異譚2 居酒屋
いつの間にやら五十万PV越えてました
感謝でございます
わいわいがやがや。騒がしい事のこの上ない店内のカウンターで、二人の女性が酒を飲み交わしている。
片方は少女と見紛う程に若いスーツを着た女性。いや、見た目は完全に少女のそれだ。声の高さも、肌の若々しさも、全てが少女のそれだ。
けれど、恰好、所作、雰囲気は少女よりも老齢の女性に近い。
もう片方の女性は、二十代後半程の女性。きりっと鋭い目尻に、すっと通った鼻筋。よく手入れの行き届いた綺麗な黒髪をバレッタで留めている気の強そうな美人だ。
老齢の少女はお猪口に入った熱燗をくいっと飲むと、厚焼き玉子を口に運ぶ。
「うむ。やはりこの店の厚焼き玉子は絶品だな」
老齢の少女が満足そうに頷く。
「君もどうかね?」
「……では、一つだけ」
勧められ、一つ口に運ぶ。
確かに、老齢の少女が言う通り美味しい。だが、悠長に厚焼き玉子に舌鼓を打っている余裕は無かった。
箸を置き、老齢の少女に訊ねる。
「それで、私を居酒屋に誘った理由はなんですか。総司令」
総司令と呼ばれた老齢の少女は、不服そうに眉を寄せる。
「用が無ければ部下と一緒に夕御飯を食べに来てはいけないのか?」
「いえ、そういう訳では……」
「私だって息抜きしたい時もある。沙友里はいつも忙しいって言って付き合ってくれないのだから、たまには付き合ってくれたって良いじゃないか……」
拗ねたように言って、お猪口を呷る総司令。
拗ねる総司令を見て、沙友里は困ったように笑みを浮かべる。
「それに、プライベートで総司令は止めてくれと何度も言ってるだろう。まったく」
「すみません……桜小路さん」
少女のように拗ねる総司令、改め、桜小路綾乃。
彼女は対策軍日本統括本部の最高司令官である。こんな少女のような見た目をしているけれど、歳は沙友里よりもずっと上だ。
「桜小路さんではない。綾乃さんだ」
言って、乱暴に厚焼き玉子を食べる綾乃。
「大将! 揚げ豆腐一つ!」
「はいよっ」
「あと枝豆とアサリの酒蒸しと烏賊の一夜干し!」
「はいよっ」
「冷酒も追加! 沙友里はビールでいいか?」
「はい」
「生中も!」
「はいよっ」
酒のつまみを注文する綾乃。
居酒屋の大将とは顔馴染なのか、少女の様な見た目の綾乃がお酒を注文しても困惑した様子が無い。
お酒を飲みながら、綾乃は赤らんだ顔を沙友里に向ける。
「……この間の異譚の事、アリスが出撃したがっていたそうじゃないか」
「はい……」
綾乃の言葉に、表情を曇らせる沙友里。
「生中お待ち!」
沙友里の前に生ビールが置かれる。
沙友里はビールをぐいっと呷ると、深く息を吐く。
「……アリスは、異譚に出たがっています」
「良い事じゃないか。率先して仕事をしてくれるのだろう? あの地の復興も早まるというものだよ」
言いながら、枝豆をつるりと皮から出して食べる綾乃。
「大将、唐揚げと漬物の盛り合わせ!」
「はいよっ」
追加で酒のつまみを注文する綾乃。
「それは、アリスに対してあまりにも酷なのではないでしょうか……」
「その事について我々は散々協議しただろう? あの契約は、あの子から言い始めた事だ」
対策軍上層部しか知らないアリスと結んだ契約。それは、アリスから提案したものだ。アリスにとっては不利益しか生まない契約。
「それに、契約内容はあの地に関してのみだ。あの地の復興が終われば、アリスも落ち着けるだろうさ」
「そうでしょうか……」
「そうだとも」
綾乃は深く頷く。
「あの子は、背負わなくて良い責任を背負っている。その責任を終えるために、あんな契約を結んだんだ。少なくとも、救われたいと……いや、許されたいと思っているんだろうさ」
目の前に出された冷酒をくぴっと呑み、唐揚げを食べる。
「あの子なりの罪滅ぼしなのだろう。あの異譚であの子は英雄になったが……失ったものがあまりにも多すぎた。我々にとっても、ね……」
揚げ出し豆腐を箸で切り分けながら、物憂げな表情を浮かべる綾乃。
「あの子は望んで英雄になった。あの子が英雄になるのを、我々も望んだ。けれどね、あの子が本当になったのは、英雄なんて恰好良いものじゃあないんだよ」
「はい……それは、重々承知しています」
それ以上詳しくは言わない。流石に、この場で言えるような内容ではない。
「だからまぁ、対策軍はあの子に恩がある。借りと言っても良いだろう。ある程度の便宜も図ってやってくれたまえよ」
「望めば、異譚に出せと?」
「そうだ。あの子が望むなら、報いる他あるまいよ」
