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9.今夜20時、庭園の端で


 仕事を終えた19時半。もう王太子夫妻は二人の時間だ。夜と言ってもまだ早い時間だが、長時間の移動で体力を消耗しただろうという事で早めの食事と入浴となったのだ。きっと今頃は二人で晩酌をしている事だろう。


 ティナは与えられた部屋で一人息をつく。マリアとの二人部屋なのだが、マリアは今入浴中。耳をよく澄ますと鼻歌が聞こえてくるので余程気持ちが良いに違いない。ティナはマリアの鼻歌をBGMにしながら身支度をした。

 身支度と言っても服は昼間と変わらぬ服で行くので、皺やゴミが付いていないか確認するだけ。部屋にある全身鏡の前でくるりと回り、だらしなく無いか確認をする。ついでに少し乱れていた髪を結い直した。


(何だかソワソワしてるわ)


 前髪をちょいちょいといじっていたが、鏡に映った自分が少し口角を上げている事に気付き、ピタと動きを止める。


「はぁ……」


 これじゃデート前みたいじゃないか。少し浮かれている自分に喝を入れる為に両頬をパチンと叩いた。


 結婚もしたくないし、過ちの相手と関係を続けるのは嫌だから避け続けていたのに、何で今更浮かれているのか。自分の意思をしっかりと保たせる為でもあった喝は意外と痛かった。


 少し赤くなった頬を冷めた目で見る。

 瞬きもせず、ぼーっと鏡の中を見ていれば居ない筈のオイゲンが浮かぶ。


「何で私なんかに」


 ぽつりと溢れた声に感情は乗っていない。哀愁も怒りも困惑も喜びもない声は鏡に吸い込まれた様に凪っていく。


 何故、何度も浮かぶ言葉はぐるぐるとティナの頭を回り、それ以外考えられなくなる。

 ほぼ初対面だったのに好意を持たれる事が謎だった。体の相性が良かった?だとしたら加齢と共にそういう行為が無くなれば愛もなくなるのだろうか。そもそも何故女子寮にいたの?彼女は?二股?遊び?それとも罰ゲーム?


 考えれば考える程混乱する頭を整える様にティナは首を左右に振る。


(それもこれも今日聞けば良い事!今一人で考えたって答えは出ない!)


 ふぅ、と息を吐き、ティナは拳に力を込めた。


「よし!」


 ティナはそう決意するとバスルームに居るマリアに声を掛けた。


「マリア!ちょっと出てくる!」

「わかった〜〜!」


 広いバスルームから響く返事に『のぼせない様にね』と念の為伝え、部屋を出る。

 その瞳は闘志に燃えていた。


(今日、決着をつけてやる!)


 ズンズンと伯爵家の使用人達が多く居る廊下を行く。

 時計は19:50。ちょうどいい頃合いだ。ティナは礼をしてくる使用人達に同じく礼を返しながら約束の場所を目指した。



「あ」


 約束の5分前に庭園の端付近に着いたティナは約束の場所に既にある人影を見つけた。

 背中からでも分かるがっしりとした体に、夜に溶ける黒髪。塀代わりの花壇に腰掛け、少し背中を丸めている姿にピタリと足を止める。

 空を見上げる、その斜め後ろから見える僅かな横顔に心が奪われた。


 だがそれも長くは続かず、ティナに気付いたオイゲンが声をかけてきた。


「よお」


 オイゲンはその場から立ち上がらず、片手を上げる。


「どうも」


 ティナもその花壇に横並びで腰掛けた。横から強い視線を感じ、チラリと見る。黒みがかった碧眼が月夜に照らされ光った様な気がし、背中にぞくりとした感覚が走った。防衛反応からティナは拳2個分横へズレる。


 この男、いつ盛るか分からない。


「で、話とはなんでしょうか」

「結婚の事だ」


 分かりきっていた事だが、がくりとティナは肩を落とした。


「うんうん、そうだと思ってたけど、本当にそうだと分かると逆に驚いちゃう」

「いつ結婚する」

「いやいやいや、結婚する前提で話するわけ?違うでしょ!わたし断ったし!結婚しないよ?しないからね!」


 ティナは身振り手振りで話をするが、オイゲンはそれを楽しそうに見ているだけ。意味が分からず、ティナは頭を抱えた。


「お前はいつも楽しそうだな」

「………私から見たら貴方の方が楽しそうよ」


 腹の底から出る声は地声よりも随分低い。そんな声さえもオイゲンは満足そうに聞いていた。ティナは馬鹿馬鹿しくなり体勢を戻すとふぅと息を吐く。

 そして今まで気になっていた事を口にした。


「結婚はとりあえず置いといてさ。何であの日、女子寮に居たの?」


 ティナの問いにオイゲンは目を丸くする。


「へべれけなお前が心配で後ろをついていった」


 予想外の答えにティナはぎょっとした後、声を荒げた。


「それは犯罪よね!」

「いや、犯罪じゃないだろ。だってあんな酔っ払った女なんか襲えって言ってるもんだろ。心配すぎるだろ、何かあったらどうすんだよ。しかも女だけであんな大人数、危険すぎるだろうが」

