セレスティナ 後編
隣国との戦争終結後。王宮では一気に、私とレオ様の結婚式の準備が進んでいました。
王都中から腕利きの仕立て屋や針子が集められ、私もウェディングドレスや祝宴用のドレスや靴の採寸、仮縫いに追われます。
縫われていくドレスや靴は、いずれも王太子妃にふさわしい豪華で洗練された品ばかりで、私は見るたびに心がはずむのを抑えられませんでした。
そんな折、事態はふたたび急転します。
なんと、例のアリシア・ソルがこれまでの功績を認められ、神聖帝国の教皇から正式に『聖女』位を授かることが決定した、というのです。
私は仰天しました。
(聖女位はセレスティナのものなのに!!)
何故、最悪の魔女であるアリシア・ソルが手に入れようとしているのか。
「わけがわからない…………っ」
人払いした公爵邸の自室で。私は頭を抱えました。
ただ一つ、見えたものもあります。
「アリシア・ソルの目的は、教皇…………!」
わかってしまえば納得でした。
私は今まで、レオ様をアリシア・ソルに奪われることばかり心配していました。
けれどアリシア・ソル――――いえ、漫画の展開を知る転生者からすれば、王太子レオポルドは悪役令嬢を断罪しようとして失敗、権力を失って失脚する愚かな悪役です。頼りにはなりません。
そこで彼女は教皇エドガルド・オルティスに狙いをさだめたのでしょう。
漫画では教皇は、聖女位授与の儀式で初めてセレスティナと出会い、彼女の美しさや気高さに一目で恋に落ちる、皇国の第三皇子の恋のライバルとなるキャラクターです。
出番こそやや遅いものの、登場後は傾いていた帝国や教皇の権威を復活させて、皇国の第三皇子と互角の権力や実力を持つことになる人物でした。
アリシア・ソルの狙いはそこにあったのでしょう。
漫画の知識があった彼女は、早い段階で自分が第三皇子によって断罪される未来であることに気づき、その展開を回避する方法をさがして、皇子と同格の力を持つ教皇に頼ることを思いついたのです。学園を逃げ出し、セレスティナが得るはずだった聖魔法を用いて人々を癒しつづけたのも、すべてはそのため。
一介の平民では教皇への謁見は叶わない。
そこで、聖女としての評価を高めて帝国のほうから自分を呼ぶよう、仕向けたのです。
「なんてずる賢い…………」
お気に入りの椅子に座った私は額を押さえ、ため息と共に呻いていました。
自分が無事に生き残るため。そのためだけに、あの女は貴重な聖魔法を本来の持ち主である私から盗み、利用しつづけてきたのです。さも自分の力のように偽って。
あまりの身勝手さと邪悪さに、私は背筋が凍る思いでした。
(もう、ぐずぐずしてはいられないわ)
教皇と帝国から正式に召喚があった以上、アリシア・ソルの聖女位授与は既定路線でしょう。王太子であるレオ様は反対するでしょうが、ノベーラ国王や他の大臣、貴族達が、自国から聖女を輩出することに異論があるとも思えません。
教皇はアリシア・ソルに篭絡されるでしょうか。それとも彼女の本性を看破するでしょうか。漫画では出会うことのなかった関係です、なんとも言えません。
(でも、こうなった以上は万が一のことを考え、教皇への対抗手段を手に入れておいたほうがいいわ)
「ヒルベルト様…………」
私の心は決まりました。
私は漫画どおり、皇国の第三皇子にしてセレスティナの真の運命の恋人、ヒルベルト皇子殿下と結ばれます。
ヒルベルト殿下とお会いしたのは、隣国との戦争が終結する少し前。
殿下はノベーラ王国と皇国の親睦のため、そして自身の見聞を広めるため、ノベーラに遊学に訪れた方でした。
…………正直なところ、私ははじめ、ヒルベルト殿下とどう接するべきか結論を下しかねていました。
漫画では、殿下はセレスティナを助けて結ばれるヒーロー。
けれどこの時点での私は、レオ様に惹かれる気持ちのほうが優勢でした。
裏切られ、捨てられて終わる運命と知りつつ、レオ様が私に向けてくださる愛や優しさを失いたくない、レオ様をアリシア・ソルに奪われたくないと、そう祈っていたのです。
ですから未来の王太子妃として、レオ様と共にヒルベルト殿下との交流の席が設けられた時、私は(いっそ、仮病でもつかって欠席してしまおうかしら)とすら考えました。
けれど公爵令嬢として、未来の王太子妃として、外国の皇子と対面するのにふさわしい上品なとっておきのドレスとアクセサリーを身につけ、殿下と初めてお会いした時。
(ああ、なんてこと!)
