2話: 婚姻という名の呪術
この物語はフィクションです。
これ重要。
横須賀の中心に鎮座する小さな山。
六月の強まり始めた太陽の光を、立ち並ぶ木々が遮る山道。
その山道を、葵と千夏が並んで歩いている。
「千夏、体調はどうだ?」
「うん、まだ何とも」
暖かくなったため、既に二人は夏服。
葵は開襟のカッタ―シャツにスラックスという一般的な学生服で、千夏も白のセ―ラ―服とメジャ―なものだ。
「ところで、なんであんな言い方をした?」
葵は不機嫌さを隠さず千夏に声をかける。
あんな言い方とはもちろん、先ほどの “葵の嫁” 宣言の事だ。
その発言の影響は大きく、上を下への破滅的な騒ぎに発展。
教室にいた者が二人に詰め寄り、その騒ぎに気づいた他クラスの面々も参加。
その結果、もともとその場にいた者と追加で入って来た生徒が事情のやり取りを始めることになり、逆に注意が逸れたタイミングを狙って、二人は隠形を使って逃げてきた……という状況だ。
「なんでって、事実だし」
「そう、ただの事実婚だろ。結婚届を出して、姓を変える法的な結婚とは違う。大昔の風習に則った婚姻の儀式を交わしただけの仲だ。あんな言い方をしたら、そりゃ騒ぎにもなるだろ……」
はぁと大きなため息を吐きつつ、呆れる葵。
表情に「心底疲れた」という心中をまざまざと表している。
「さっきははうまいこと逃げてきたけど、来週からどうすんだよ……」
「でもあの時嘘をついていたら、私たちの関係はあやふやなものになってたよ?」
対する千夏はどこか楽し気に、右手の人差し指をピンと立てて応えた。
「名前も、形も、縁も、すべては呪。どんな形であれ、婚姻の儀を結んだという事実と、お互いがそれを認めているという認識があれば、私たちは呪的に夫婦関係となり、葵はかの滋岡の力を得る……でしょ?」
言って千夏は、勝ち誇ったように片目をつむって見せる。
そう。葵はつい先日、千夏と “三日夜餅” ……平安時代における婚姻の儀を交わしていた。
故にその時代基準では、二人は夫婦ということになる。
当然現代においては何の効力も無く、その行為は児戯に等しい。
しかし当事者が認める限り、二人が夫婦である真実は一つの呪として存在する。
葵にとってその真実は、目的のために必要なものだ。
だからこそ葵自身、どれだけ面倒なゴシップにさらされようがそれを否定することが許されない。嘘をつく行為もタブ―だ。
「……嘘はつかずとも、いくらでもはぐらかしようはあっただろ」
痛いところを指摘され、葵は苦し紛れに言い訳を試みる。
「へぇ。葵、そんな小器用にごまかす自信あったんだ?」
「それは……。そもそも言わなくていいことだ」
「今後は学校でも一緒に行動する時間が増えるんだから、事前にああ言っといた方がむしろ動きやすくない? 陰で変な噂が独り歩きするより、思わせぶりな事言って誘導する方が、こっちも受け答えをテンプレ化できるし」
「……」
しかしそれも、千夏の正論パンチに殴り倒され、葵は納得せざるを得なかった。
「そもそも葵は、友達付き合いが下手すぎ。だからみんなに敵視されるんだよ」
先程より少し真面目な表情になった千夏は、強く言い聞かせるような口調で、話題を小言へと転換する。
――そりゃ、お前に比べりゃ仏頂面だろうけども……。
決しておざなりな態度を取っているつもりはないのだが、嫌われることなく、かつ仲良くなり過ぎないようにするなどと、そんな器用な芸当ができるほど葵は器用ではない。
「努力はしてるんだけどな」
「まだまだ、愛想がなさすぎ。時間を取れないにしても、もうちょっと受け答えを工夫すれば、多少印象はよくなって……まあ、うん……」
しかしその語調は次第に力を無くしていき、「でもなあ……」と付け加えるころには、千夏はうつむいて悲しみの微笑を湛えていた。
「葵だって、我慢せず遊びに行きたいよね……。そもそも葵は一般人。旧家の出身でもなければ呪術師でもなかったあなたに、こんな立場に身を置く義務なんて無かったはずなのに」
そう、二人は呪術師。
今となっては物語上の存在としか思われていない、陰の職業。
千夏はそんな呪術師の超名門の家系であるが、葵自身は何の変哲もない一般家系出身の人間だ。
旧家主義の風習が根強く残る呪術師の世界に、自らの意思で身を置く葵。
そんな葵を、千夏はいつも気にかけてくる。
「それは言っても仕方のないことだろ。もう俺たちには時間がない。あと一か月残っているかどうか」
「そうだね、ごめん」
「…………」
「…………」
生まれてしまった気まずい沈黙。
ざぁざぁざぁ……。
そのせいで、今まで気にしていなかった木々の葉音が嫌に耳につく。
いつしか道は、舗装された道路から石畳の山道へ変わり、高く伸びた木々はうっそうとその枝を広げ、影が二人を覆った。
――ああくそっ。
葵はイライラするようにくしゃっと髪をかきあげると、妙な空気を打ち破るために話題を絞りだす。
「そういえば千夏、お前の巫女姿がクラスの連中にばれてたぞ」
千夏も沈黙が辛かったのか、葵の気遣いに乗じて、話を盛り上げようと顔を上げた。
「みたいなんだよねえ。あの時ちょうど青果屋のおばあちゃん来てたから、隠れられなかった」
