アジュールと幼子・3
「………タス嬢!………シタス嬢!」
(何やら騒がしい。瞼を開ける元気も無い。とても疲れているのだから、そっとしておいて欲しい)
私は再び意識を手放そうとしたが、思い直した。
(そうだ。この子を……あら?)
胸に抱いている幼子を、引き渡さなければ。そう考えながら、幼子を撫でてみればザラザラとしたそれは、人の様ではない。
「なっ、何!?」
魔物かと思い飛び起きてみると、それは古びた石碑だった。驚くのも束の間、私はアジュール様の腕の中にいた。 予想外の出来事に声も出ない。
「アメシスタス嬢、大丈夫なのか?」
目の前に大好きなアジュール様の顔がある。 サファイアブルーの美しい瞳が、直ぐ側で私を見つめている。アジュール様のたくましい腕が………私を支えている。アジュール様の声が、少し低めの柔らかな響きで、私の名前を呼んでいる。
夢なら覚めないで欲しいと願い、アジュール様の顔を間近で堪能していた。 心配そうだったアジュール様の表情が、だんだんと困惑した物に変わっていった。
「ヴィオラ、アジュールが困っているぞ?」
兄・グリシヌの楽しそうな声が聞こえた。 また、私をからかっている。
名残惜しいが、アジュール様の腕の中から抜け出して、ネモフィラの青い絨毯に座り直す。
「あら?ネモフィラは咲いていないって聞いたのに……」
一面のネモフィラが風に揺れ、まるで、湖面のさざ波の様に見えた。
そして、手に捻れた、あの白い棒を持っていることに気が付いた。 マジマジと眺めて思い付いた。
(これって、私の胸に刺さっていたユニコーンの角なのかしら)
「兄様!わたし……」
ユニコーンに出会った事を兄に伝えようとすると、アジュール様が人差し指で私の口をふさいだ。
「まずは手当てをさせてくれ。君は怪我をしている」
アジュール様の視線の先を見てみると、ちょうどユニコーンの角が刺さっていた胸の辺りの布が破れ、血が滲んでいた。
「!」
私は、今更ながら胸元を隠した。 頬が火照るように熱かった。
※※※
アジュール様に抱き抱えられた私は、恥ずかしさに顔を隠したままの姿で、公爵邸へと連れていかれた。 兄がクスクス笑っているのが聞こえていた。
会場にいる招待客に見られたらどうしよう………と思っていたのだが、いつの間にか陽が傾き出していた。 狩りが始まった頃は、まだ陽が高い所にあったのに。
もう、催し物は、とうに終わっていたようだ。
サフィルス公爵邸の、客室の寝台に寝かされた私は、医師の診察を受けたのだが、案の定何の問題も無かった。
ユニコーンに突かれた胸には、何の痕跡も残っていない。 なのに、服に血が滲んでいた。医師は首を傾げながら帰っていった。
マホガニーのテーブルを囲んで、私達はソファーに腰を下ろす。 侍女が三人分の紅茶を準備し終えたのを見計らい、アジュール様が問いかけてきた。
「アメシスタス嬢、貴女はあそこで何をしていたのですか?」
私は思い悩む。 ―――あの不可思議な体験を、どう説明すればよいだろうか。
「散歩に向かったのですが、どこかで道をはずれたようで、湖に出てしまいました。 戻ろうとしたのですが、どうしても湖に戻って来てしまうので、困りましたわ」
私はそう伝えるとカップに手を伸ばし、一口紅茶を喉に流し込む。
「ヴィオラよ。あの小道は一本道で、両側には柵があったはずだが」
「グリシヌの言う通りだ。そして、あの森に湖はない。それに、貴女が森に入ってから三時間が経過していた」
(そんな事を言われても、知らないわ。 迷った事も湖も本当だもの)
私はソッポをむく。
「そして、これだ。これは何かな?ヴィオラ」
兄が、私の胸を貫いたであろうユニコーンの角を、マホガニーのテーブルの上に置いた。
「そして、あの場所だ。 数日前に訪れた時は草木は枯れ果てていたのに、今日はネモフィラが咲き乱れていた。 アメシスタス嬢、貴女は何をしたのか」
顔が整っている人がする無表情は、どことなく恐ろしげだ。そして、アジュール様は彫刻像のように美しい。
威圧感を感じる恐怖と緊張で、紅茶を飲み込んだ喉が、ゴクリと鳴る。
「確かに、私は小道で迷ったあげく、湖に辿り着き、ユニコーンに出会い、アジュール様の幼子を救うように言われて―――そうだわ、兄様。 私、魔法が使えるようになったみたいよ」
「そうみたいだな。なぜ、使えるようになった?」
兄も淡々と尋ねてくる。―――怖い。
「その角で胸を突かれたのよ。『枷を外した』って言っていたかしら? あと、魔法使いがどうとか………」
「すまない。ちょっといいかな」
アジュール様が、私の話を遮った。
「その………『わたしの幼子』とはなんだろうか」
「そういえば、アジュールに妹はいないか。と、聞いていたな」
私はチラリとアジュール様の座るソファーの横を見る。 彼女はこちらを見て微笑む。
(話してもいいって事よね?)
そう理解した私は、一呼吸置いて話し出す。
「―――ということで、今もアジュール様の側におります、彼女は『イマ』と言うのかしら?」
アジュール様の横に座る幼子は、コクンと頷いた。
「待ってくれ。『イマ』様と言えば……」
アジュール様の目が見開かれる。
「そうだな。創造の女神で、その子供はサフィルス家の祖先と言われていたな」
「あぁ、偉大なる魔法使いだ」
その言葉に、私はギョッとした。