皇国の第三王子、ヒルベルト殿下。
私の運命の恋人は、私が前世でとてもよく知る方に生き写しでした。
(お義兄さま…………!?)
前世で。私は高貴な家に生まれた高貴な人間のさだめとして、父が選んだつり合いのとれた相手と結婚し、娘を一人、授かりました。
夫は、私の実家に比べるとやや格は落ちるものの、誰もが知る大企業の社長の次男で重役。
義兄は、義父のあとを継ぐ次期社長でした。
私ははじめ、この義兄が苦手でした。
夫も義兄を嫌っていました。
義兄は幼い頃から優秀でしたが、それだけに、そうでない者の気持ちが理解できないところがあったうえ、歯に衣着せぬというか、無能な人間に「無能」とはっきり言ってしまうような、容赦のないところがありました。
そのため夫は幼い頃からなにかと義兄と比較され、義兄自身からも貶されて、嫌な思いをしつづけてきたそうです。
育ちはいいのに、どこか朴訥とした印象がぬぐえない夫に対し、義兄は昔から品の良い知的なエリート然として女子の人気が高く、それも夫の反感の一因だったと思われます。
私も、弟の嫁という立場上、わかりやすく失礼なことを言われることはありませんでしたが、義兄が私に好意的でないことは薄々伝わっていました。
義父は自分の跡継ぎとして義兄を頼りにしてはいたけれど、義兄の性格の難しさについては義父も義母も承知しており、また本人にその気がなかったためもあって、弟である夫が先に私と結婚したあとも、義兄は独身のまま。私達の娘が婿養子を迎えて、家を継ぐことになるのではないか、とさえ噂されていました。
そんな義兄でしたが、私が娘を産むと一変します。
無垢な赤子というのは、人を変える力があるのでしょうか。
義兄は私の娘(義兄から見ると姪ですね)と対面して以来、またたく間に娘を溺愛するようになりました。
それまで仕事人間だったのが、定時には仕事を切りあげて帰宅するようになり、誕生日やクリスマスのプレゼントを欠かさないのはもちろん、朝の幼稚舎や小学校へのお見送りも、義兄が車を出して私と娘を送ってくれます。
娘も義兄に懐き、義兄も娘と接することでどんどん人当たりがやわらかくなって、私は義父や義母から「あなたがあの子を産んでくれたおかげよ」と、何度も感謝されたほどです。
私自身、この男性はこんなに優しく笑うことができたのか、と驚いていました。
断っておきますが、私と義兄の間に男女の何かが起きたことは、一度たりともありません。天にも神にも誓えます。むしろ当時の私は、義兄に対して変化していく気持ちが恋であることすら気づいていませんでした。
ただ、朝に義兄が娘を送ってくれる車の中、私と幼い娘と義兄の三人だけで過ごす一時は、義兄を嫌う夫には申し訳ないけれど本当に楽しく、心満たされて、私達が本当の親子であったなら…………そう感じていただけです。
やがて娘は中等部への進級を機に「もう一人で行く」と言い出し、さらに義兄が遅い結婚を済ませたことで、私達三人の楽しい時間は終わりを告げました。
義兄の妻となったのは、大学時代に私に八つ当たりしてきた、あの女でした。
あの女は留学もできない貧しい身の上でありながら、身の程知らずにも私達の世界に入り込み、よりにもよって私が心惹かれていた男性の妻の座を奪ったのです。
侵略、いえ、汚染と呼んでも差し支えない暴挙でした。
私はやんわり、義母を通して義父にあの女の危険性を伝えました。
あの女は、理不尽な理由で私に八つ当たりしてきた、卑しい性根の持ち主。
高貴な私を妬み、恨む、身の程知らずな野心家です。
そんな女が家の跡取りである義兄と結婚すれば、どのような悪影響が生まれることか。
まして、あの女が義兄の子を産んで、その子供がこの家の後継となるとあっては。
けれど義母も義父も、私の忠告に耳をかたむけてはくれませんでした。
