異譚6 純真無垢
訓練場の壁際で、白奈が休憩のために座り込んでいる。
最近、少しだけ訓練に身が入らない。理由など考えるまでも無く、妹の美奈の事だ。
妹が亡くなった事が相当精神的に来ているのだろう。もう大丈夫だと、割り切れたと思っていたけれど、どうやらそう思うのは早かったらしい。
けれど、そう思っていたのはどうやら白奈だけだったらしく、他の面々は白奈に気を遣うように心配してくれている。
あのアリスでさえ、白奈を心配して良く声をかけて来てくれる。いや、それに関してはアリスだからこそだろう。アリスは悪くないけれど、アリスにとっては二度目でもある。アリスは、二度、白奈の家族を奪ってしまったと思っている。
それが、白奈には申し訳なく感じてしまう。
暫く他の面々の訓練の様子を眺めていると、餡子がおずおずと言った表情で白奈の元へとやって来る。
「あ、あの……隣、良いですか?」
「うん、良いよ」
優しく白奈が言えば、餡子は安堵したように白奈の隣に腰を下ろす。
隣に腰を下ろしたものの、餡子は横目で白奈の様子を窺うばかりで話を切り出そうとはしない。
餡子がどんな意図をもって白奈の隣に座ったのかが分からない程、白奈は鈍感ではない。
きっと、美奈の事だろう。
餡子の中でもまだ完全に消化できていないだろう事は、最近の餡子の様子を見れば誰だって分かる事だ。
けれど、白奈から水を向ける事はしない。急かすようで申し訳無いし、こちらは幾分か余裕が出来てきたところだ。色んな意味で、白奈は餡子の先輩だ。餡子のペースに合わせてあげるのもの、先輩としての役目の内だろう。
そう思って白奈は黙る。
朱里VS珠緒&瑠奈莉愛の構図になった訓練を眺める。
相変わらず訳わからないくらい近接戦が強い朱里に、二人がかりでも手も足も出ずに弄ばれている。
次は自分も参加しようと思っていると、ようやっと餡子がゆっくりと口を開く。
「あ、あの……」
「うん、どうしたの?」
優しく白奈が返せば、餡子はゆっくりと口を動かして自分の気持ちを伝えた。
「その……本当に、申し訳ありません……」
泣きそうな顔になりながら餡子が言えば、白奈は黙って餡子を抱きしめる。
「大丈夫。ログは全部見たから。その上で私は言うわ。あれは、あの子が悪い」
「――っ!! そんな事……っ!」
「そんな事あるのよ。命令違反に単独行動。その結果、招かなくて良い被害を招いたわ……それは、どうあっても無かった事にしちゃいけない事実」
けれど、その事実があったとしても、やはり妹は可愛いもので、愛おしいものだった。
馬鹿だなとは思うけれど、やっぱり、可愛い妹なのだ。
「でも、最後に餡子ちゃんと一緒に戦った。それに、私の可愛い後輩を救ってくれた。良い事をしたのよ、あの子」
堪えきれなくなったのか、涙を流す餡子。
本来であれば、もっと早くにこの話をしたかった。けれど、怖かった。怒られるんじゃないか。嫌われるんじゃないか。そう思うと、怖くて白奈に近付けなかった。
気をきかせて開催してくれたお茶会でも少しぎこちなくて、白奈は変わらず笑顔だったから、気にしてないのかとも思ったりもした。けれど、言わない事は向き合わないという事だ。それは、違うと思った。
最後の最後、自分は美奈と向き合えたと思った。そして、友達になったのだ。
友達の事なら逃げたくない。だから、頑張って、声をかけたのだ。
怒られても、嫌われても、なじられても、それを全て受け入れるつもりだった。
「気にしないでなんて言えないけど、背負い込まないでとは言ってあげられるわ」
ぽんぽんと、白奈は優しく背中を叩く。
「あの子の分まで、ちゃんと生きて。私は、それだけで十分だから」
「……ぁい!!」
泣きながら返事をする餡子。不格好な返事だけれど、それが今の精一杯。
これでわだかまりの全てが解消された訳では無いけれど、少しは前に進めたように思えた。
そんな、二人の話が落ち着いたタイミングを見計らった訳ではないだろうけれど、話に区切りがついた後に警報が鳴り響く。
異譚発生を知らせる警報を聞き、すぐさま訓練を中止する。
