異譚16 最速撃破
悪い予兆というものは往々にして当たるものだと、春花は思っている。特に、野性の勘というものは馬鹿にならないとも思っている。
夜中に発生した異譚は星の魔法少女達が終わらせた。やはり、これといって強力な能力は有しておらず、異譚支配者にしてはあっさりと倒された。
だが、この異譚の厄介さは強さそのものには無い事を、対策軍は理解している。
これで終われば良いとは思うが、思いとは裏腹にそんな事は在り得ないと理性が主張している。
魔法少女達が家に帰り、翌日に備えて遅めの就寝に入る頃、春花だけは対策軍のアリスのプライベートルームに残っている。
沙友里には家に帰るように言われたけれど、連続的に異譚が続くのであれば即座に出撃出来るように対策軍に泊った方が効率的だ。
折角プライベートルームを用意して貰っているのだから、有効活用しなければ勿体無い。
アリスのプライベートルームにはキッチン、シャワー、トイレなど、生活に必要な物が完備されている。タンスには新品の着替えが入っており、冷蔵庫には軽食が入っている。とはいえ、飲み物や日持ちするものだけしか入っていない。
春花はシャワーを浴びた後、ベッドに横になる。
春花の魔力は膨大とは言え、無限にある訳では無い。休める時にしっかりと休んでおかないと魔力は回復しない。因みに、食事を摂るのも魔力回復にうってつけだ。
寝転がる春花のお腹の上に、チェシャ猫が座る。
チェシャ猫の顔をもみもみしながら、春花は眠くなるまでただただ寝転がる。
しばらくして、うとうととしてきた春花は、そのまま眠りについた。
夜は更け、やがて朝を迎える。
朝日が昇り、鳥達が囀る。緩やかに、しかし、温かな朝がやってくる。
そんな朝を、けたたましい警報が劈く。
「――ッ!!」
春花は跳び起き、そのまま『Drink Me』と書かれた小瓶の中の液体を飲み干す。
たちまち春花はアリスへと変身し、そのままプライベートルームを跳び出す。
「チェシャ猫は沙友里さんに私が出撃って伝えて」
「キヒヒ。了解だよ、アリス」
肩の上に乗っていたチェシャ猫の姿が消える。
廊下を走るアリスの真ん前に在る窓が独りでに開く。
開いた窓から跳び出したアリスはそのまま空を飛んで魔力反応の在る方向へと飛ぶ。明確な位置は分からないけれど、魔力反応の強い方向へと向かえばいずれ異譚にたどり着く。
高速で飛翔し、十分もしない内に異譚へと辿り着いたアリスは、上空から異譚へと侵入する。
上空から侵入すれば、鬱蒼とした密林が一面に広がる。
空を飛べるのだから、毎回空から入れば良いとは思うけれど、空には障害物がない。漁港の異譚の時のように視線だけで相手を殺せる異譚支配者にとってはかっこうの的である。
異譚支配者の能力が分からない内は、空を飛んで偵察など自殺行為だ。
だが、今回の異譚支配者に至っては問題無い。何せ、一撃必殺も持っていなければ、長距離攻撃も出来ないのだから。
加えて、異譚支配者の場所は上空からであれば即座に特定できるのだ。
「居た」
木々犇めく密林の中、不自然に空いた美麗なスペースに咲く巨大な一輪の花。
致命の剣列を展開して、一気に降下する。
アリスの接近に気付いた異譚支配者は浮島を動かしてアリスの進路を妨害する。
アリスは焦った様子も無く、勢いを殺す事無く降下する。
背後に展開する半透明の剣の一本が実体化し、アリスの手に収まる。
細身の美しい意匠の施された細剣。
降下しながら、アリスは細剣を勢いよく突き出す。
実体の無い刺突が一直線に放たれ、直線上に在る全てを貫く。
浮島を貫通し、異譚支配者を劈く。
全てを貫く致命の一撃に障害物など意味をなさない。
異譚支配者の痛みに声を絶叫を上げる。
即座に、アリスは刃の潰れた肉厚な刀身を持つ大剣を実体化させる。
浮島と接触するその瞬間、刃の潰れた大剣を振る。
大剣が触れた浮島は即座に粉砕され、まるで打ち返されたボールのように崩れた浮島が地面に落ちる。
砕かれた浮島のその先に、アリスを睨む異譚支配者の姿が。
アリスに向けて放たれる幾つもの蔦。それを、アリスは華麗な身のこなしで躱す。
躱しながら実体化させたのは、轟々と燃え盛る炎の剣。
超速で肉薄。そして、目にも止まらぬ速度で剣は振り抜かれた。