大学卒業後すぐに嫁いで娘をもうけた私と違い、あの女は海外を飛び回って三十後半を迎えていましたが、義父も義兄もその「海外を飛び回る」という経歴にだまされたのです。
「世界を股にかけた優秀なキャリアウーマン」と誤解したのでしょうね。私に言わせれば、声高にきれいごとを叫んで善人ぶるだけの、誰にでもできる仕事にすぎませんでしたが。
それに気づかず、あの女を一族の後継者の妻として受け容れた、義父や義母には失望を禁じ得ませんでした。義父も義母も、それほど義兄の結婚について追い込まれていたと思えば、憐れではありましたが。
案の定、結婚してもあの女は良き嫁とはなりませんでした。
次男の嫁とはいえ、この家に入ったのは私が先。ましてや、ふさわしい出自と育ちという点では、あの女とは比べものになりません。
私は、どうにものんびりかまえる義母に代わり、どうにかあの女を家にふさわしい嫁に育てあげようと、あれこれ指導をくりかえしましたが、あの女は仕事を言い訳に逃げまわるばかり。高貴な家に嫁いだ自覚が微塵もありません。
それを夫や義母に訴えても「彼女は仕事が忙しいから」と笑うばかり。義父に至っては「彼女は海外を飛び回って、その世界では若くして知られた人だし、息子もそこを気に入って結婚したのだから、あれでいい」と許容しているほどでした。
私は義兄にまで「自分が許しているのだから、妻の行動については、あれこれ口をはさまないでほしい」と告げられてしまい、あの家に私の味方はいませんでした。
それでも私はあきらめませんでした。
どうにかしてあの女の本性を暴かなければ、この家が悪しき下賤な人間にのっとられてしまう。だまされてしまった義兄を、あの女から救わなければならない。
そう心に誓い、あれこれ方法をさぐっていたのに、娘にまで否定されてしまったのです。
「お母様、もういい加減にして」
ある時。なにかの拍子に、高校生になった娘から、そう言われました。
「伯母様(娘から見た義兄の妻。あの身の程知らずの下賤の女のことです)は、よくやっているわ。家にふさわしくないのは、お母様でしょう!?」
あろうことか、娘はあの女をかばって私を非難してきたのです。
「伯母様は立派な方よ。大学生の時に亡くなったご友人の志を継いで、海外で困窮している人達のために力を尽くしている。伯父様も、伯母様のそういう人柄を認めて結婚されたの。たしかに、家にいる時間は少ないけれど、それは伯母様の力を必要とする人が大勢いるから。お母様のように毎日毎日、自分の好きなことしかなさらない人が責めていい方ではないわ!」
「なんてことを…………!」
私は仰天しました。
私が産んだ、私の娘。誰より私を間近で見て、私の高貴を受け継いでいなければならないはずの我が子が、いつの間にかあの下賤の女にたぶらかされていたのです。
私は必死で訴えました。
「私は高貴な生まれの人間として、この家の嫁として、日々使命を果たしています。ふさわしくないのは、あの女のほうでしょう。私の高貴を受け継ぐ唯一の娘であるあなたが、それを理解できなくて、どうします!?」
けれど娘は、とっくにあの女にとり込まれきっていました。
「馬鹿馬鹿しい」と、さも汚らわしい言葉を聞いたかのように吐き捨てたのです。
「高貴、高貴。お母様のおっしゃる『高貴』とは、なに? いつも血筋がどうの、ふさわしい家柄がどうのとおっしゃるけれど、お母様のなさることといったら、毎日毎日エステやヘアサロンやジムに通って、ハイブランド店をまわって服や靴やアクセサリーを購入してはパーティーをまわって、ご友人と観劇だの展覧会だのヨーロッパ旅行だのお茶会だのを楽しむだけ。その全部が、お父様のお金。ご自分はいっさい働かず、口を開けば『勉強は進んでいるの?』『お仕事はうまくいっているの?』、それと『次はなんのお菓子を作ろうかしら』。あとは伯母様や、伯母様のような働く女性の悪口ばかり。これのいったいどこが『高貴』な在り様なの?」
