後編
数ヶ月後、新たな情報を得た。
かつてのノベーラ王太子の婚約者、セレスティナ嬢は皇国で、皇宮ではなく第三皇子個人が所有する豪華な別荘に迎えられた。
そして第三皇子は、皇国内の有力貴族の令嬢と結婚したという。
式は盛大で帝都はお祭り騒ぎとなり、皇宮でも祝宴が開かれたそうだ。
逆にセレスティナ嬢が別荘に入った時は、なんの式も祭りもなかった。
つまりセレスティナ嬢は妾、愛人として扱われているのである。
私はおおいに戸惑った。
(第三皇子がセレスティナと結婚するはずなのに…………愛人扱い? しかも、正式な結婚は別の女性と、って…………)
この世界の常識に照らし合わせれば、当然の展開ではある。
そもそも一国の、それも皇国のような大国の、第三とはいえ、れっきとした皇子が本人の一存で結婚相手を決められるはずがない。
幼い頃から様々な縁談が持ち込まれ、国王だの大臣だの大勢の人々が吟味に吟味を重ねて候補をしぼっていたはずなのだ。
皇子本人の希望とはいえ、候補にすら入っていなかった令嬢が突然、割り込んだところで「はいそうですか」と、すんなり結婚できるはずもない(だからこそ、セレスティナが聖女になる展開が必要だったのかもしれない。彼女自身に「ただの貴族令嬢」以上の箔をつけるために)。
正式に結婚する妻は政略で選び、個人的に気に入った女性は愛人に迎える。
王侯貴族の男としては、ごく妥当な選択だった。
政略による結婚が当たり前の身分だからこそ、夫婦間の愛情は最初から求めず期待せず、夫も妻も不倫が当然、不倫こそ純愛。
特に皇子のように高い地位にいる男性の場合、若く美しい教養のある愛人を抱えることは、己の財力や権勢を誇示する手段の一つだった。
おそらくセレスティナは今後、皇宮どころか皇子の本宅への出入りも許されず(それは妻の特権)、別荘でひたすら主人(夫ですらない)の訪れを待つのだろう。
たとえ彼女が皇子の子を産んでも、その子は一介の私生児、王族と認められることはないのだ。
もし、彼女がノベーラにいれば、婚約を公に認めた国王や父親である公爵、公爵家の血筋などがセレスティナの立場と名誉を守り、後ろ盾となって、そんな扱いはけして許さなかっただろう。
だが皇国にはそれがない。
駆け落ち、すなわち身一つで来てしまったセレスティナは、なんの権力も後ろ盾もないただの娘にすぎず、皇子や皇国人から粗略に扱われても、彼女自身の抗議以外に抵抗の術を持たないのだ。
そして身一つで来たため、セレスティナには皇子以外に頼れる存在がない。
ドレスも肌着も宝石も化粧品も、住む邸もちょっと散歩するだけの庭園も、日々の食事やデザートすら、第三皇子の財力と好意にすがらなければ得ることができないのだ。
ノベーラ屈指の名門の令嬢として育った彼女には、屈辱かもしれない。
かといってセレスティナには、もうノベーラに帰国する道も残されていなかった。
彼女の軽率に怒った国王や、頭と胸を痛めた公爵の合意のもと、ノベーラでは「レオポルド王太子の婚約者にしてデラクルス公爵令嬢セレスティナは不慮の事故により、若くして急死」と大々的に公表され、盛大な葬儀があげられていた。
これは単に、デラクルス公爵令嬢の愚行や、王太子に貼られた『寝取られた男』『捨てられた男』という不名誉を隠すための工作というだけではない。
今後、仮にどれほどデラクルス公爵令嬢に似た人物がその名を名乗っても、絶対に本人とは認めない。そういう意思表示なのである。
たとえセレスティナがどれほど悔い改めてノベーラに戻ったとしても、公爵家も王宮も彼女を受け容れることはないのだ。
そして第三皇子をはじめとする皇国側も、その事実を理解している。ゆえに、セレスティナがどれほど第三皇子を非難しても、彼らはただ右から左に聞き流すだろう。今の彼女は無力な一介の外国人にすぎないのだから。
(第三皇子に見初められ、彼と共に皇国に引っ越して、第三皇子に溺愛されつづける…………と見れば、漫画どおりの筋書きではあるんだろうけど…………)
セレスティナは、これからどう動くのだろう。
あきらめて愛人の立場に甘んずるか、それとも別の都合のいい男に乗り換えるか。
あるいは正妻から皇子妃の座を奪おうと画策するかもしれないし、ひょっとしたら男とこの世に愛想を尽かして、神殿に入るかもしれない。
「ヒーローと世界に愛される主人公だもの。突然チートな能力が覚醒したり、聖獣とかの別のチートヒーローに溺愛されて、ノベーラや帝国を乗っ取り…………なんてことは…………」
ない…………と断言できないのが、つらいところだ。
教皇庁の日当たりの良い美しい庭園で。
「はああ」と、日ざしとは対照的な暗い重いため息と共に肩を落とすと、近づいてくる足音があった。若々しい声。
「大きなため息だね、悩み事かい?」
教皇だった。
私、アリシア・ソルの見合い相手だ。
聖女位授与のあと、私は神聖帝国側にひきとめられ、彼との縁談を勧められていた(こちらの世界では、教皇も条件付きで結婚が認められている)。
どうも帝国側としては、はじめからそのつもりだったふしがある。
神聖帝国はその名のとおり、この世界での宗教面での総本山的立ち位置。
教皇は天の神の地上における代理人にして、神権の象徴なのだが、ここ数十年、教皇の権威や帝国の威信は失墜の一途をたどっている。
