お茶会 1
狩人の異譚が終息してから二日が経過した。
みのりに治療をしてもらい、活動に支障が出る大きな傷は粗方治ったけれど、細かい傷はまだ所々残っている。
大方の傷は治ったので、珠緒は常と変わらず学校に通う。
顔や脚に絆創膏やガーゼを付けている珠緒を見て、クラスメイトが心配そうな顔をしたけれど、珠緒は気にした様子も無く授業を受けた。
珠緒はクラスに友人と呼べる存在が居ない。というのも、珠緒にとって殆どの人間はどうでも良い存在だからだ。積極的に関与するつもりも無ければ、友情を育むつもりも無い。
顔も名前も憶えるつもりのない有象無象が集う部屋。それが、珠緒の認識する教室だ。
給食を食べ終わった後、珠緒はワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら窓の外を眺める。
中学二年という多感な時期に友人の一人も作らずに教室でぼーっとするのが健全かどうかは分からないけれど、珠緒にとって大概の事は些事である。
今珠緒が気にしなくてはいけないのは、アリスに自分の尻拭いをさせてしまった事。そして、朱里に手柄を掠め取られた事だ。
分かっている。異譚侵度Dだと聞いて余裕ぶって銀の弾列を温存していた事と、アシェンプテルの灰被りの城を出し惜しみしたのが原因だ。
ログを見る限り、住民の被害は多くは無かった。むしろ、異譚にしては少ないくらいだった。けれど、魔法少女の死者数が少し多い。二十に行かないくらいだったけれど、それでも異譚侵度Dで出る死者数ではない。
いや、異譚支配者の実力は異譚侵度Bに相当していた。であれば妥当と言える死者数なのだろうけれど、死者が出ないに越した事は無い。珠緒だって、他の連中などどうでも良いけれど、死んで欲しいとまでは思っていないのだから。
「……チッ」
苛立たし気に舌打ちを一つする珠緒。
珠緒の舌打ちを聞いて、隣の席の少女がびくっと身を震わせるけれど、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴いている珠緒は気付かない。
苛立つのは自分の弱さ。判断能力の低さ。状況判断の悪さ。
今回の異譚で自分の課題は見えた。その課題を達成するために必要な事は分かっている。
「……チッ……」
我知らず、舌打ちが零れる。
すると、ぽこんっとメッセージアプリに通知が届く。
気だるげに端末を見やれば、メッセージの送り主はみのりだった。
『今日、カフェテリアでお茶会しよう?』
みのりからのメッセージを見て、ディスプレイを暗転させる。
返信はしない。
今はそういう気分ではない。
すると、暫くしてからぽこんっと通知が届く。
どうせまたお茶会の誘いだろうと思い、無視をする。
けれど、ぽこんっ、ぽこんっと度々通知が届く。
通知が届くたびに音楽が中断され苛立つ。
ぽこんっ。
流石にしつこいと思い、キレ気味になりながら携帯端末を見やれば、そこにはたった一言だけ映されていた。
『アリスも来るよ!』
「……」
一瞬ぎくりとするも、今までの履歴を見て珠緒が食いつきそうな言葉を並べているだけだった。『アリスも来るよ』を誘い文句に使えると思っているのはみのりくらいだろうけれど。
珠緒がアリスに好意を抱いているという事は誰にも知られてはいけない事だ。
珠緒のような下賤な輩がアリスに好意を抱いているなどと知られれば、アリスの英雄というブランドに傷が付く。
自分が高尚な存在だと、珠緒は思っていない。アリスと吊り合うとも思っていない。ただの仲間としてアリスと関れるだけで良い。天使をこの目で眺めていられるだけで、珠緒は満足なのだ。
黙って推す。それが珠緒の決めた事だ。
しかし、せっかくの仲間からのお茶会のお誘いだ。訓練もしたいし、趣味に興じたいところだけれど、誘われたのだから仕方が無い。
『行く』
短くそう返し、今度こそ携帯端末を閉じる。
