異譚13 作意
密林の異譚から帰還した四人がカフェテリアに戻る。
「皆、お疲れ様だ。ゆっくり休んでくれ」
戻って来た四人を沙友里が労う。
「さ、ゆ、ゆっくり休んで! 沙友里さんがお菓子とか買ってきてくれたから!」
てきぱきとお菓子やら飲み物を用意するみのり。
「わ~、お菓子~!」
餡子は嬉しそうに笑ってソファに座り、笑良は戻って来たばかりにも関わらずみのりを手伝いだす。
珠緒は朱里に止めを奪われたのが面白くないのか、ぶすっとした顔で無言でソファに座る。
対して、朱里はと言うと神妙な面持ちを崩さないまま、アリスの隣に座る詩を持ち上げる。
「……なに……?」
詩の問いに答えもせず、朱里は詩を運ぶ。どこぞの伸びる猫のようにだらーんと手足を伸ばした詩はされるがままに移動させられ、最終的に瑠奈莉愛の隣に座らされる。
詩を別のソファに座らせた後、乱暴にどかっとアリスの隣に座った朱里は、アリスが手に持っていた飲み物を奪い取ってぐいっと一気に呷る。
グラスだけアリスに返した後、朱里はアリスに問う。
「終わりだと思う?」
「さぁ」
飲み干されたグラスを置いて、新しい物を魔法で生み出す。そこに、みのりが甲斐甲斐しくジュースを注ぐ。ついでに、朱里の分も用意する。
「あんがと」
みのりにお礼を言いながら、朱里はグラスを手に取る。
「アタシが凄いってのもあるけど」
「急になに?」
「まぁ、聞きなさいよ。……手応えが無さ過ぎたわ、アレ」
「核?」
「そ」
ちびっとぶどうジュースを飲む。
「記録でも確認したけど、能力は香りによる幻覚と蔦の攻撃。あと、植物の操作ね」
指折り数えながら異譚支配者の能力を上げる。折られた指は三本。
「弱すぎる。笑良に夢見る灰被りの城を使って貰ったけど、無くても十分に勝てる程の強さだったわ。確実に、アンタとアタシなら単独で終わらせられる。それも、かなりの余力を残してね」
チョコレートを口に放り込む。
もきゅもきゅとチョコレートを食べながらも、その表情は真剣そのもの。
「異譚侵度Bには見合わない。異譚侵度がそのまま異譚支配者の強さになる訳じゃ無いけど、それにしたって弱すぎるわ」
「だから、次が在ると?」
「可能性は高いと思うわ。根拠は無いけどね。ただ……」
「ただ?」
「ずっと気が張ってる。これは、あれね……アンタと異譚侵度Aを攻略する寸前と似てるわ」
「そう」
以前、アリスと朱里で異譚侵度Aの異譚を攻略した事が在る。その異譚の数日前から、朱里はなんだか気が立った様子だった。
「野生の勘って奴ね」
「誰が野生か! 野性はウチの新人二人でしょうが!」
新人二人と言われ、瑠奈莉愛と餡子がお菓子を食べながら朱里を見る。
「キヒヒ。猫を忘れちゃいけないよ」
テーブルの上でチョコレートを食べるチェシャ猫が名乗りを上げる。
「……猫ってチョコ食べて良いんだっけ?」
「キヒヒ。猫は大丈夫さ」
「そ。まぁ、アンタ猫であって猫じゃ無いしね」
「キヒヒ。猫ほど完璧な猫はいないさ」
「チョコ食べながら言われてもね……」
そもそも、猫は喋らない。皆が心の中で思った。
朱里の心配も杞憂に終わったのか、プチパーティーが終わり全員が家に帰っても異譚は発生しなかった。
その事を珠緒にからかわれながらも、朱里はずっと気を張っているように眉間に皺を寄せていた。
アリスも変身を解いてから家に帰り、食事などを済ませてから早めにベッドに入る。
当然のようにチェシャ猫は春花のお腹の上に乗り、香箱座りをして春花の顔を覗き込む。
「キヒヒ。アリスはどう思うんだい?」
「なにが?」
「キヒヒ。異譚の事さ。また来ると思うかい?」
「来る」