たとえば、ある王が教義で禁じられている離婚を強行、瑕疵のない王妃を王宮から追放して新たな女性と再婚したため、神の教えにのっとって教皇が王に破門を宣言すれば、王は「今の教皇になんの力がある」と笑い飛ばした挙句、再婚の認知を求めて多額の寄付を寄越してきた。
ここで「いくら金を積まれようと破門は解かない」と突っぱねていたら格好良かったのだが、帝国側は屈辱の悔し涙と共にそれを受けとり、再婚を認めた。
それほど帝国と教皇の権威は失墜、国力も衰え、経済は破綻しかかっていたのだ。
そんな時に、ノベーラ王国に現れた聖女に関する報告がもたらされる。
身分にとらわれず、自国の騎士に罵られても敵味方の区別なく患者を癒すアリシア・ソルという少女は、間違いなく稀有な聖魔法の才能を有し、しかもそれを惜しみなく人々に揮って国中の民の尊崇をうけている。
この少女を帝国に呼び寄せることができれば、少女の力を求めて国内外から人が集まり、帝国の権威をよみがえらせる起爆剤となるだろう。
そのための教皇との結婚であり、つまりは純然たる政略結婚の申し込みだった。
おかげで教皇庁に滞在する私のもとには毎日毎日、入れ代わり立ち代わり帝国の要人が訪れては私を説得して、ノベーラに帰りたくても帰れない。
当の教皇猊下は、どう考えているのだろう。
思いきって訊ねてみると、
「帝国の再興は大切だけれど、そのために無関係な外国人であるアリシア嬢を犠牲にしたいとは思わないよ。帰りたければ、遠慮なくそう言ってほしいな。僕が責任もって帰すと約束しよう」
それが二十歳の教皇猊下の返答だった。
私はちょっと意外に感じる。
同時に、彼の立場の弱さを思った。
教皇といえば聞こえはいいが、現実の彼は周囲の様々な思惑によって選び出された傀儡だ。実質的に帝国を動かすのは大神官達であり、彼自身は見栄えがするだけのお飾りにすぎない。
せめてアリシアのようにチート能力の一つもあれば、もっと発言力も持てただろうが、チートも実績もない今の彼が上層部に逆らえば、一気に立場も命も危うくなるだろう。
「――――猊下」
私は試してみた。
「私に前世の記憶がある、と言ったら、どうしますか?」
私は語ってみた。私がノベーラの王立学園の入学式を迎えて以来、定期的に見てきた異世界の人生の夢を。
「こんなおかしなことを真剣に信じる女を、妻に迎えられますか?」
迎えるしかないだろう。上層部の決定なのだから。
どんな奇妙な女でも、帝国のため威信回復のため、結婚する他ない。
ただ、実際に結婚する教皇自身は、不満と鬱憤を山ほど抱えるに違いない。
そう、予想したのだが。
「世界には、何万何十万という人間がいるのだから、一人や二人は、そういう人がいても不思議ではないよ。みな同じほうが、確率的にも不自然だ」
それが教皇の答えだった。
「教皇と呼ばれようと、僕もしょせんはただの人間の一人。神の創造した、この世界の万象を知っているわけではない。アリシア嬢は僕の知らない事柄の一つだった、それだけのことだ。ただ…………」
教皇の手が私の手をとる。
「許されるなら、僕はもっと貴女を知っていきたい」
それが彼の、若き教皇エドガルド・オルティスの求婚の言葉だった。
私は受け容れた。
悪役令嬢セレスティナの反撃と、ゲームのヒロイン・アリシアの悲惨な未来が、どれだけ回避できたか。自信が持てなかったせいもある。
だがそれ以上に、私は力がほしかった。
断片的に思い出した前世の記憶の中で、私は大学で学ぶ学生だった。
卒業したら将来は貧しい国に赴き、そこで学校を建てたり、食糧生産の技術の改良を手伝ったり、汚れた水を飲むしかない人々にきれいな水を得られる設備や技術を伝える、そんな生き方をしたいと願っていた。
卒業前に事故死してその夢は断たれたが、転生したことで、新たな世界でその夢の一端を叶えることができた。
今の私はたんに断罪エンドを回避するためだけでなく、この世界のまだ困っている人々を一人でも多く助けるために、力がほしい。
聖女の地位や教皇との結婚は、そのためにおおいに役立つはずだ。
まあ打算といえばそれまでだか、ノベーラの将来のこともある。
今後、あの国に帰れるかは不明だが、ノベーラと皇国の間には急激に暗雲が立ち込めている。
ラウラからの手紙によれば、ノベーラ王太子レオポルドは、強奪された愛する婚約者をとり戻すため、皇国への侵攻を強く主張しているそうだ。
折り悪く、ノベーラ国王は体調不良がつづいている。
もし、ノベーラの実権が王太子に移って皇国との戦端が開かれれば、以前の隣国との小競り合いとは比べものにならぬ被害が生まれるはずだ。
私自身はレオポルドに敵対視され、彼に話を聞いてもらえるどころか、逆効果になる可能性すらある。
であれば教皇や帝国と協力関係を結び、彼らの権威を復活させて、戦争回避の機会をうかがおう。
私は彼の、教皇の手をにぎりかえす。
この選択が未来の展開に、どう影響するか。
漫画の知識がろくにない私には判断が下せない。
ただ教皇の手はあたたかく、まなざしは吸い込まれるように優しくて、私はずっと歩きつづけてきた暗闇の中でようやく、小さいけれど光を得た気持ちになった。
そうして私、アリシア・ソルは教皇エドガルド二世と結婚し、歴史書には『聖女にして教皇の妻、アリシア・ソル』と記される。
この結末が、どれだけ漫画本来の筋書きから外れることができていたのか。
私に知る術はない。