道を進むということらしい。
奥にまで行かなくて済むのは幸いだけど、紙切れじゃ勾配までは分かんないのが不安要素といったところか。
最悪マジの山登りになるんじゃないかという絶望感を抱きつつ、山道を歩き始めて数分。
なるほど確かに、どう見ても外から持ち込んだ物と思われるゴミとかがちょいちょい落ちているのが目に入る。
一攫千金を狙う野郎ってのはどこにでもいるらしい。
別にそれは知ったこっちゃないけど、遭遇するのはマジでやめろよ?
盗賊と戦う術ないんだよこっちは。
逃げていいと言ったって逃げるのも命懸けだからね?
これだけ静かなら人の気配とかすぐに分かりそうなもんだけど、足音とかしたらそっこーで逃げるからな。
「……こんな感じでいいのか?」
取り敢えずゴミとか足跡の件を報告書に書き記しておく。
そこでふと疑問が一つ。
異変があったら箇条書きでもいいからメモして提出しろとは言うけどだな、そもそも元の姿形も知らん俺にやらせてまともな報告書になんのかこれ?
なんともいい加減というか適当というか、まあ連中やお国にとっても形式上やっているだけの大した重要性もない仕事ってところか。
都市伝説に振り回されているようなもんだし、無理もないといえばその通りだ。
過去に一度でも不死鳥見ましたって奴いんのかって話だもん。
それだけ管理が雑だからこうやって簡単に人が出入りしちゃうんだろうけど、割を食うのが冒険者ってのが気に入らん。
……駄目だ、どうしても一人でいるとユニークスキルが発動してしまう。
もう難しく考えるのやめやめ。
俺はハイキングに来たんだ。
小一時間山歩きをしたらランクアップなんだ。
うん、ただそれだけのことさ。
「あ~、だり」
というわけで頭から愚痴やら不平不満を吹っ飛ばし、前向きかつポジティブ思考で山の中を引き続き進んでいく。
印のあるチェックポイントを四か所、五か所と過ぎた頃。
徐々に、だが明らかに周囲の景色に変化が訪れていた。
当初四方に広がっていた木々だの雑草だのが生い茂っている緑の景色は今やどこにもない。
良く言えば谷、率直に表現すれば崖みたいな険しくゴツゴツした道ばかりが右にも左にも続いているのだ。
とはいえ相変わらず普段と同じなのかどこか違っているのかは判断出来やしないけど、一見すると別におかしなところはない。
それ自体は当初の不安が杞憂に終わりそうで何よりではあるが、どんどん道が険しくなっていくのは何なのこれ。
本当に地図あってんの?
どう見ても人が通る道じゃない具合が増す一方なんですけど。
もはや山とかいう自然な雰囲気なんてほぼゼロに近く、岩の道や岩の壁を辿っている状態と化している。
より有りのままであるがゆえに足場も悪くゴツゴツしているし、通る場所や登る方法を考え選びながら進んでいかなければならないため明らかにただ山道、坂道を歩くのとは違う意味での消耗が積み重なっているのがはっきりと肉体に現れていた。
やべえ、そろそろ限界だ。
疲れたし足痛いし厚いし喉乾いたしもう無理。
マジであとどのぐらいで終わんだよこれ。
「…………ん~」
地図を見てみるに、大体半分ぐらいか?
指定のルートがウネウネしているせいで分かり辛いんだよこれ。
もう少しこの崖道を行けば折り返しになるっぽいけど、せめて帰りは下り坂にして欲しい。
せめてそれぐらいの情報は地図に書いておいてくれっつーの。
赤線と波線以外じゃ一ヵ所にバツ印があるだけだぞこれ。
そもそもこのバツは何の目印なんだ?
現在地からの視点じゃすぐそこだと思うのだが……これが半分来ました的な意味か?
そりゃご親切なことで。
他にもっと必要な情報が絶対あるけどな!
「つーか、ここ本当に通っていい道なんだろうなこれ」
断崖に沿って続く道は進めば進む程に狭くなっており、現状で既に一メートル程の幅しかない。
すぐ横は十メートル以上もある鋭い傾斜になっており、それが何段も重なっている感じだ。
つまりは落ちれば下にある道まで転げ落ちるだけでは済まず、奥の方がどういう地形になっているのかまでは見えないが相当な高さを落下する羽目になることは間違いない。
運よく途中で止まれば酷いことにはならないかもしれないけど、そうなりゃ当然大怪我をするか、最悪死ぬぐらいの事故になるだろう。
そんな道を延々歩けってんだからそりゃ人気のねえ依頼になるはずだわ。
つーか、そもそもこれちゃんと日当出るんだろうな?
この仕事でランクアップの件は認めてやるって言われただけでその辺全然聞いてなかったわ。
説明の義務があるだろおやっさんよぉ。
「っと、あぶね……って、何だこりゃ」
不意に右足が沈みズッコケそうになるのを堪える。
見れば踏み出した足が地面を抉っていた。
……何だか急に足元が不安定というか、ものっすごい脆くなってんだけど。
大丈夫なのかこれ、普通に心許ないんだけど崩れ落ちたりしないよな……。
一応足踏みをしてみるが、流石に人間一人の体重でどうこうなりそうな感じはしない。
それでもこのまま進むには度胸と覚悟が必要で、一度立ち止まり大きな深呼吸を挟んだのちに念のためゆっくり進もうという結論に辿り着いた。
しかしそんな状態で敢行した人生最大の冒険も長くは続かず、十数メートル進んだところで想定し得る最悪の展開に見舞われることになる。
案の定足元は大きく音を立てて崩れ去り、必然俺の体が宙に浮く。
妙な浮遊感と今の今まで歩いていた道が遠ざかっていく事実だけが視覚から把握出来る全てで、頭に浮かぶ『あ、やべえ』という感覚と同時に『ああ、なるほど。あのバツ印はそういうことだったんだ』とどこか冷静に分析している自分がいた。
「いや、馬鹿だろお前等!! そういうのちゃんと説明しとけえええええええええ!!!!!!」
当然ながらそんな非現実感でまともに思考が働かない時間など一瞬のことで、次の瞬間には恨み節だけが頭を支配していく。
そしてこれも当然ながら怒りと憎しみを辞世の句にしたところで落下が収まるはずもなく、二度三度と背中や腰を打ち付けながら十メートル以上の崖を転がり落ちて行った末、そこから先の記憶が無くなった。