私は呆然としました。この娘はいったい、なにを学んできたのでしょう。
「私が身なりに気を遣うのは、立場にふさわしい装いをする必要があるからです。私がパーティーにみすぼらしい格好で出席すれば、恥をかくのはあなたのお父様ですよ? お茶会や観劇も人脈作りには欠かせないわ。私が高貴な女らしく陰からお父様を支えることで、お父様はお仕事に専念できるのだから、お父様がそのための資金を出すのは当然でしょう。高貴な人間には相応の装いや教養というものが必要なの、それくらい理解なさい」
「人脈というけれど、お茶会のメンバーも話題もいつも同じ。そもそもお母様が招待される方は、自分が我が儘を通せるような格下の方ばかり。ご自分が気を遣わなければならない方とは、仲良くしようとなさらないじゃない。教養だって、お母様の上のお姉様はジャズピアニストとして活躍されて、下のお姉様は大学院で美術史の研究をつづけておられるけれど、お母様は楽器だのバレエだの英語だの、子供の頃から色々習っていながら、大人の今はお教室を開くでもなく、発表会に出るでもなく、何一つつづけていないわ。家の中のことも料理はコック、掃除や洗濯は家政婦さんがしてくれて、お父様と付き合いのある方々へのお礼状や季節の挨拶状ですら、今は秘書に丸投げ。それで、どうして自分が使命を果たしていると言いきれるの? 伯母様に偉そうに嫁の役目を説くけれど、ただ伯母様の仕事を否定するために難癖をつけているだけだわ、姑の嫁いびりと同じよ、本当に恥ずかしい」
「あなたという娘は…………っ」
私は怒りで言葉を失いました。
我が子が見知らぬ化け物になった気分でした。
私から生まれ、誰より高貴な私の血を継いだはずの我が娘が、私の使命を理解しないばかりか、あの下賤な女の味方すらしている。
この娘には、高貴を理解する脳がないのでしょうか?
夫の血が悪かったとでもいうのでしょうか?
高校生になり、もう私とほとんど身長差がなくなった娘は、まっすぐ母親の目を見つめてきます。そこに宿る強い怒り、悔しさ、情けなさ…………そして軽蔑。
母親の私が、何故そんな目で見られなければならないのでしょう。私は誰より高貴な存在だというのに。
「とにかく」と、娘は強い口調で伝えてきました。
「もう、伯母様には関わらないで。伯母様のなさることに、いちいち口を出さないで。伯母様のお仕事は、伯父様も全部理解したうえで、力を貸しておられるの。お祖父様(義父のことです)もご承知だもの、なにも知らないお母様が首を突っ込む話ではないの。これ以上、伯母様や伯父様達に迷惑をかけないで。お父様も肩身のせまい思いをされているのに」
なんという言い草でしょう。
私はこれほどがんばってきたのに。
けれど娘はさらに禍々しい言葉を吐きます。
「高校を卒業したら、私はこの家を出ます。将来は、伯母様のお仕事を手伝いたいの。だから、その分野に強い大学を受験します。お母様の通った大学には行きません」
「――――っ!」
「お母様の生き方を、今さら私がどうこうしようとは思いません。お母様は、お母様の好きなように暮らしていってください。そのかわり、私も好きなように生きます。私は絶対、お母様のようにはならない。お母様のいう『高貴』なんて、私には関係ない――――」
私は絶句しました。
そして慌てて、離れてゆく娘の背を追ったのです。
この家の女として、聞き捨てるわけにはいかない暴言でした。
「待ちなさい! この家を出るなんて! 大学を変えるなんて、いえ、それよりあの女の手伝いをするとは、どういうことです!? あなたはこの家の跡継ぎ! ふさわしい婿をとって、いずれはお義父様やお義兄様の跡を継ぐ、義務があるのですよ!? そんな我が儘、お父様だって許すはずがないでしょう!!」
