異譚9 異譚支配者
異譚の中は薄暗く、また重く湿った霧が充満していて視界も悪い。
「よく見たら、建物も変ッスね。ぼろぼろだし、現代の家っぽく無いッス」
「異譚なんてそんなものよ。家がぼろくもなれば、猫も喋るようになるわ」
言って、ロデスコはチェシャ猫を見る。
チェシャ猫はぐりんっと首をロデスコの方へと向ける。
「猫は喋るものだよ。キヒヒ」
「猫は喋らないわよ」
「じゃあそれは猫じゃないね。キヒヒ」
「アンタこそ猫かどうかも疑わしいわよ」
そもそもチェシャ猫がどういった存在なのかをこの場に居る誰も知りえていない。チェシャ猫と名乗ってはいるけれど、それが本当かどうかも怪しいものである。
「サンベリーナ。核の位置は掴めそう?」
「な、なんとなくの方向なら……」
「なら、その方向を教えて」
「わ、分かった。あ、じゃ、じゃあ、アリスの肩に乗って良い? その方が、案内しやすいと思う!」
「…………」
少し悩んだ素振りを見せ、アリスはチェシャ猫が乗っていない方の髪をかき上げて肩を見せる。
乗っても良いというその意思表示に、サンベリーナはぱあっと笑みを浮かべてヴォルフの肩の上からアリスの肩の上へと飛び乗った。
「あ、ありがとう、アリス!」
「別に。仕事をしてくれればそれで良い」
「う、うん、分かった! あっちだよ、アリス!」
「分かった」
サンベリーナの指差す方へと進路を変える。とはいえ、先程から進んでいた道から少しばかり逸れるくらいだ。
魔法少女達は相手の持つ魔力を感知する事が出来る。そのため、異譚に存在する核を見つけ出す事が可能なのだけれど、感知能力は人によってまちまちである。五人の中ではサンベリーナが特別優れているのでサンベリーナに感知を任せているのだ。
「あ、あの……その、核ってなんッスか?」
ヴォルフが素朴な疑問をアリスにぶつける。
「道下さんに聞いてないの?」
「はいッス。細かい説明に入る前に出撃になったッス」
「そう」
一つ頷いて、アリスは静かに説明を始める。
「核は言葉通り、異譚を構成する重要なもの。核が存在するせいで、異譚が広がる」
「つまり、核さえどうにかすれば良いって訳ッスね?」
「そう。核を倒す。それが私達魔法少女の仕事」
全ての異譚には核が存在する。その核さえ破壊出来れば異譚は崩壊するのだけれど、そう簡単な話ではない。
「因みに、核ってどんな形してるッスか?」
「分からない。異譚によってまちまち」
「山羊みたいな姿の時もあったし、魚みたいな姿してる時もあったわね」
「え、核って生きてるんッスか? 物じゃないんッスか?」
「そうよ。面倒だから核って呼んでるけど、正式な識別名は『異譚支配者』。文字通り、異譚の支配者、異譚の頂点に君臨する存在よ。さっきの毛むくじゃらとかが可愛く見えるくらい激強よ。ま、さっきの毛むくじゃらは雑魚も雑魚だったけど」
それでも、原始獣人は人を簡単に殺せるだけの力が在る。魔法少女だからこそ相対出来ているのであって、常人であれば逃げの一択しか残されていない。
その原始獣人よりも強大な力を持つのが異譚支配者。もはや超常の力を持つ存在と言っても過言ではない。
「今回は異譚侵度B。平均的な異譚侵度がCからDだから、ちょっと強め」
「異譚の危険度がDからSだから、丁度真ん中くらいって思ってたッス……」
「基本的に異譚の規模ってそんなに大きく無いの。殆どがDとCくらい。まれにBが発生しえて、極まれにAが起こるくらい」
「そうなんッスね。それじゃ――」
ヴォルフがなにがしかを言おうとした直後、少し離れた位置から轟音が上がる。
「戦ってるみたいね。アリス、どうする?」
「連絡があれば向かう。私達は核を優先」
「ま、遊撃だものね。それに、向こうも救援なんて――」
『こちら花の一! 現在ショッピングモールにて交戦中! 要救助者あり! 人手が足りない! 救援求む! 繰り返す。こちら花の一! 現在――』
耳元のインカムから切羽詰まった声で救援要請を告げられる。
「フラグ回収が早いこと」