「全員カフェテリアに集合!! 着替えは後回しよ!!」
朱里の言葉に頷きながら、全員がカフェテリアへと向かう。
白奈は餡子をゆっくりと立たせてから、手を握って一緒にカフェテリアに走る。
訓練をしていたのは白奈、朱里、珠緒、瑠奈莉愛、餡子の五人であり、それ以外の面々はカフェテリアに既に集まっていた。
アリスはいつもの調子で端っこのソファに座り、詩と菓子谷姉妹は三人仲良く並んで座っている。
みのりと笑良はカウンターに座ってお喋りでもしていたのか、二人の前にはティーカップが置かれていた。
五人に少し遅れて沙友里が到着し、ブリーフィングを開始する。
「異譚の発生地点は市街地の中心だ。範囲は半径五キロ。異譚の初期範囲としてはそこそこだ。現在、近くを警邏中だった星が先行調査のため異譚に潜入している」
「前回みたいに出られないとかある?」
「今のところ確認はされていない。だが、今後起こる可能性も考慮する」
一度在ったのだ。二度目が無いとも限らない。
「異譚侵度はB。先行部隊の結果、異譚は植物に囲まれているらしい」
スクリーンに写真が映し出される。
奇妙な形をした植物が鬱蒼と生い茂っており、見た事も無い虫が映し出されていた。
成人男性の肩幅よりも広い翅を持った蜻蛉のような虫に、腕程の太さを持つ百足のような多足類を思わせる虫。更には、巨大な身体に大きな翅を持った見た事も無い虫。
確実に地球上に存在しない虫のオンパレードに、全員が嫌そうに顔を顰める。
「きっしょ……っ。うわ、鳥肌立った……!!」
朱里がさすさすと自身の腕をさする。
「全部が全部やたら大きいわね……」
「脚いっぱいとかキモ過ぎるでしょ……」
「みのり、あんた食われちゃうね」
「ぴぃっ!? こ、怖い事言わないでよ!!」
それぞれが戦々恐々とする中、瑠奈莉愛は元気溌剌に言う。
「まるで古代の虫みたいッスね!!」
「言われてみれば、確かに」
瑠奈莉愛の言葉に同意するアリス。
「蜻蛉に百足」
「でも、飛んでる奴は見た事無いッスね……なんッスかね?」
「さぁ?」
二人して小首を傾げる。
だが、二人も似てると思うだけで、それが正しいという確証は無い。
それに、どれも形状が凶悪で冒涜的だ。図鑑に載っている見た目とは明らかに違う。
「話を戻すぞ。今回の異譚は森林のようになっている……いや、手入れがされていない分、森林よりも酷いだろう。それに、建物がそのまま植物になっているので、地形情報も曖昧になっている。住民の避難は困難を極めるだろう」
「ま、異譚が頓珍漢なのはいつもの事でしょ」
「それはそうだが、今まではあくまで街の様相をたもっていた。地形情報もある程度はあてになったが、こうまで全て植物になってしまえば、変化前の地形情報はあまりあてにならないだろう。お前達にとって慣れない舞台だ。編成は臨機応変を重視する」
「チッ、じゃああたし外れじゃねぇか……」
沙友里の言葉を聞いて、珠緒が面白くなさそうに舌打ちをする。
「そう腐るな。これから対応できるようになれば良い。……それでは、今回の編成だ。アリス、詩、唯と一、白奈の五人だ」
「「「「「了解」」」」」
「ちっ、アタシもお留守番かぁ。んじゃ、シャワー浴びてこよー」
留守番だと分かった途端、朱里はカフェテリアを後にする。
「呼ばれた五名は出撃。訓練に行ってた三人はシャワーでも浴びてこい。そのままだと風邪を引く」
自由人の朱里に苦笑をしながらも、沙友里は他の三人にもシャワーに行くように伝える。
「……シャワー浴びてこいって、エロイ……」
通りすがりに変な事を言う詩の頭を軽く小突く沙友里。
「くだらない事言ってないで行ってこい。……全員、無茶はするなよ」
「分かってる」
「了の」
「解」
「分かってます」
それぞれ返事をし、カフェテリアを後にする五人。
「エロいって、なにがエロイッスか?」
純真無垢な目で沙友里に訊ねる瑠奈莉愛に、沙友里はこほんっと咳払いをした後に答える。
「お前は、まだ知らなくて良い……」
「???」
瑠奈莉愛は、ぽぽぽんっと頭に疑問符を浮かべた。