「お父様にはすでにお話しして、許しをもらっています」
「えっ…………」
「お祖父様にも。お祖母様や伯母様、伯父様も賛成してくれました。私は家を出ます」
「な…………」
「…………お母様には、まだ黙っていなさい、と言われたの。お父様や伯父様に。お母様に言えば、絶対に反対する。折を見てお父様からお話するから、それまで待ちなさい、って。だから本当は、今ここで話すつもりはなかったのだけれど…………」
「そんな…………みな、私になにも言わず…………っ」
私は呆然としました。
娘の言い分にも仰天したけれど、それ以上に夫や義父や義兄達、私以外のこの家の者全員が娘の意見に賛同し、母親の私一人をのけ者にしていた事実に絶望しました。
私はずっとがんばってきたのに…………。
この家にふさわしいのは、誰より高貴なのは、私なのに…………。
「あの女のせいで…………」
無意識に私の口が動きました。
そう、すべてはあの女のせい。
あの卑しい下賤の女が、身の程知らずにもこの家に乗り込んで来たから。
義兄を誘惑したから。
あんなに優秀ですばらしい人が、どうしてあんな卑しい女に惑わされてしまったのだろう。
あれほど可愛がっていた私の娘を、どうしてあの女に汚染されるがままにしていたのか。
私と義兄と娘。三人で楽しく車に乗り、幼稚舎や小学校まで送っていたあの日々は、どこへ失われてしまったのか。
私はあの日々がつづいてさえいれば、よかったのに…………。
けれど娘は私に追い打ちをかけます。
「もうやめて、お母様」
うんざり…………というよりも、憐れなものを見下ろす視線でした。
「伯母様は本当にすばらしい方よ。意志が強くてたくましくて、愛情深くて、今も亡くなったお友達を想っていて、その志を継いで…………お母様には理解できない生き方でしょうけれど、私は伯母様は、誰より高く遠くに飛べる人だと思っているわ――――」
その瞬間、私の中に鮮烈に一つの面影がよみがえりました。
大学時代、悔し涙を流していたあの女を慰め、励ましていた友人の女。
だいそれた未来を語りながら何一つ成し遂げず、大学一つ卒業しないで死んだ女。
あの薄っぺらい、きれいごとばかりの意識だけ高い女の顔がよみがえり、目の前の娘と重なります。
そう、すべてはあの死んだ女が元凶。
あの卑しい女が身の程知らずな願望を抱いたのも、そのせいで私の家や娘が汚染され、なによりも私から義兄を奪ったのも。
すべては、あの口先だけのあざとい偽善者のせいでした。
「――――お母様?」
娘が不思議そうに、心配そうにこちらをうかがいます。
いえ、もはや目の前の女は、私の知る、私の産んだ娘ではありませんでした。
「お前の母親じゃない! 私を母と呼ぶな――――!!」
私は叫んでいました。
そのまま両腕をあゲ、むスメの肩 つか 、ハゲし ユサ っテ
――――
…………前世の私の記憶は、ここで途切れています。おそらくこのすぐあと、私は事故か病気で命を落としたのでしょう。
自分が死んだ時というのは、思い出したくないものですね。たとえ前世の出来事であっても。
――――話がそれました。
とにかく、私は皇国の第三皇子、ヒルベルト殿下にかつての義兄の面影を見出しました。
そして初心だった私は、ここでようやく、前世の自分が義兄を愛していたことに気づいたのです。
私が本当に結ばれるべきだったのは、義兄でした。
けれど不幸な偶然が重なってそれは叶わず、義兄はあの偽善者の意志を継いだ卑しい女に奪われ、汚染されてしまったのです。
けれど私は、ふたたび機会を得ました。
愛する男性は前世同様、いえ、前世以上に輝かしい優れた高貴な皇子として私の前にふたたび現れ、私と結ばれるのを待っている!