チェシャ猫の問いに、春花は迷いなくそう答える。
「キヒヒ。それはまた、どうしてだい?」
「ロデスコの勘は当たるから。個人的には、外れて欲しいと思うけどね」
チェシャ猫を持ち上げ、布団の中に入れる。
横を向いて抱きしめるようにすれば、チェシャ猫は春花の二の腕に顎を乗せて目を瞑る。
「キヒヒ。そうだね。平和が一番だもの」
「そうだよ。僕なんかが必要無くなるのが、一番良い……」
英雄があくせく働くということは、平和とは程遠いという事。
「何にも出来ない僕に戻るのが、一番だ……」
春花の言葉に、チェシャ猫がぴくりと耳を震わせる。それはまるで、チェシャ猫が驚いているようにも見えた。
「アリス、どうしてそう思うんだい?」
「ん、何が?」
「戻るだなんて、そんな……記憶は無いはずだろう?」
「あぁ、確かに……」
眠る寸前の蕩けるような意識の中、春花は考える。
どうして戻るなんて言ったのだろう。春花が憶えている一番古い記憶は二年前の事だ。その頃から春花はアリスであり、なんだってする事が出来た。
二年前。十四歳の冬。黒く長い髪はぼさぼさで、黒のセーラー服を着たまるで少女然とした少年は、裸足で歩いて対策軍の門を叩いていた。寒くてかじかむ手は痛々しいまでに赤く、足先に至っては凍傷のせいか紫色に変色していた。
片手にチェシャ猫を抱きながら、対策軍の厳重な門をこんこんっと壊れた人形のように叩いていた。
何故だか分からないけれど、対策軍に行かなければいけない。そう思って、気付いたら門を叩いていた。
それが、一番古い記憶。
あの日から、すでに春花はなんでも出来たのだ。
戻るとはつまり、二年前よりも以前の事。何故だか、そう確信が出来る。
けれど、記憶の蓋は閉じたままで、頑なにその封を開けてはくれない。
でも、どうでも良い。気にしても仕方が無いし、自分の過去なんて特に気にもならない。
「……どうしてかな」
「キヒヒ。きっと、疲れてるんだね。アリス、ゆっくりお休み」
「……うん」
チェシャ猫の言う通り、今は蕩ける意識に身を委ねよう。明日は学校が在る。寝不足で授業を受けたって身にならない。
緩やかに意識が落ちる。
一瞬の微睡む感覚――
「――ッ!!」
――それを引き裂くように、携帯端末から警報が鳴り響く。
聞き間違いようの無い警報。異譚発生を知らせるものである。
春花は跳び上がるようにベッドから降り、急いで家を出る。
「チェシャ猫、戸締りお願い!!」
「キヒヒ。了解だとも」
チェシャ猫に戸締りなどを任せて、春花は部屋着のまま家を出る。
「有栖川君!!」
「姫雪さん!」
走る春花の隣を白奈が並走する。
白奈は春花の隣の部屋に住んでいる。追い付かれてもなんら驚きは無い。
「嫌なタイミングね! 寝入ってたのに!」
「そうだね! 僕ももう寝る寸前だった!」
異譚は時間も場所も選ばない。
だが、これがもし前回同様の異譚だとすれば、そこに作意があるのではないかと勘ぐってしまう。
一度目の異譚の後、帰投を見計らった頃合いで二度目の発生。三度目は二度目が無いと思わせておいての就寝時に発生。
まったくの偶然かもしれない。けれど、もし仮に、これを仕組んでいる相手が居るのであれば、相手の作意を見落とさないようにしないとまずい。
そして、その相手が存在するのであれば、異譚は何らかの偶発的な超常現象なのではなく、誰かが意図的に起こした必然的な現象に他ならないだろう。
もしかしたら、この異譚を乗り越えれば、不透明だった異譚を少しでも知る事が出来るかもしれない。
「急ごう」
「ええ!」
二人の家から対策軍まではほど近い。
二人は無駄口を叩く事無く、対策軍へと走った。




