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10.視察


 寝られなかった。


 ティナは虚な瞳で登る朝日をベッドの上から見ていた。布団を肩まで掛け、枕に頭を乗せている。寝る体勢は万全だったのだが、頭が眠る事を拒否した様に回転し寝れなかった。


 チュンチュンと鳥の囀りが聞こえる。鳥はどうやら起きたらしい。


(私は寝てないのに)


 鳥にさえも八つ当たりをし、ティナはむくりとベッドから起き上がった。どうせ今から寝ても仕方が無い。あと1時間程で起床時間だ。

 ティナはマリアを起こさない様に足音を立てずに部屋にある洗面所へ行く。ゆっくりとノブを回し、入って直ぐにある大きな鏡を見れば、充血とクマが酷い自分の顔があった。なんとなく肌のハリも無い気がする。


「酷い顔……」


 一晩にして老け込んだ顔を呆然と見ていたティナは大きな溜息を吐いた。


 一晩中頭を占拠していた昨晩の事。オイゲンは自分が好きだったから行為に及んだらしい。まあ、それはこの際どうでも良い。好きになってくれてありがとう。でもストーカー行為は良くないと思うよ。


(キス、した)


 そう、キスだ。昨晩のキス。あれは何だ。してもいいか?と聞いておいて返事もまたずにキスされた。

 盛られるのでは?と思ってはいたが本当に盛るとは思っていなかった。発情期じゃないんだからと声を大にして言いたい。


 ティナは無意識に唇に触れる。ふに、とした柔らかさを感じ、そのままなぞる様に指を滑らせた。


(あ、)


 脳裏に昨晩のオイゲンが蘇る。

 色気を醸す細められた瞳が近付き、ティナの視界が彼に染まった。嗅いだ事のある匂いに包まれ、知っているキスに体が動かなくなる。夜だからか彼の少し乱れた黒髪が頬を撫でた。


 そこまで思い出したところでティナは両頬をパンと叩く。


「駄目だ駄目だ駄目だ」


 真っ赤になった頬を確認し、ずるずると床へしゃがみ込むと、そのまま膝に顔を埋めた。


 好きと言う言葉と行動で流されそうになっている現状。ちょろい女だと自覚したくは無かったが、恐らく自分はちょろい。抱かれ、求婚され、告白され、キスをされた。これでもかという程の好意の示され方に正直ときめいている自分がいる。そして、それを必死に止める自分も。


 このまま流されたい気持ち半分、流されたくない気持ち半分。


「う〜〜〜」


 蹲ったまま、ティナは呻いた。取り敢えず、マリアが起きるまではこうしていよう。



 ティナは寝不足な顔を化粧で隠し、リリアナの側に立つ。今日はこの視察の目的でもある麦畑へ足を運んでいる。ティナはいつもと同じく優雅なリリアナの斜め後ろから日傘をさし、リリアナを日差しから守っていた。


 長く降り続いていた雨は終わり、今は熱い日差しが降り注ぐ。少し湿気の孕んだ風が髪を揺らし、生暖かい風が頬を撫でる。


 王太子夫妻は領主であるリシャールの説明を質問も交えながら聞き、畑の持ち主である領民へ労りと感謝の言葉を掛けていた。

 彼の所有する畑の麦の6割はもう出荷出来る状態ではなくなってしまったらしい。病気にかかった麦は既に刈り取られ、処分済みだと言う。確かに目の前に見える畑の麦はまばらだ。それでもあまり状態は良くない様に見える。恐らく普通であればB品扱いするものも今の状況ではA品扱いするしかないという事なのだろう。

 品質が下がっても生活するには出さざるを得ないという事に違いない。2年続いての不作。これは領民の生活、生死に直結する。


 サイラスは農業の知識に明るい為、領民に混じって畑の麦を見ていた。その顔はやはり厳しい。

 リリアナはそんなサイラスの横につき、分からないながらも頷いていた。



 麦畑の視察の次は昨年水害の被害が大きかった地区に行く。先程と同じくリシャールが案内をし、被害が拡大した原因を説明し始めた。

 この場所は川から近く、また堤防がほぼ無い。木々も殆ど無い為、何の障害もなく増水した川の水が畑や民家を襲ったのだろうという事だった。土地が若干低くなっているのも原因の一つらしい。


 これについては国の方で予算を組み、治水事業を行なっていく事が決まっている。業者はまだ入っていないが、遅くとも今年中には着工予定だ。


 王太子夫妻が被害に遭われた領民に声を掛けていく。声を掛けられた人は皆嬉しそうにしていた。見捨てられたとやさぐれた気持ちになっていた人々の心が今回の訪問によって『見捨てられていなかった』事に気付いたのだろう。サイラスやリリアナに手を取られると涙する人も居た。『ありがたい、ありがたい』と震えながら感謝をする人もいた。