「アタシ悪くなくない?!」
「どうする、アリス?」
「聞けし!」
「向かう」
「了解よ。皆、ショッピングモールに向かいましょう」
「了解ッス!」
「う、うん!」
「だぁもうっ! アタシの意見も聞けっつうの!」
即座に方針が決まり、五人は救援のあったショッピングモールへと向かう。
「アタシ先行くからね! そのままちんたら走ってなさいな!」
ぐぐっと足に力を込め、ロデスコは地面を蹴り付ける。
爆発的に加速――というより、実際に靴の裏で指向性の爆発を起こしながら走り、ショッピングモールへと先行するロデスコ。
「ヴォルフ、追えるでしょ」
「は、はいッス!」
「サンベリーナ、ヴォルフとロデスコの補助をお願い」
「わ、分かったよ!」
アリスの肩からヴォルフの肩に飛び乗るサンベリーナ。因みに、サンベリーナは身体能力が低い訳では無い。魔法少女は日々訓練をしているので、身体能力が低い者はいない。
ヴォルフも正式な童話の魔法少女になってまだ二日だけれど、戦闘訓練は受けてきている。もちろん、魔法少女としての力の使い方も分かっている。
アリスは引率で来た訳では無い。異譚は職業体験の場ではない。ここは既に戦場なのだ。いつまでもおんぶに抱っこではいられない。
「スノーホワイト。こっちに」
「分かったわ」
アリスはスノーホワイトの手を取る。
「チェシャ猫。ゲーム分は働いて」
「猫使いが荒いなぁ、アリスは。キヒヒ」
チェシャ猫はアリスの肩から飛び降る。アリスが『Drink Me』と書かれた瓶をチェシャ猫の前に投げれば、チェシャ猫は大きな三日月の口をあんぐりと開けて瓶を飲み込む。
瓶を飲み込んだチェシャ猫はみるみる大きくなり、大きめの乗用車程の大きさにまでなる。
二人は大きなチェシャ猫に飛び乗り、ふわふわの毛を掴んで振り落とされないようにする。
「瓶ごと飲んで大丈夫なの……?」
「平気。瓶は飴で出来てるから」
「そうなのね」
ふわふわな身体の割に速度が出るチェシャ猫に並走するヴォルフ。
ヴォルフは狼の魔法少女であり、身体能力は他の魔法少女よりもかなり高い。
「……面倒ね」
走る四人に追従するように、原始獣人がどこからともなく現れる。
げげげっと下品に喉を鳴らす原始獣人達。ケロケロ、ペタペタという声ではないという事は、じっとこちらを見ている者達とはまた別の存在である可能性が高い。
「数が多いッスね……!!」
「ヴォルフ、本気で走ればこいつら撒ける?」
「余裕ッス!!」
「ならヴォルフは先行して。私とスノーホワイトは粗方片付けてから向かうから」
「了解ッス!!」
返事をし、ヴォルフは更に速度を上げて走る。
追従しようとする原始獣人に、スノーホワイトが氷の礫を飛ばし、アリスが虚空から生み出した剣を飛ばす。
チェシャ猫は前を走る原始獣人に噛みつく。
「チェシャ猫、ぺっしなさい。ぺっ」
「食べないよアリス。猫はグルメなんだよ。キヒヒ」
ぺっと齧った原始獣人を吐き出すチェシャ猫。しかし、齧った事で口元に付着した血は残り、三日月の口とギザギザの歯も相まってとてもホラーチックになっている。
原始獣人は遥か先を走るヴォルフではなく、標的をアリスとスノーホワイトへと完全に変更する。
しかし、アリスとスノーホワイトに焦りはない。
「アリス、寒かったらごめんなさい」
謝った後、スノーホワイトは周囲に幾つもの氷の礫を作り出し、無差別に氷の礫を射出する。
連続で、何度も何度も射出する。
「チェシャ猫、速度上げて」
「分かったよ、アリス。キヒヒ」
ぼふぼふと毛を風になびかせながら、チェシャ猫は速度を上げた。
しかし、追従する原始獣人の数は増えるばかりだ。
「アリス。引き連れちゃうかも」
「問題無い」
このままショッピングモールへと向かうのは愚策に他ならない。けれど、アリスは問題無いという。
「そう。分かったわ」
スノーホワイトはアリスの言葉を疑う事無く頷く。
チェシャ猫はぼふぼふと走る。引き連れる原始獣人の数は、走る程に増えていった。