【第十一話】 ブラックフィオ姉
はっきり言えばただの勘違いだったわけだけど、怒りが一瞬にして治ったフィオ姉は一言全員に詫び、今は十字架の前で両手を合わせている。
さすがは聖女というべきか、単に格好がそう感じさせるのか、片膝を突き両手を組んで目を閉じる姿は何とも様になっていた。
本物の聖職者の御祈りって感じだ。
いや、現実として本物の聖職者なんだけど。
「繰り返しになるが、まっさかフィオにまで会えるだなんて思ってもいなかったぞ」
ガル兄の言葉に、俺以外の皆が頷いている。
そりゃそうだ。
昔の知り合い、という関係性であったとしても一般人が会おうとして会える人物じゃないからね。
「そりゃ来ますわよ。この日のために五年間耐えてきたのですから」
「そもそも連絡云々ならこっちの台詞だって話なんだぞフィオ。新たな大聖女の名を最初に聞いた時にどんだけビビったか分かってんのか」
「いやマジそれな。つーか……この場所は誰にも知られないようにって話だったのに、そんな格好で来たら目立って仕方ないんじゃないの?」
「安心しなさいレオン、そのぐらいはわたくしも重々承知していますわ。この地が他の誰かに穢されるだなんて……想像しただけで悍ましい」
「それには同意せんでもないけどだな、だったら何でその格好で……」
「この姿の方が久方ぶりに会う兄弟姉妹たちに一目置いてもらえるじゃありませんの。心配せずともちゃんと山に入ってから木の陰で着替えて来ましたわ」
「何その無駄な見栄のための無駄な労力!?」
「無駄なものですか。五年振りの再会だといいますのに、わたくしだと気付いて貰えなかったら三日三晩枕を涙で濡らさなければなりませんわよ」
「フィオ姉の前にこうして五人集まったけど、誰一人としてそんなことなかったけど?」
「まあまあレオ兄。フィー姉はお姉ちゃん力とおっぱいの大きさ以外特徴が無いって昔から気にしてたから許してあげようよ♪」
「エレン? 何か言いまして?」
「な~んでもないよフィー姉。皆昔と変わらずフィー姉が大好きってこと」
「そ、そうですの? 面と向かって言われると照れますわね」
ちょっとおだてられられると機嫌を良くしちゃって……昔と変わらずチョロいねフィオ姉。
あと一時期そういう悩みを抱いていたって話は耳にしたことあったけど、キャラ的にはむしろ特徴しかないだろあんた。
お姉ちゃん力とおっぱいの大きさも当然として、その謎のお嬢様キャラといい一人だけガンガン魔法使えてたことといい。
後者に関しては血筋のおかげって話だったか。
代々光属性の魔法に秀でた血筋で、それゆえにどの世代も子供の何人かは聖職者になるのだと聞いたことがある気がする。
ま、当時の話とはいえ本人が魔法がどうとかよりも皆に頼られる姉でありたいと思い、あろうとすることに拘ってたからなぁ。
さすがはキングオブお姉ちゃん(かつてのガル兄命名)って感じだ。
「つーかフィオ、その小さいバッグに着替えが入ってんなら荷物が少なすぎやしねえか?」
「さすがに大荷物全部持ち歩くのは無理がありますもの。ちゃんと宿を借りた町に預けてありますわ」
「え? ちょっと待ってフィオ姉」
「何ですのレオン? そんな面食らった顔をして」
「大荷物って言ったけど、いつまでこの国にいるつもりなの?」
「はあ? そんなの決まっているでしょう、この先ずっとですわよ」
「「え?」」
「「は?」」
クロ以外の四人の声が見事に重なった。
しかし、むしろ本人がびっくりしていた。
「な、何ですの揃いも揃って。わたくしの生まれ故郷はこの国で、貴方たちがここにいるというのにどこに行く必要がありますの?」
「いやいやいや、フィオ姉大聖女なんだろ? 国に帰らなくていいの?」
「ああ、そういうこと。そんなのとっくにやめてきましたけれど?」
「「「「はあああああぁぁぁぁぁ!?」」」」
もう一回重なった。
クロだけはあんま分かってなさそうである。
「そんな簡単にやめていいの!? そしてやめれんの!?」
「驚き過ぎでしょうに。貴方たちが知らないのも無理はありませんけれど、元々そういう約束だったのよ」
「フィオ……頼むから俺達に分かるように説明してくれ」
「分かるようにと言われましても大それた話でもないのですけれど、知っての通りあの日この村を出たわたくしは祖父を頼ってザッカリア自治区に向かって、その祖父の元で修道女として数年を過ごしていましたの。そんな折、これもご存知でしょうけれど昔からそれなりの光魔法や治癒魔法が扱えたことを理由に先代の大聖女がご逝去なさった時に打診を受けたのですわ。とはいえわたくしがそういった時間を過ごしたのは全てが今日この日のため。なので正式に跡を継ぐ者が決まるまでの代理ならば、という条件で引き受けたに過ぎません。つまりはやめて国を出ようと何に問題も無い、というわけですわね」