 そんな光景を見ていて、ティナはこの訪問時に抱いた不安は杞憂だったのかもしれないと思い始めた。

 領主のリシャールもサイラスが幼い時に剣技を教えていた為か、気心知れている感じがする。領民達も行く先々で歓迎ムードだ。


(不満が募ってるって聞いたけどそんな酷くはないのかな)


 ティナは日傘を手にリリアナの背中越しに警備をする騎士達を見る。緩んでいるわけでは無いが、緊張感があるわけでも無い警備だ。


(あっ)


 強い視線を感じ、見ればティナとは大分離れた場所にオイゲンが居た。

 ティナも思わずオイゲンを見つめる。


(こうしてみるとかっこいいんだよなぁ)


 騎士服を着ていてもわかるがっしりとした体に切長の瞳、形の良い薄い唇。足が長くスタイルの良い頭身。


 モテるのもよく分かる見た目だ。


 お互い視線を逸らさずにいたが、ティナはふと違和感に襲われた。その違和感から咄嗟にオイゲンから視線を逸らす。


 見えたのはサイラスの斜め後ろから走ってくる帯刀した男だった。男は本来護衛の騎士がいた筈の場所から走って此方へ向かってくる。


「王太子覚悟!!!」


 その声は明らかにサイラスを狙っており、男は剣を振り上げた。瞬間、ティナは日傘を手にサイラスと男の間に走った。


 男の剣はティナが盾がわりにした日傘を斬り裂き、ティナの頬を掠る。ピッと軽い痛みが走り、思わず顔を歪めてしまった。


「ティナ!」


 リリアナがサイラスの腕を引きながらティナの名を呼ぶ。その声が聞いた事もない程焦っていた。


「クソっ!」


 男の悔しそうな声が聞こえたと思ったら、男が剣筋を変えた。斬り裂く動作から突く動きへ変えたのだ。顔を斬られた時に反射で身を引いていたが、それだけでは躱しきれなそうな動きにティナは顔面蒼白になる。

 死にたくはないのだ。

 だが、これはどう考えても躱しきれない。死にたく無い気持ちと諦めが混ざった時、突然目の前に迫った剣が空に打ち上げられた。


―――ザンッ


 空に上がった剣が地面に突き刺さる。ティナはボロボロになった日傘を手にしたまま、その剣を見た。


「離せ!離せ!俺は王太子を殺すんだ!!」


 その声にハッとして男を見れば、男は騎士数人に抑えつけられており、既に拘束されていた。

 呆然としたままその光景を見ていたティナにいつの間にやら近くに来ていたオイゲンが声を掛ける。


「大丈夫か!」


 ポカンとしたまま、ティナはオイゲンを見つめたまま固まった。恐らくオイゲンが男の剣を弾き飛ばしたのだろう。彼の手には剣が握られていた。


「ティナ、顔に怪我を」


 オイゲンは悔しそうに顔を歪めて、ティナの頬に手を添えた。


「ベルツ卿」

「何だ」

「ありがとうございます」


 オイゲンの体温に触れ、自分が生きている事を実感したティナは大きく息を吐いた。


「死ぬかと思いました」


 冗談ではなく死ぬかと思った。目の前に剣先が来た時はもう駄目だと思った。あと1秒遅かったら死んでいただろう。


 ティナのそんな心からの声にオイゲンは顔を歪めたまま、男を一瞥する。


「そんな事になっていたら、あいつも殺していた」


 冷たい声色で言われ、ティナは乾いた笑い声を出した。


「こんな事件の犯人を取り調べもなく殺しては駄目ですよ」


 仕事中な為、優しく言えばオイゲンはサイラスやリリアナが直ぐ近くにいるのにも関わらず舌打ちをした。それに驚いたティナはちらりと後方を見る。


 襲われたサイラスは騎士や側近達に囲まれていた。どうやら傷もなく無事の様だ。リリアナも不安な顔をしているが何も無さそうに見える。


「ティナ!」


 ティナの視線に気付いたリリアナが焦った顔でこちらに向かってきた。ティナは軽く腰を落とし、礼をする。

するとリリアナはそんなティナの手を取った。


「そんな礼しないで!あなた昔から無茶するとは思っていたけど、こんな事までするとは思ってなかったわ!ああ!顔に傷なんてつけて!跡に残らないかしら?いえ、残さないように処置させるわね!」

「で、殿下……ッ」

 

 グイグイくる勢いに押され気味となったティナだったが、リリアナがポロリと涙を溢した瞬間、頭が真っ白になった。


「ティナ、本当にありがとう……。サイラスを助けてくれて、ありがとう……ありがとう」


 ポロリポロリと涙を流すリリアナにティナも感極まってしまい、思わず涙腺が緩みそうになる。ふと見るとリリアナの肩を抱く様にサイラスが立っていた。


「ティナ嬢、私からも礼を言う。ありがとう」

「いえ、王太子殿下をお守りするのは臣下の務めですので」


 決壊しそうな涙腺を締め、ティナは臣下らしく礼をする。辺りにリリアナの啜り泣く声が響いた。




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