運命の歯車・2
王都にあるアメシスタス侯爵家の一室で、リーラのすすり泣きが響いていた。
婚約式の後、グリシヌ達兄妹はヴィオラと同じ予知を見ていた。 ヴィオラがフェリクス国王と王妃を、アジュールやラウル達から守り、命を落とす未来を。
すぐさま、領地の父親に手紙で知らせたのだが、折り返し届いた手紙には、アメシスタス家の方針として『中立の立場を貫く』というものであった。
父からは、前国王が崩御したならば、リーラは速やかに領地戻ってくるように、と書かれていた。
そして、決して蒼のクーデターには参加しないように、とあった。
「姉様を見捨てるって事なのでしょう?」
「ライリー殿と婚約した事で、姉上の未来が変わったのでしょうか。 クーデターが起きるだなんて……」
リーラとアドニスが、狼狽える。
「以前より、サフィルス公爵の横暴な振る舞いは指摘されていた。 だが、そこに穏和なエスメラルド公爵が乗るとは、到底考えられないのだが……」
グリシヌは考え込む。
「姉上を救うことは、できないのでしょうか……」
アドニスが悲痛な声を出す。
「―――無理だ。女官となった今、王族の命を、フェリクス国王を第一に考える必要がある。 もちろん、俺もお前も……ライリー殿もだ」
「女官になれば安全だと思ったのに、ライリー様が守ってくれていると思ったのに」
再び、リーラのすすり泣きが、アメシスタス侯爵邸に響いた。
※※※
疲れた身体と空虚な心を抱えたライリーは、私室の書類机に、青紫のスミレの小花が飾られているのに気付いた。 ヴィオラからだった。
婚約式を終えてからというもの、ろくに彼女と話していない。スミレの花弁をペン先でつつきながら、彼女からのカードを、何度となく読み返す。
『素敵なバラとお部屋に感謝します』
ジョセフィーヌの宮でのお茶会で、ヴィオラの姿を見かけた。 少し緊張した面持ちで、有力貴族達をもてなしていた。
会場全体に、強力な魔方陣が敷かれていた。彼女の事だから、解毒の魔方陣なのだろうが、その魔力量に驚いた。
『魔力が乏しい』と聞いていたが、そんな筈はない。 ユニコーンの乙女とは稀有な存在なのだ、と思い知った。
「ヴィオラが足りない……」
とは言ってみても、お互い慣れない公務で忙しいく、会う機会もない。
フェリクス国王に『完全中和』を施す時がチャンスなのだが、どうも私室で行っているようで、まったく姿が見えない。 少なくとも公務中は行っていない。
確実に会えるのは、社交シーズンの始まりを告げる、来月の美術館の内覧会だろうか。
「待てない」
立ち上がったライリーは、そのまま馬舎へと向かい愛馬に跨がると、王宮へと馬を走らせた。
濃碧の空に、光輝く三日月が浮かんでいた。
※※※
ボンヤリと浮かぶ街灯の灯りの下、ジョセフィーヌの為に作られた庭園で、ヴィオラは一人、魔方陣を敷いていた。 少し離れた所には、近衛兵の詰所があり、何人かがチラチラこちらを伺っていた。
アンナに言われた通り、毎日魔力をギリギリまで放出していた。 結界を敷いては、解術で壊す。それの繰り返し。
(そろそろ魔力切れかしら)
最後に、庭園全体を覆うように結界を敷いた。
(帰りに水桶を借りていこう)と思いながら、ベンチに腰を下ろし、空を見上げながら汗ばむ額を拭う。
濃藍の空に、白く輝く三日月が浮かんでいた。
その時、カツカツと足音が聞こえてきた。舗装された遊歩道をこちらに向かって来ている。
自分に敵意を持っている者は、この結界に入れないのだが、こんな時間に、この庭にくる人物が思い浮かばない。
私はそっと、杖を握り直した。
凝視する暗闇から浮かび上がってきた人物は、ライリーだった。
「ライリー様……なぜ?」
問いかける私に彼は答える。 王宮の衛兵に「この時間ならば、ジョセフィーヌ様の庭園で、魔法の練習をしていますよ」と教えられたらしい。
「その……隣、いいかな」
私の返事を待たずに、彼は隣に腰かけた。
聖都からの帰りの馬車の中とは違い、どことなく甘えた………、甘い雰囲気を出してくる。
「あの……色々お気遣い頂いて……ありがとうございます」
彼の視線から逃げるように顔を背け、お礼を伝えた。
「ヴィオラも、可愛いお花をありがとう」
「いえ……」
沈黙が続く。そんな二人を月明かりが照らしていた。
「あの……そろそろ……」
さすがに、もう戻らないと。と思い、立ち上がった。 その私の腕をライリーが捕まえた。
「また、来てもいいかな。 良ければ、騎士団の訓練所も使えるけど……」
「いいんですか?」
声が弾む。 クックッとライリーが楽しそうに笑った。つられて、私も笑い出す。
軽く腕を引き寄せられ、ライリーの腕の中にすっぽりと収まってしまった。 ほのかにバラの香りがする。
「じゃぁ、また来るよ」
耳元で囁かれた。
※※※
ライリーに連れられ自室に戻る途中、フレイヤの部屋のドアが少し開いているのに気が付いた。
送ってくれたお礼を伝え、部屋に入ろうとする私を引き留めたライリーは
「おやすみ」
そう言いながら、私の前髪をかき揚げオデコに唇を寄せた。
想像を越えた彼に動揺し、オデコに手をあてる私を見た彼は、楽しそうに微笑みながら「またね」と、帰っていった。
キイッーと静かに隣の部屋のドアが開いて、フレイヤが顔を覗かせる。
「見ちゃった」
嬉しそうに、からかってくる。
「魔法の練習をしていたら、たまたま会っただけよ」
そう言いながら、火照る頬を隠した。