「ですわねって……フィオ姉はそれでいいのか? 誰もが羨む人生を捨てたってことだぞ?」
「あのねえレオン。わたくしが、望んで、そんな役職を得たとでも、思っていますの? ここにいる、家族の事を忘れて、一人で、満たされた、未来を、歩む人生を、選ぶとでも、思っていますの?」
今度は俺一人の額を指でツンツンしながら言葉を紡いでいくフィオ姉。
お姉さんぶっているのか俺が子供扱いされているだけなのかは分からないけど、話の内容がアレ過ぎてツッコむための言葉すら出てこない。
「あの日、エリアス・ザッカリアがわたくし達を助けてくれた? エリアス・ザッカリアが悪逆無道を働いた帝国の連中に裁きを与えてくれた? 答えは否、ですわ。わたくしの人生は今日この日を目指して歩んできたつもりでいます。そしてレオンも、ガルバも、アルもエレンもクロも同じ気持ちでここに集まった。そのおかげでわたくしも自分の選択を誇りに思えますし、元よりあの国での生活にも、大聖女としての毎日にも、何の未練もありませんわ。そもそも生きていくために嫌々やっていただけですもの、より積極的に初心を思い出させてくれたことに感謝しなくてはと思う気持ちも多少はありますけど」
「……しょ、初心ってのは?」
「相手にするのは自分のために諂う奴ばかり、自分が得をするために近付いて来る奴ばかり。あの時と同じ、自分の得にならなければ誰がどうなろうと無関心。村が焼き討ちされ人が無意味に殺されても大半の人間にとっては世界の片隅で起きた自分には無関係な出来事でしかないのよ。反吐が出る、欲に塗れた薄汚い豚共……心底気持ち悪い。平穏だけを望んでいたわたくし達にはそれすらも許されなかったのに」
「マジかぁ……いや、俺達だってお前に会えたことは嬉しいんだけどよ」
「だけど、何ですの?」
「そうジト目を向けてくれるなって。これは俺個人の感情かもしれんがな、フィオに限らず真っ当に生きていく場所だとか、本人なりに幸せな人生ってもんを得られたなら俺はその道を進んで欲しいと思っていたんだ。だから正直に言やあこんだけ集まったことに内心びっくりしてた」
と、これはガル兄の感想。
まっさか世界に名を轟かせる大聖女という肩書きを飯のタネぐらいにしか思っていなかったとは……ってのは驚きだし、後半に関してもマジで同意見である。
揃いも揃って今日この日のために生きて来た、なんて言うとは思わないだろう。
「わたくしとしてはこれを見て汲み取っていただけると思っていたんですけれど……全然伝わっていなかったみたいですわね」
フィオ姉は首から下げたロザリオを手に取り、軽く揺すった。
大聖女というのは人前では常にその象徴たる衣装を身に纏い、大きな十字架を首に掛けることで誰が見てもそれだと分かる見た目をしている。
そしてそのロザリオは個々が意匠を考え、自らの信条であったり何を重んじ、何を目指し、何を学び、何を与えようとしているのかといった当代の大聖女の個性であったり主義主張をアピールする代名詞みたいな物として扱われてきた。
代々様々なデザインのロザリオが作り出されてきた歴史においてフィオ姉は唯一、形だけではなく色まで変えたのだ。
そうして生まれたのがこの真っ赤なロザリオ。
ゆえに、紅の大聖女という二つ名で呼ばれるようになった……らしい。これはフィオ姉のことだと知ってから聞いた話なので覚えている。
「それはそういう意味があったのか」
「ええ。この心に灯る消えることのない復讐の炎をイメージしてみましたの」
「笑顔で言うことじゃねえ……」
仰る通り。
フィオ姉には特に懐いていたネルも、数少ない常識人一派として仲の良かったアルも、さすがに苦笑いを浮かべるしかないようだ。
「ウチらの唯一の良心だった姉御も随分黒く染まっちまったなぁ」
「そういう自覚はありませんけれど、五年という月日があれば多少は考え方も変わるものかもしれませんわね。クロは違うの?」
「いいや、ウチも似たよーなもんさ。あの頃と同じ気持ちのまま、あの頃とは違ってやられっぱなしのガキじゃなくなったおかげでワクワクしてるぐらいだ。憎い奴、気に食わねえ奴を遠慮も容赦もなくブッ飛ばせるってな」
「あらあら、物騒な子ですわね」
「和気藹々とする会話じゃないだろ……フィオ姉、あんま無理すんなよ?」
「別に無理なんてしていませんわよ。この日を待ち焦がれていたことは事実ですけれど、不自由なく生活させてもらえたことは事実ですもの。そういった気持ちを原動力にしていたことを否定しないからといってそういった気持ちに生かされたと言うつもりもありませんしね。それに、仮初めとはいえ大聖女であったことで得られた物もたくさんありましたし」
「……例えば?」
「コネですとか情報もそうですし、お金もそうですわね。あと信者とか」
「「最低な大聖女だー!!」」
よく分かった。
生き別れてから五年が経った今、この集団における常識人一派は俺とガル兄だけだ。