「今日確かめに来るとか言ってたぞ」
「まあ、今更ばれてどうこうってことはないでしょ。なるようになるって」
そう言って「だいじょぶだいじょぶ」と手をひらひらとさせる千夏。
歩いていた石畳の坂道は階段へと変わり、さらに上へ。
その階段を昇りきったところに、高さ五メ―トル程の石造りの鳥居が現れた。
神域を隔て、不浄を妨げるという神社の玄関口。
その鳥居をくぐった先には、二人には見慣れた境内の景色が広がる。
敷かれた白い玉砂利を貫く石畳の参道、小さいが慎ましくはない御社殿、住居を兼ねた社務所。
川人神宮。
それが、山の木々に囲まれたこの神社の名前である。
表向きには神社本庁にも所属しておらず、知名度も極めて低い。
――神社とは神を祀る施設。そこに、本来祭神とは成り得ない滋岡川人を無理やり祀り上げることで、擬似的に神へと昇華させる。神の眷族となるための、滋岡家最大の負の遺産……か。
足を止め境内を眺めながら、葵は独りごちた。
川人神宮などという赤面するほどあからさまな名称も、この神社そのものを一つの呪術として成立させるためのものだと聞いている。
とんでもない冒涜だなと、葵ははぁと息をついて、玉砂利をザクザクと踏み鳴らし社務所の方へ向かった。
その時である、
「葵さま! 葵さま!」
幼い子供のような声が境内に響いた。
同時に、タタッタタッという軽快で奇妙なリズムの足音が葵の耳に届く。
葵が音の方に目を向けると、そこには石畳を颯爽と駆ける黒い形影があった。
“黒い” というのは、別に比喩でもなんでもない。
それは頭から尾の先まで炭のように真っ黒な毛に覆われた、大型犬程度の大きさの黒い犬なのだ。
ただし一か所、虹彩にいたるまで陶器のように真っ白な瞳だけが、真っ黒な全身の中で異彩を放っている。
そんな犬が、喜び勇んで駆け寄って来る……その光景自体に特段不可思議な点はない。
しかし驚くべきは、その犬の口から人の言葉が発せられたことだ。
「葵さま! こいつ僕が捕まえたんです! 見てください!」
そう話す犬の口には、小柄な赤毛の狐、その首根っこが咥えられていた。
力なくずるずると引きずられているが、まだ息はあるようで、僅かに耳をぴくりと動かしている。
そして黒犬は口がふさがっているにもかかわらず、実に流暢に言葉を発していた。
まるで、口ではなく体全体から声を発しているかのように。
しかしその様子を見ても、葵は特段驚いた表情は見せず、まるで幼い弟が帰りを出迎えてくれたかのような平静ぶりだ。
しかし、咥えられた狐に気づいた瞬間、急に表情を引き締め叫ぶ。
「やめろ笹目! そいつを今すぐ離せ!」
「えっ」
突然の指示に、ビクッと体を震わせ動きを止める犬……笹目。
しかし驚きのためか、葵の指示に従うことはなく狐を咥えたまま放さない。
それがまずかったのだろう。
チャンスを察したかのように、突然その狐はがばっと身を捩り、暴れ始めた。
「うわぁ!」
驚いて狐を取り落とす笹目。
しかしもう遅い。
いつの間にかその狐は大型バイクほどの大きさに巨大化しており、体は血液のようなどす黒い赤色に染まり、輪郭が溶けるようにどろどろと崩れ始めた。
その溶けた体が笹目を掴み、まとわりつき、侵食していく。
「やだ! 助けて!」
笹目は叫びながら、拘束を振りほどこうと懸命にもがく。
しかし、今や泥となった狐は笹目にまとわりつき、ずぶずぶと沼にはまるようにその姿が見えなくなっていく。
「くそっ。笹目のやつ慿かれるぞ。 千夏!」
「わかってる!」
明らかに危険な状態の笹目。
その様子を見た葵は一声叫ぶと、カバンを放り笹目の方へ走り出しながら、ぶつぶつと謎の呪文を口にする。
「我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば穢れは在らじ。阿那清々し。阿那清々し」
そう唱え終えた葵は、ずざっと足でブレ―キをかけ、泥の狐の眼前で立ち止まる。
そして、ロウソクの火を消すように強く短く、ふっと息を吹いた。
ゾアッ!
その息は当然、狐に届くはずはない。
しかし狐の体は、突風に吹かれたかのように激しく波打ち、メリメリと笹目から剥がれ、そのまま弾き飛ばされた。
同時に、泥の姿から元の狐の形に戻る。
「妙法蓮華経序品第一」
その間に、千夏も別の術を準備していた。
呪文を唱えながら、空中に何か書くように指を走らせると、その軌跡を追って墨文字のように黒い文字が浮かび上がる。
"妙" という一字に、句点のような一画を足した九画の文字。
その妙な字はぎゅるりと歪み、再度形を作り、最終的に黒い刀へと姿を変えた。
千夏の身長の倍はあろうかという、長大な太刀。
千夏はそれをひっつかむと、スカ―トをはためかせ、狐に向かって走り出す。
お世辞にも体格がいいとは言えない千夏。
しかし異様なほど軽々と刀を振り上げ、肉薄し、赤毛の生えたその首を一振りのもとに切り落とした。
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《次回》
「千夏 VS 佐々木」
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