「いやいやいやいや!今まで大丈夫だったから!しかも貴方が襲ったからね!私を!」

「それは結果論だ。後悔はしていない。それにお前はあの酒場から男共の視線がどんだけ凄かったか知らないだろう?」

「知らないけど結果襲ったのは貴方だった!」

「しょうがねぇだろ。ずっと好きだったんだよ、お前が。あんな無防備な甘えた顔されちゃあタガが外れるわ」


 前触れも無く告げられた好意にティナの中で時が止まる。

 いや、好きなんだろうなとは思っていたけどあの夜より前からとは正直予想外。ストーカー行為を責め立てたいのに『好き』という言葉で全て吹っ飛んだ。


「え、好き?体からそう思ったんじゃ無くて?前から?」


 困惑のまま、そう言えばオイゲンは力強く頷いた。


「好きだから抱いたし、結婚したいと思ってるんだろうが」

「……はあ」


 ティナの口から気のない声が漏れる。


「なんで、いつ」


 思考を通さず、言葉が途切れ途切れ出てきた。ティナの問い掛けにオイゲンは少し笑った。それがどういう笑いなのか、ティナには分からなかったが自分を笑っている訳ではない事は分かった。


「2年くらい前から気にはなっていたな」

「にねんまえ。でもはなしたこと、ない」

「仕事であるわ。まあ、お前は仕事中は堅物だし覚えてないのはしょうがないか」

「かたぶつ」

「お前は仕事とプライベートのギャップが凄すぎるんだよ」

「ぎゃっぷ……すごい」


 オイゲンはティナの問い掛けに悩む事なく答える。一つ一つの言葉にティナは驚きを大きくし、瞳を丸くさせていく。返事もオイゲンの言葉をただ繰り返すだけだった。無となっていく頭に感情も追い付かず、からくり人形の様になっていく。


 真っ直ぐにティナを見つめるオイゲンの瞳には嘘など見えなかった。だが、ティナへの熱は隠しもしていないのかはっきりと見える。オイゲンは瞳に熱を孕ませたまま、言葉を続けた。


「お前に落ちたのも同僚と街で買い物しているのを見た時だった。あんな顔で笑うのかとびっくりした」


 当時を思い出しているのか、柔らかく笑うオイゲン。その姿にティナは胸が高鳴った。予期していなかった自分の反応にぐっと胸を掴む。


 なんだ。普通に自分の事が好きだったのか。始まりがアレだったから変な警戒をしていたが、普通に好きだったのか。彼は普通に気持ちを伝えていただけなのか。そう、彼は自分が好き、結婚したい程に。


 そう思ったら一気に顔が上気していくのが分かった。


 いや、何だか変に恥ずかしい。今までの態度も、今の状況も。変に勘違いをしてプンプン避けて、でも今は隣に座って話をして。


(あーあーあー!恥ずかしい恥ずかしい!)


 暗闇でも分かる真っ赤な顔をしたティナはあわあわと口を開いたまま、オイゲンを見ていた。視線が逸らせず、驚きと困惑と恥ずかしさでどうしたら良いのかもうよく分からない。表情筋が顔面をくるくると変えていく。それはティナの意思を尊重している様でしていなかった。


 そんなティナの年齢よりも幼い表情にオイゲンは破顔した。オイゲンはティナのこういう表情が好きで堪らないのだ。彼は堪えきれない感情を抑える事もせず、そっとティナの頬に手を添えた。


「キスしていいか」


 笑ったまま問われた声に、ティナの思考は停止する。目をこれでもかと見開き、オイゲンの瞳を見れば頬を包んでいる指がさわりと動く。それに思わず小さく震えてしまった。その震えを感じ取った強い眼光が優しくティナを射抜く。呼吸さえも止めていた事に気付き、ゆっくりと息を吸い込んだ。


「だ」

「するぞ」

「まっ」


 制止も効かず、伸ばした両手は片手で纏められ、唇を奪われる。抵抗の為に開いた口からぬるりと侵入した舌が口内を貪り、ティナの舌を甘やかす様に撫でた。何度も全てを味わう様に角度を変えられ、暴かれる快感に思考がとろりと溶け出す。両手の拘束はいつの間にか外れており、オイゲンの分厚い掌がティナを慰める様に背中を撫でた。熱い、熱い熱が服越しに伝わり体が何かを期待してピクリと跳ねる。その瞬間、名残惜しそうに唇が離れていった。


「やばいな」


 情欲を宿したままの瞳が至近距離でそう言った。お互いの呼吸が肌に触れる。そんな距離のままオイゲンは愛を囁いた。


「ティナ、好きだ」


 あの夜を思い出させる声に段々と意識を浮上させていくティナ。


「王都に帰ったら」


 そうオイゲンが口を開いた瞬間、ティナは自分の頭を大きく引いた。


―――ガンッ


 辺りに鈍い音が響き、暗闇の中で影が一つ頭を抱えて蹲る。もう一つの影は肩を上下させ、額を抑えていた。


 侯爵令嬢とは思えぬ頭突きをかましたティナは蹲るオイゲンなど置き去りにし、走って庭園を抜けていく。そして人影の少ない所をわざと抜け、力一杯叫んだ。


「チクショーーー!!!」


 真っ赤な顔に、汚い言葉。遠くで何処かの犬が鳴いた気がした。




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