炎の剣で斬り捨てられた異譚支配者の身体が瞬く間に炎に包まれる。
こうして、四度目の密林の異譚は終わりを迎えた。因みに、過去最速での異譚攻略となったけれど、アリスにとってはどうでも良い事だった。
アリスは事後処理を他の魔法少女に任せて異譚を後にした。
いったん対策軍に戻った後、変身を解いて制服に着替えてから学校へと向かった。
最速で終わらせた事もあってか、ギリギリなんとか遅刻をせずに済んだ。
ホームルームが終わり、授業前の休み時間。クラス内は騒然としていた。
「アリス単独撃破だって!」
「しかも過去最速でしょ? 凄いよね~」
「でも、昨日の異譚と同じだったんだろ? 慣れたんじゃね?」
「慣れたって言っても昨日の今日でしょ? それに、昨日のは出撃一回だけだったし、異譚支配者倒したのだってアリスじゃないよ」
言いながら一人の少女が対策軍の公式ホームページを見せる。
「でた、アリスの証明写真」
「そっちじゃない! 下! 昨日の異譚の出撃名簿と功労者発表されてるでしょ!」
証明写真と聞こえ、少しだけムッとする春花を見て、チェシャ猫がにんまりと笑う。
わいわいがやがや。楽しそうにお喋りに勤しむクラスメイト達。
アリスが過去最速で異譚を終わらせた事は、早い段階でネットニュースにも取り上げられているので大体の人が知っている。
そしてそれは、魔法少女達も例外ではない。
ぶっすーっと面白くなさそうな顔で携帯端末を見る朱里。
「あの子、対策軍に泊ってたんだって」
「知ってる。聞いたわよ。……っんとうに馬鹿なんだから」
「ば、馬鹿じゃ無いよ! あ、アリスは献身的なんだよ!」
みのりの言葉を聞いた朱里は乱暴に席を立つ。
そこそこ大きな音がしたためか、クラス中が静まり返る。
「アイツが献身的だなんて、二度と口にしないで」
至極不機嫌そうな顔で言って、朱里は教室を後にした。
「わ、わたし、なにか気に障るような事言ったかな……?」
涙目のみのりが白奈に問えば、白奈は困ったように首を横に振る。
「さぁ、分からないわ。ただ、あの子が一番アリスとは長いから、思う所はあるんじゃないの?」
「キヒヒ。そうさ。ロデスコは気難しいんだ。あれだよ、拗らせオタクって奴さ」
「それは、違うと思うけど……」
突如現れたチェシャ猫に、白奈が苦笑を浮かべて返す。
アリスとロデスコは一月ほどしか経歴に差が無い。殆ど一緒に、アリスとロデスコは戦い抜いて来た。
一番長く見ている。アリスの事を。
一番良く知っている。アリスの悪い所を。
苛立った様子で廊下を歩き、自販機でジュースを買って一気に飲み干す。ゴミを乱暴にゴミ箱に捨て、吐き捨てるようにこぼす。
「……異譚しか無いのよ、アイツには!」
自分は人を見る目は在る方だと、朱里は思っている。
人の行動を見れば、ある程度どんな事が好きでどんな物が好きなのか、どんな事が嫌いでどんな物が嫌いなのかをなんとなく知る事が出来る。
笑良であればオシャレが好きなのは見て分かる。爪や肌の手入れ、持っている小物。どれも人気で可愛らしいものだ。
菓子谷姉妹であればお菓子が好きなのが分かる。いつも何かしらお菓子を食べている。それに、よくみのりや詩を誘ってケーキを食べに行っているの見ている。
白奈もみのりも人並みにオシャレに気を遣っているし、二人がアリスを好きな事も知っている。
話をしているから当然、童話の皆の趣味趣向も知っている。
その朱里から見て、アリスにはあまりに何も無さ過ぎた。
趣味も、趣向も、何もかもが見えない。話をしても深掘り出来ない。白を切っている訳では無く、いつだってその話題に熱を持っていないのだ。
良くも悪くもまっさらなアリスには、異譚しか向き合うものが無いのだ。
その事実に気付くのに、そう時間は要らなかった。
そんなアリスを、献身的だと朱里は思わない。削る生活を持っていないのだ。アリスにとっては生活を異譚のために費やすのが当たり前の事なのだ。
それが、朱里は心底気に食わない。それを美談だと思う事も、心底気に食わない。
異譚以外に何も持たないアリスを、朱里は絶対に褒めたりしない。それは絶対に、正しい事ではないのだから。
まぁ、朱里にとってって話です。異論は認めます。