「……本当に、そうでしょうか」
俯きがちに何も無いテーブルを見詰める沙友里。
その目はどこか物憂げであり、苦悩しているような色がある。
「私は、あの子は異譚と離れるべきだと思います。一秒でも長く離れる時間を作ってあげるべきだと、そう思うんです……」
「それは、沙友里の我が儘では無いかね? 大将、私にも生中一つ!」
話の途中でビールを注文する綾乃。
「私も、生中を」
「はいよっ」
綾乃に続いて、沙友里も注文する。
暫くして、どんっと二つのジョッキが置かれる。
二人はジョッキを持ってビールを呷る。
「あの子は、異譚以外の事に興味関心を示さない。異譚に囚われるだけの人生なんて、虚しいだけです……」
人は誰しも興味というものを持っている。
例えば、笑良や朱里であればオシャレに興味を持ち、よく二人で化粧や服についてお喋りをしている。
例えば、菓子谷姉妹であればお菓子に興味を持ち、様々なお店のお菓子を食べ比べしてSNSで呟いている。
例えば、みのりであればアリスに興味を持ち、様々な方法でストーキングをしている。ちなみに、沙友里はみのりがアリスをストーキングしている事を知らない。
ともあれ、人は誰しも何かに興味を持つものなのだ。
だが、アリスにはそれが無い。いや、無い訳では無いのだろう。その感情が、かなり乏しいというだけで。実際、アリスはよく本を読んでいる。知識を身につける事は好んでいる様子だ。
しかし、それだけだ。魔法少女という職務の合間にも出来る事であり、熱量を持って行っているような事でも無い。
「まぁ、あの子の場合は仕事が好きという訳でも無く、義務感や責任感で動いているからな。だがな、沙友里。それはやはり君の我が儘だ。前回の異譚でアリスを使えば住民の避難は迅速に進んだはずだ。実際、アリスを投入してから避難効率は十倍以上だった訳だからな」
アリスが同時に異譚の境界を壊せた数は十。単純にロデスコの十倍である。
「現場にはロデスコも居て、過剰戦力だからアリスの投入を見送ったのもまた事実だろう。単純な戦力値で言えば、あの二人が同時に出ては過剰戦力だ。そこは、私も理解している。それに、他の魔法少女に経験を積ませたいという思惑も理解できる。国防は、英雄一人ではままならないからね」
沙友里の采配の合理性もまた理解している。感情論だけで動いていない事も理解している。
同時多発異譚、群発性異譚。その両方に対処できるように戦力を分散しているのもマニュアル道理の采配だ。
「だが、第一に国民の安全だ。アリスに境界を破壊して貰ってから、即帰投させればより安全に異譚攻略が出来たのではないかね?」
「それは……」
確かに、異譚を攻略する上で、住民の避難に人員を割く必要が無くなるのであれば、異譚支配者だけに注力出来たはずだ。住民の避難を即時完了させ、全魔法少女を戦闘へと配置出来る。異譚支配者以外の異譚生命体が存在しない異譚のため、その場の全戦力を異譚支配者へと注ぎ込む事が可能だった。
「確かに、マニュアルは大事だとも。それに、アリスだけを活躍させていたら他の連中が面白くないと思うのを危惧するのも無理はない」
ぐびっとビールを煽り、唐揚げを頬張る。
「だがね、我々は命を護る仕事をしているんだよ。何よりも優先すべきは、誰かの命だ。それを念頭に置いてくれたまえよ」
「はい……」
真面目な叱責に落ち込んだ様子を見せる沙友里。
そんな沙友里の様子を横目でちらりと確認しながらも、綾乃はごくごくとビールを飲み干す。
沙友里は優秀だが、優しすぎる。
上に立つ者として、時には何かを切り捨て、誰かの思いを無視しなければいけない。彼女には、まだそれが出来ていない。
「はい、この話は終わりだ! さぁ、今日は私の奢りだからな。じゃんじゃん飲んで食べるぞ! 大将! 生中二つ追加!」
「はい……」
ぽんぽんと背中を叩いてやれば、微笑を浮かべる沙友里。
流石に、直ぐに直ぐ気持ちの切り替えが出来はしないだろう。だが、今日はお説教をするために呼んだのではない。普通に仕事のストレスを解消したくて呑みに来たのだ。
綾乃は目の前に置かれたジョッキを掴み、ぐいぐいっと一気に飲み干す。
「ぷふふっ、良い女と呑む酒は旨いなぁ!」
満面の笑みを浮かべる綾乃。
桜小路綾乃。職業、対策軍日本統括本部最高司令官。趣味、グラビアアイドルの写真集やグッズ収集。女性アイドルのライブDVD鑑賞。そして、良い女(綾乃基準)とお酒を呑む事。まだまだ元気な七十三歳である。