私達の出会いは運命です。
前世で引き裂かれた二人が、今生でふたたび高貴な男女として再会した。
これこそを運命と呼ばずして、なんと呼べばいいのか。
しかも今生では、神すら私達に味方しているのです。
セレスティナとヒルベルト皇子は結ばれるさだめ、選ばれし聖女と皇子でした。
私の脳裏に、ある女の面影が浮かびます。
それは前世の娘であり、過去に一度だけ顔を合わせたアリシア・ソルであり、前世で私の幸せを邪魔した偽善者の女でした。
思えば、あの何一つ成し遂げずに死んだきれいごとばかりの女こそ、悪役令嬢を貶めんとする偽りの聖女、あざといヒドインにふさわしい。
私の中で、あの女とアリシア・ソルの面影が一つに重なります。
あの女は前世の災いであり、今生でも倒すべき敵、アリシア・ソルでした。
「負けるわけにはいかない。私はセレスティナ・デラクルス公爵令嬢。この世界の悪役令嬢で正統な聖女で、誰より高貴な主人公なのだから――――!」
椅子から立ちあがると私は窓に寄り、ぽかりと浮いた月によく似た色の髪を持つ男性――――レオポルド殿下に、心の中で別れを告げます。
(さようなら、レオ様。私達はやはり、漫画どおり結ばれぬ運命だったのです――――)
思えば、あれほどレオ様から愛されていながら、私は最後まで、そこに甘えきることができずにいました。心の隅では、いつもアリシア・ソルの襲来を恐れていました。
それはやはり、レオ様との結ばれぬ運命を、心のどこかで悟っていたからでしょう。
けれど、いずれは終わる恋だったとしても、レオ様からの惜しみない愛や情熱は、セレスティナ・デラクルスを美しく気高い女性へと成長させました。
(さようなら、レオ様。叶うなら、どうかいつまでも私を忘れないでくださいませ――――)
ヒルベルト殿下と出会い、ニコラス達三人の子息は魔女、アリシア・ソルに篭絡され、着々と漫画本来の展開に戻っています。レオ様が魔女に心変わりして私を忘れるのも、もうすぐでしょう。
願わくば、そんなレオ様を見る前に、ヒルベルト殿下とこの国を去ってしまいたい。
私がヒルベルト殿下とこの国を去ったあと、アリシア・ソルはどう動くでしょう。
本当に彼女に聖女位が授与されるのか。それとも土壇場で教皇が彼女の本性を見抜き、とりやめになるのか。
どちらにせよ、漫画の展開は本来の筋書きに戻りはじめています。
アリシア・ソルが魔女と知られるのも、彼女が盗んだ聖魔法が私に戻って、私こそが真の聖女と明らかになるのも、近い未来のこと。
私は悪役令嬢として、未来の皇子妃にして聖女として、おおらかに優雅にその時を待ちましょう。
真に高貴な存在というものは、その場にいるだけで光り輝いて、天をも惹きつけるもの。
あざといヒドインや下賤の女達のように、見苦しく走りまわる必要はないのです。
第三皇子は義兄の転生ではありません。
『断罪されるヒロインに転生したので、退学して本物の聖女を目指します!』は、この話の長編版です。
長編化にあたってキャラクターを増やし、一部キャラの性格や設定は変更していますが、アリシア、セレスティナ、レオポルドなどメインキャラの性格はそのままです。
ストーリーはこの話の先まで進んでおり、特に中盤以降は大きく変更して、ラストもこの話とは違う形になっているので、ご了承ください。