あの異譚からアリスと会えていない。わざわざ出張らせてしまったアリスには謝罪をしたいし、餡子の様子だって気になっている。
それに、餡子と一緒に戦っていたのが白奈の妹だと後で知った。家族を失った白奈の方も心配だ。
珠緒にとって家族などクソどうでもいい存在だ。珠緒にとって大切なのはアリスと童話組の仲間だけだ。口にはしないけれど、珠緒はそう思っている。因みに、朱里はムカつくので除外だ。
前回の異譚でシュティーフェルが死にそうな場面を見過ごしたのは、魔法少女としての役割だと信じているからだ。何よりも、異譚を終わらせる事が最優先。
そう、信じているはずなのに。
「……撃ちそうだったな……」
何度も、肝が冷えた。
何度も、指が震えた。
何度も、心が急いた。
これが朱里だったらこうはならなかっただろう。ムカつくけれど、朱里の実力は確かだ。朱里であれば危なげなく対応し、安心して隙を狙う事が出来る。
弱くなったなと、常々思う。
実力ではない。心が、だ。
どうすれば心を強く保てるのか、それをアリスに訊いてみるのも良いかもしれない。黙って推すけれど、仕事上の会話であれば問題無いだろう。
であれば、家から小型の録音機を持って来て声を録音しなければいけない。アリスのアドバイスを一言一句漏らさないために。
「ニヤニヤしとるな」
「ニヤニヤしてるね」
窓の外を眺めながらそんな事を考えていると、二つの影が近付いてきた。
見やれば、まるで鏡合わせのようにそっくりな二人の少女が立っていた。
珠緒はワイヤレスイヤホンを外して双子の少女――唯と一に訊ねる。
「なに?」
「お茶会」
「参加?」
「参加する。アリスに訊きたい事もあるし」
「何訊く?」
「趣味?」
「お見合いか。なんでも良いでしょ、別に」
がたがたと二人は近くの椅子を引きずって珠緒の席を囲むように座る。
「あんたらさ……一応ここ下級生の教室なんだけど?」
周囲を見やれば、突然教室に入って来た菓子谷姉妹に戸惑いを隠せない様子だった。
菓子谷姉妹は中学三年生だ。上級生であり、魔法少女である二人が教室に入って来れば周囲の者は戸惑うし、居心地も悪いだろう。
「気にしない」
「背丈は下級生」
「いや気にしろ。あんたら来ると視線が鬱陶しいんだよ」
珠緒が気にしているのはクラスメイトの事ではない。自分達に向けられる視線である。
珠緒一人であれば誰も視線を向けては来ない。珠緒はいつだって刺々しい態度をしており、話しかけられても無視をするものだから、クラスメイトからは興味を向けられなくなった。それどころか、嫌われている部類に入る。
一度いじめのような事が起こりかけたけれど、珠緒が机を蹴り飛ばした後『文句あるなら聞くけど、なに?』と言ってから誰もちょっかいをかけてくる事は無くなった。それからは珠緒に対しては不可侵という暗黙の了解がクラスの中に広がった。
誰にも構われずに過ごせるのは煩わしく無くてとても居心地が良いのだけれど、二人が来ると無遠慮に視線が向けられるので煩わしいのだ。
しかして、マイペース二人組は構う事無く珠緒とお喋りをしようとする。
「お菓子買ってく」
「ケーキも買う」
この二人に何を言っても暖簾に腕押しである事は十分理解しているので、珠緒は諦めて話しをする。
「んじゃ、コンビニでサラダスティック買っといて。後、ジンジャーエール。辛口ね」
「野菜嫌い」
「辛口嫌い」
「子供舌」
マイペースな二人に合わせて、適当に返す。
二人と会話をしている間、少しだけ口角が上がっている事に珠緒は気付いていない。
「愛い奴め」
「奴め」
「急に何? こわっ」
「愛い奴め」
「奴め」
「わっ、ちょっ、頭撫でんな! 髪崩れんだろ!」
わしゃわしゃと頭を撫でまわそうとする二人を必死に止める珠緒。
最終的に二人の頭に拳骨をしてから教室を追い出した。
頭を抑えながら教室から退散する姿はなんとも珍妙だった。
「椅子片付けてけし……」
文句を言いながら、珠緒は椅子を片付けた。




